第44話

 亮太はイライラしていた。

 夜になっても慎司や蓮の姿が見えないのである。また同部屋の裕介さえも姿を見せないことに驚いてもいた。

「あいつらはどこをほっつき歩いているんだ」

「そのうち帰って来るよ。僕たちもそろそろ寝ないと」

 拓実は布団に入り込み、すでに目を閉じていた。

 数秒後にはいびきの音が静かな部屋を渡り歩く。

 しばらく待っていた亮太だったが、時計を見て仕方なく寝ることにした。

 しかし翌日、朝食の席にも慎司たちは姿を現さなかった。

「どうなってるんだ」

 赤坂が顔色を変えて亮太に詰めかかって来る。

「俺が聞きたい。あいつらはまるまる一晩姿を見せなかった」

「今日が決勝だって分かってるんだろうな」

「裕介まで音沙汰がないのは不自然だ」

「電話もメールも反応なしだ」

 優太が携帯の画面を見せてくる。

「西園寺先生も、バーに行かれたきりだ」

 釜本もやって来て深刻そうな顔をしている。

「今一年生何人かに探させに行ったが、どこにもいる気配がないそうだ」

「先生。今日の試合、どうしますか?」

「とりあえず今いるメンバーでどうにかするしかないだろ。大会本部にもすでに事情は伝えてある。私たちもギリギリまで彼らを探そう」

 だが決勝戦直前になっても、慎司たちは姿を現さなかった。

「何やってるんだ、あの馬鹿どもは」

 アップを終えベンチに引き上げる時、亮太は誰にともなく言った。

「本当にやるのか?俺たちだけで」

 ミーティング中、拓実が亮太に言う。

「やるしかない」

「蓮君たち、いない」

 博明が悲しそうな声を漏らす。

「俺のクロスに誰が合わせるんだよ」

 優太も愚痴をこぼす。

 亮太は「みんな落ち着け」とも口に出来なかった。なぜなら彼自身も動揺していたのである。

 しかし試合開始の時間になってしまった。

 亮太たちは仕方なくピッチに入る。決勝はスタジアムで行われ、スタンド席には多くの観客がいた。両チームが入場すると、歓声が上がる。その中には向影を応援する声もあった。しかしその一つ一つが選手の額に汗をにじませる。

 選手がポジションにつくと、キックオフの笛が鳴り響いた。笛を吹いたのは柳である。今日はあのゴツイ眼鏡ではなく、普通の眼鏡だった。

 試合が始まってしまう。

 百沼学園はいやらしいチームだった。特徴は相手の嫌がるプレーを徹底することだ。

 亮太はパスを出した後に、審判の見ていない所で足を踏まれた。拓実はキックミスをした時に大声で笑われた。優太には最初からファウルをする前提でタックルをしている。

 向影の左ウィングはそのせいで駆け引きにすら持ち込めない。優太はドリブルによる仕掛けを諦めて球離れ早くせざるを得なかった。

 亮太と優太の連携で、なんとか相手のサイドバックを突破する。

 見事に相手を置き去りにしたかに思えた向影だった。しかしその時、優太が突然地面に倒れた。

 抜かれたはずの相手のディフェンスがスライディングで優太の足をからめとったのである。ボールに行く気すらない悪質なプレーだった。

 しかし笛は鳴らない。

 亮太は思わず柳の方を見て声を張り上げた。

「ファウルだろっ」

 柳は反応せず、プレーは続行となる。

 優太は倒れたままだった。

 相手はパスを回し博明サイドのウィングにボールが渡った。

「博明、止めろ」

 亮太が指示を出す。

 博明は腰を落として守備の体勢に入った。

 百沼のウィングは特にフェイントもなく博明を抜き去ろうとする。博明がそれを止められない訳もなく、体を入れた。

 すると相手は接触していないのにも拘わらず、飛び上がるようにして地面に転んだ。

 博明は心配そうに倒れた選手を見ていた。

「大丈夫だ。お前のせいじゃない。相手がわざと転んだだけだ」

 亮太はそう言って博明からパスを受け取ろうとする。

 その時、背後から鋭いホイッスルの音が聞こえてきた。観客席からもヤジが飛ぶ。

 柳が博明の元へ駆け寄るとイエローカードが提示された。

 博明は動揺してあたふたした後、倒れている選手に平謝りを始めた。

 亮太はすかさず柳に詰め寄り、抗議する。

「今のはファウルじゃないだろ。なんで優太のは取らないで、こっちは取るんだ。しかもカードまで」

 亮太が唾を飛ばしても、柳は反応しなかった。

「おい」

 亮太も堪忍袋の緒が切れた。怒った向影のリーダーは柳の服に掴みかかる。

「何とか言えよ。お前、裏金でも貰っているのか?」

 亮太が暴走すると裕介が駆けつけてくるはずだった。しかし頼れる相棒が今日はピッチ上に存在しない。

 ブレーキが存在しなければ、車はぶつかるまで止まることは出来ない。

「それ以上言ったらカードだぞ」

 柳が縁の細い眼鏡を掛け直す。その奥から、亮太を睨みつけた。

「そんなの関係ねぇよ」

 亮太が言った瞬間、笛の音がピッチを切り裂く。

 掴みかかる選手を引き離したベテラン審判は、イエローカードを天高く掲げた。

「この野郎」

 亮太はさらに逆上し、今にも柳に殴り掛からんとしていた。

 柳は胸ポケットに手を当てている。指一本触れるものなら、レッドカードだという無言の圧を出していた。

 そこに起き上がった優太がやって来て、なんとか亮太を押さえつける。

 亮太はなんとか舌打ちをするに留まった。

 しかしその後も、柳の誤審は続いた。

 向影はずるずると相手のペースに飲まれていく。そしてやはり主力の何人かがいないことが響いて、戦況を覆すような要素が見えてこない。

 蓮のいないディフェンス陣は安定性に欠け、開始早々失点をした。赤坂が諦めるなと声を張ったが、それに応じる声は萎れている。

 相手は向影の嫌がるプレーを徹底した。下手な勝負は挑んでこず、ロングボールや浮き球でディフェンス陣がミスするのを待っている。流れの悪い向影はその作戦に見事に嵌められた。

 その後も、二点三点と失点は重なっていき、ついには五対〇になった。

 そこで試合終了のホイッスルが鳴る。

 優勝を決めた百沼学園から歓声が上がった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

影を追う青年 譜久村 火山 @kazan-hukumura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ