お呪いの日

痴話

お呪いの日

「誕生日だけは祝わないでくれ、頼むから。」


項垂れているのか、頭を下げているのかどちらか分からない姿で彼は私にそう告げた。


大学に入学して、早3ヶ月。蝉が鳴き始め、多くの学生が長期休みの前のレポートに追われる時期。バイトの合間を縫って、レポートや課題を早々に終わらせた私は穏やかな気持で長期休みを迎えようとしていた。ようやく時間の使い方が上手くなってきた方だと感じる。

入学したての頃なんて、酷かったのだ。当時、田舎生まれの私は都会の喧騒に揉まれ、勉強もバイトもサークルも上手く行っていなかった。そんな中、構内で立ち尽くしていた私を助けてくれたのが同い歳の真司だった。真司は、私とは違い、都会生まれのスマートな男であった。右も左も分かっていない私を彼は何度も助けてくれた。講義でたまたま隣になったことを発端に話すようになり、偶然にも同じサークルに所属した私達が仲良くならないはずも無く、入学して1ヶ月が経つ頃にはもう交際を始めた。                                                                                                                                                                                                                                                                                                      それなのに、今まで一度も喧嘩すらしたことがなかったのに。二週間前に同棲を始めたアパートで、彼にそう告げられた私は、疑問と呆れを覚えた。一週間後に誕生日を控えた彼の顔は険しく、思い詰めた表情をしていた。


「そんな…どうしてなの?」

「…祝われるのが嫌いなんだ、凄く。」


それだけ言うと、真司は口を閉ざしてしまう。開けた窓から、夏の土の匂いのする風が私達の間を駆け抜ける。

真司は、明るく誰にでも好かれる男だ。サークルでは、リーダーなども率先してやり、ハキハキとした人柄で後輩にも先輩にも同級生にも好かれている。分かりやすく言えば陽キャである彼が。祝われるのが嫌いだなんて、私には到底信じがたかった。


「ねぇ、本当?」

「……疑わないでくれよ。」


再び頭を下げた彼を見て、浮かび上がってきたのは浮気という文字であった。この様な考えしか思いつかない自分自身にすら呆れを覚える。しかし、一度浮かんだ疑念は消えない。

真司はよくモテる。今まででも言い寄ってきた女は沢山いた。私に祝われないようにして、別の女とレストランにでも行こうとしているのでは無いか。そんな考えが、頭の中に漂い続ける。私だって、それなりに色々考えてはいたのだ。ちょっと高いレストランを予約しようか、真司の好きな手料理を振る舞おうか。そんな自分の気持ちを無下にされた気がしてならない。私は、疑問を通り越して怒りが湧いてきていた。


「…分かった。」


私がそう呟くと、真司はホッとしたような間抜けな顔をして自室に戻っていく。その顔にも後ろ姿にも怒りが湧いてきそうになるのを必死に抑えることで精一杯であった。


翌日、私は早速動き始めた。勿論、真司の浮気相手を探る為であった。どうせなら、浮気の証拠を叩きつけて別れを告げてやろう。そう強く覚悟を決めても、心のどこかでは浮気なんてする訳無い、という淡い希望を抱えている。曖昧な行動指針の中で私がまず声をかけることにしたのは、真司の身の回りの人物であった。


「いきなりごめんなさい、聞きたいことがあって。」

「…あぁ、真司の彼女じゃん、何?」


講義が終わった後、突然話しかけてきた私を怪訝そうな顔で見ながらも答えてくれたのは真司と高校が同じであったチャラい男。何度か、真司の話に出てきたのを思い出し、迷わず話しかけることにした。


「真司、もうすぐ誕生日なんだけど、」

「もうそんな時期か。プレゼントの相談なら乗らないけど。」


小さく舌打ちをされ、あからさまに見える敵意に思わず怯みそうになる。どうして真司はこんな人間と仲良くしていたのだろうか。真司と目の前の男で友情が芽生えるとは遥かに信じがたい。


「ねぇ、真司って学生時代、誕生日祝われてた?」

「は?そりゃ勿論……いや、あれから。」


急に歯切れの悪くなった男の顔は先程よりも虫の居所の悪そうな顔をしていた。何かを思い出したかの様にした後、顔を顰める。黙ってしまった彼を目の前にして私は恐る恐る声をかける。


「あれって、なに。」


私がそう口を開けば、彼は逃げるようにして講義室を出ていった。何だか追いかける気力もなく、そのまま立ち尽くす。冷房の音がやけによく響いていた。

そして簡素な講義室に一人取り残された私の耳に入ってきたのは、講義室の端でこそこそと話す女子二人の会話だった。


「ねぇ、今出ていったのって。」

「そうだよそうだよ。そっか、今の時期だったよね。」

「真司くんたちやっぱ忘れられないのかな、あの子の事。」

「忘れられないでしょ、てか忘れちゃ駄目でしょ。」


真司、その言葉が耳に入ってきた後聞こえてきたのは、やはり想像通りの内容であった。失望を誤魔化すようにして、講義室から出ようとすれば最後に聞こえてきたのは私が真司の彼女である事を今更思い出したであろう彼女達の慌てた声であった。


そこから一週間が経った後、私は一つの結論に至った。

真司は高校時代の女と浮気している。

そう、確信した。全て証拠は集めきっていた。

先月、同窓会があったこと。真司は学生時代、とある女に執着していたこと。その女とは定期的に連絡をとっていること。誕生日にその女と会おうとしていること。たった一週間でここまで情報が出たのだ。今ではもう真司に対しての好意も無くなっていた。

同窓会の日、真司は急なバイトが入ったと言って、結局帰ってきたのは夜遅くだった。同窓会なんて知らなかった。それに最近ずっと真司はスマホを見られないようにしている。粗方、女と連絡でも取っているのだろう。

既に怒りが抑えられなくなった私は誕生日の日に全てを突きつけてやる事にした。

最悪の誕生日にしてやるのだ、絶対に。



そんな私の野望が打ち砕かれたのは、それからまもなくだった。



「ごめん、ちょっと出てくる。」

「え、もう11時だよ、ねぇ」

「ごめん。すぐ戻るから。」



誕生日の前日、11時50分、真司は家を出ていった。


12時ぴったりに証拠を突きつけてやろうとしていた私は、思わず呆気にとられてしまう。追いかけようとするも、彼は足早に何かから逃げるようにして部屋から出ていった。ずっと、そわそわとしていた真司の様子にもっと早く違和感を覚えるべきだった。

まさか女が会いに来たのか。

私を差し置いて、誕生日を迎える瞬間を、別の女と過ごそうとしている。

扇風機の風が、真司のいなくなったソファーを撫でる。


そんなの、許さない。

今からでも会いに行ってやる。

奥歯を噛み締めたまま、玄関の扉に手をかけた。






ハッピー バースデー トゥユー

ハッピー バースデー トゥユー





室内に、掠れた機械音が響く。

微かに聞こえるその音は、真司の部屋からであった。




私はもつれる足で彼の部屋に入り込む。

音を頼りにしながら、クローゼットを開ける。

少しずつ、音が大きくなってきた。


その歌は彼のクローゼットの最奥から歌われていた。

必死に手を引き伸ばして、手探りで探す。

何かを掴んで、思い切り引き出すと、それはバースデーカードであった。


古びれたバースデーカードには、真司くんへと丁寧な字で書かれてある。

差出人のところは、知らない女の名前であった。


12時に音がなる仕掛けであったのか、1分経った頃には歌も止みただの紙切れと化したそれと私は見つめ合っていた。

浮気相手が書いたであろう真司に向けたメッセージを読むか読まないか。

その頃には私の判断力なんてもう失われていて、震える手でバースデーカードを開いた。






「なに、これ。」



暗い室内で、思わず出た言葉はそれだった。











真司くんへ


高校2年間、たくさんいじめてくれてありがとう。

もう限界です。

今までありがとう。


明日は真司くんの誕生日ですね。

わたしのこと、わすれないでね。

わすれないでね。

誕生日になるたびに、おもいだしてね。


じぶんだけ、のうのうと生きれると思わないで。

わすれないで。

最悪の誕生日になりますように。


PS.このバースデーカードは毎年誕生日になるとハッピーバースデーが流れるようになっています

捨てても無駄です

実家においてても無駄です








バースデーカードの表に大きく書かれている「祝」という文字は、一箇所が黒く塗りつぶされ「呪」になっている








「ごめん、ごめん、ごめん、ごめん。」




いつの間にか帰ってきていた真司は誰に対して謝っているのか分からなかった。






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