第二十二話 鬼姫、伝説となる。
黒い髪をした男がひとり、膝を抱えて泣いている。その頭には、二本の角が生えている。
これは、その男の記憶だろうか。坊主の老人がひとり、正座して男に向かい話し掛けている。
『お前は、源 頼光 公と、鬼である青玉蘭の間にできた子だ』
(青玉蘭……?! それは、私の母の名じゃっ!)
『頼光公は、玉蘭の正体に気付き、お前をこの大江山の寺へ預けた。誰にも知られることなく、ひっそり生きていけるようにと』
(ようやく分かった……かかさまは、それで源頼光のことをずっと恨んでおったのか)
愛を失い、子まで奪われた母は、ひとりきりで鬼雅島へ逃げ延びた。そこで誓ったのだろう。いつか再び我が子を取り戻すため、頼光への復讐を誓った。私が大倭語を使えるのも、舞を教えてられていたのも全て、先を見据えてのことだったのだ。
いくら鬼の子といえど、さすがの頼光も、我が子を手にかけることが出来なかったのか。母を殺さなかったのも、もしかしたら彼の中に母への愛情が残っていたのかもしれない。
でも、己の宿命を知った鬼の子は、徐々に心を病んでゆく。
『何故……何故、俺は生まれたのだ。何故……一体何のために……っ?!』
鬼の子は、生きる意味すら与えられず、怨みの気持ちだけを抱えて生きていくしかなかった。そんな彼の孤独が、まるで自分のことのように伝わってくる。
鬼の子は、やがて山を下りて、人の里へ入り込んだ。人のフリをして、幾度も幾度も姿を変えて、殺した人間に成り代わることで生き続けていった。
人の姿で人と関わっていても、男は孤独だった。常に心の中では、大倭国の民を憎み、頼光を怨んでいた。
百年に近い歳月を、たった一人で怨みだけを抱えて生きて来たのだ。
ただただ切なくて、涙が出るほどに胸が苦しかった。
*❀*✿*❀*✿*❀*✿*❀*
急に視界が変わった。神嘉殿の前庭に、人が集まっている。
光彰、吉綱、秀好、貞晃、奈津美に真千子までいる。
どうやら私は、彼らのことを空の上から見下ろしているようだ。
夢でも見ているのだろうか。頭に霞がかかったようで何も分からない。
中心にいた光彰が叫んだ。
「愛ならやる。いくらでもやる。お前が望むだけ……いや、それ以上の愛をお前にやる。なんなら俺の心臓ごとくれてやってもいい。だから、だから…………」
光彰が、泣いている。その腕の中には、鬼の姿をした私がいた。黒く染めていた髪の毛は、いつの間にか白い地毛に戻っていて、死んだように眠っている。
では、ここにいる私は一体なんなのだろうか。
「頼むっ、死ぬなっ……!!」
光彰が泣きながら私を胸に掻き抱く。その叫びがあまりに切なくて、私は、胸が張り裂けそうだった。
(私なら、ここにいる!)
そう叫ぼうとして、声が出ないことに気付いた。
一体、どうしてしまったのだろう。まるで魂だけが身体から抜け出て、空に浮かんでいるようだ。身体が軽い。
すぐ傍で、聞いたことのない男の声がした。
『あれがお前の愛した男か。ふむ、いい男だ』
俺に似て、と男が呟く。その顔は、どことなく光彰に面影が似ている。
男は、私を見て目を細めた。
『玉蘭に目元がよく似ているな』
(かかさまを知っているのか?!)
『ああ、もちろん。よく知っている』
どうやら男には、私の声が聞こえるようだ。
声というよりも思念に近い、男の言葉には、親しみと愛情を感じた。
男は、腕に何かを抱えていた。角の生えた赤子だ。
『この子は、私が連れてゆく。名すら与えてやることが出来なかった。来世では、幸せに生まれてこられるよう、神に頼んでみよう。何、神は鬼ではないからな。私の頼みならば、きっと聞き届けてくださるさ』
古い友人なんだ、と男は笑った。とても美しい男だった。
『この子は、自分で自分に名をつけた。〝
男の話と、私が先程体験した鬼の子の記憶が重なる。おそらく、その赤子――雷焔は、私の異父兄だ。
そして、この男の正体は、おそらく――――。
(あなたは、源頼光か)
私の問いに、男は柔らかな笑みで答えた。それは、私がずっと会いたいと願ってきた男の笑みだった。
『居場所は、見つかったようだな』
男が優しく私を見つめる。それが何を指しているのか、わからない筈がない。
私は、足元を見た。私の亡骸を一心に見つめながら願う彼ら一人一人の顔を眺める。どれも皆、私の大切に想う人たちだ。
(……ああ。あの者たちの生きている場所が、私の生きる居場所じゃ)
『さあ、戻るがいい。お前を呼ぶ声が聞こえるだろう』
男から再び視線を足元へ戻すと、光彰が私の唇に接吻をしているところだった。
嬉しさと恥ずかしさに胸が震えた。でも、あれは私であって今ここにいる私とは違う。複雑な気持ちだ。
すると不思議なことが起こった。
光彰の身体から光が溢れて、私の身体をあたためゆくではないか。
優しくて、あたたかい光だ。それは、ずっと私が欲していたものだ。
男の声が遠のき、私の意識は、光彰の腕の中にある肉体へと吸い込まれてゆく。
そして、私は息を吹き返した。
朦朧とする意識の中で、貞晃の声が聞こえた。
「……御伽草子だよ。〝天子さまは、
まさか死人を蘇らせることが出来るとは思わなかったけど、と貞明が付け加える。その声は、少し震えていて、泣いているように思えた。
(そうか、私は光彰に助けられたのじゃな……)
見れば、私を囲う皆の顔が涙で濡れている。私は、胸が熱くなり、涙が頬を零れていった。
私を抱える光彰の瞳には、いつか見た青い空が映っていた。そこに今、鬼の姿をした私が映っている。
それから私は、光彰があんまり強く私を抱きしめるので、また息が出来なくなって死んでしまうかと思った。
*❀*✿*❀*✿*❀*✿*❀*
大嘗祭は、菅原 道仁という男の復讐劇として幕を閉じた。おそらく後世に語り継がれるほどの大事件となるだろう。
神鏡は道仁の屋敷から見つかり、日を改めて大嘗祭の儀式が行われた。
多くの目撃者がいたことと、衛兵たちまでが操られていたことから、清澄は鬼に操られていたということで、軽い謹慎処分のみで済むこととなった。
清澄には、光彰を襲った時の記憶はあったものの、自分でも何故あんな奇行に走ったのかまるで理解できないようだった。
私は、思い切って清澄に自分の正体が鬼であることを告げた。すると清澄は、困った顔をして「来年の
大嘗祭の事件後しばらく天宮では、ある鬼姫伝説の噂が流れた。騒乱の最中、美しい鬼神のごとく白髪の姫が現れて、王と共に悪鬼と戦った、と。
そして、そのことをきっかけに、少しずつ天宮の中でも鬼に対する畏怖の感情が薄れていくように感じた。
今ならば、私の正体を話しても受け入れてもらえるのでは、とも思ったが、やはり民の混乱を招くといけないので、私は再び髪を黒く染め、正体を隠す道を選んだ。
しばらくはまだ、鬼姫伝説は、伝説のままであった方が良いだろう。
そして、光彰は――――
「紫焔が俺を一生守ってくれるなら、この国も安泰だな」
と笑って、私を彼の后にしてくれた。周囲の反対や妨害はあったけれど、私が全て黙らせてやった。光彰のことは、この鬼姫が命をかけて守ってゆく。
――王として即位した光彰は、天王と名乗り、大倭国を平和に治めた。
――その傍らには、常に最愛なる后が、まるで彼を守るかのように寄り添う姿があったという。
完
鬼姫は月夜に恋ふ~闇にゆらめく紫焔の光~ 風雅ありす@『宝石獣』カクコン参加中💎 @N-caerulea
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