【終章】鬼姫伝説

第二十一話 鬼姫、舞い、そして散る。

 翌日、大嘗祭だいじょうさいが開催された。


 大嘗祭は、通常『新嘗祭にいなめさい』と呼ばれ、年に一度その年に収穫された農作物の一部を神への感謝と共に捧げて、一年の安寧を祈る。


 もし、その年に新たな王が即位していれば、そのことを神に告げ、天子として認めてもらう神聖な儀式を執り行う。それが大嘗祭だ。


 儀式は、神嘉殿しんかでんにて行われる。


 神嘉殿の前庭にある神楽殿にて、選ばれた五人の舞姫たちが舞を奉納し、それが終わると、王と数名の付き添いだけが神嘉殿の中へ入っていき、儀式を行う。儀式の内容は秘儀とされ、関係者にしか明かされていない。


 盗まれた神鏡は、結局見つからなかった。どうするのかと思って貞晃に聞いたら、どうやら模造品を使って儀式を行うそうだ。


 模造品で神の怒りに触れなければ良いが……と、どうでもよいことを考える。どちらにせよ、私には関係のないことだ。


「どうしよう~……緊張しすぎてお腹が痛くなってきちゃった……」


 神嘉殿の前庭へ入る直前に、真千子が青白い顔でお腹を押さえながら言った。舞姫の一人に選ばれたことを喜んでいたのに、どうやら本番に弱い性格らしい。


「大丈夫か? 少し向こうで横になって休んでから……」


 私は、真千子を支えて場所を移動しようとした。すると、それを見た奈津美が、血相を変えて口を挟む。


「ちょっとちょっと! どこへ行くの? もう奉納の舞が始まる時間よ。早く準備して行かなくちゃ」


 そう強い口調で叱る奈津美も、真千子と同じく舞姫の恰好をしている。二人とも、舞姫の五人のうちの一人に選ばれたのだ。


 私だけが、いつもの女官服を身に纏い、二人に付き添っている。神楽殿へ入れるのは、舞姫と楽を奏でる雅楽寮の楽人だけだ。


「真千子、行けそうか?」


「う、う~ん……無理、みたい……」


 そう言うと真千子は、ぎゅっと目を瞑り、その場へうずくまってしまった。


 それを見た私は、心を決めた。


「真千子、安心せい。私がお主の代わりに舞を奉納してこよう」


 本来、舞姫に選ばれていない私が舞うことは許されない。


 だが、真千子のためだ。こっそり衣装を取り換えて行き、舞が始まってしまえば誰も口を出せないだろう。


「有り得ない! 舞の練習もしていないのに、どうするのよ?!」


 と怒る奈津美に、私が舞の一部を完璧に舞って見せると、口を閉じた。舞は得意なのだ。


 それに、道仁のことも気になる。


 道仁は、この国の王に自分が取って代わろうとしているのだ。大勢の人がいる前で目立ったことはしないとは思うが、やはり用心するに越したことはないだろう。


(もう、私には関係ないのにな……)


 光彰の顔が頭に浮かぶ。決して、もう交わることのない関係だとしても、どうしても頭から切り離すことが出来ないでいた。


 この気持ちを〝恋〟と言うのだろうか。


 光彰は、あれから毎日私に慰めの言葉を文にしたためて送ってくれている。どうやら私が、友である孝子を失い、落ち込んでいると思っているようだった。


 けれど私は、一度も光彰に文を返していない。


 このまま正体を隠し通すのは難しいと思っていたし、例え隠し通せたとしても、一体どんな顔で光彰の隣に立っていればよいというのだろう。ためらいもなく鬼を斬る、と言った男の隣に……。


(天宮を……天都を離れた方が良いのかもしれんな)


 皇王の后になる、という当初の目的は、彼が病死することで露と消えた。


 花智子の死の真相は分かったものの、清澄にそれを告げるには、道仁の正体が鬼であることを話さなければならない。それはつまり、私自身の正体も明かすということでもあるので、それも出来ない。


 だからと言って、人を殺してまで大倭国の王になろうとする道仁の手を取りたいとも思わない。天都へ来るまでは、人間を馬鹿にすらしていたのに、いつのまにやら彼らのことを好ましく思うようになっていた。


 弱くても必死に何かを目指して生きている人間は美しく、そして愛しいと思う。


(清澄にも常則にも申し訳ないが……私はもう、天宮にはおれぬ……)


 何一つとして目的を果たせないばかりか、孝子を救うことすら出来なかった役立たずな自分を、私は許せない。


 それに、決して結ばれないと分かっていて、光彰の近くにいるのは辛すぎる。


 せめてこの大嘗祭で行われる儀式を見届けてから、ひっそりと天都を発とう、と心に決めていた。


 私は、真千子と衣装を取り換えて、奈津美と神楽殿へ入った。


 楽が鳴り、舞が始まる。私は、楽の音に合わせてゆっくりと舞い始めた。


 舞ながら、神嘉殿の壇上からこちらを見つめる光彰の姿が視界に入った。この遠さでは、舞姫のうちの一人が私だと気付いていないだろう。


 舞は、鬼雅島で母から教わった。


(なぜ、かかさまは、この舞を知っていたのじゃろうか……)


 私は、真千子と奈津美が部屋で舞の練習をするのを見て驚いた。何せ、鬼雅島で母から教わった舞と全く同じだったからだ。


 思えば私は母から、礼儀や文字やらと様々なことを教えられて育った。子供心なりに、鬼雅島で必要とされないものを何故、という疑問は常にあったが、それらが私の中に、まだ見ぬ大倭国への期待と羨望を生んだ。もしかしたら母は、私がこうなることを予感していたのかもしれない。


(そう言えば、かかさまは大倭国へ行ったことがあると言っていたな。もしかすると、かかさまも……ここで舞ったことがあるのだろうか)


 やがて楽の音が止み、舞が終わった。


 そして、最後の儀式が始まる。空はいつの間にか暗くなり、月が出ていた。今晩は満月だ。


 壇上に座っていた王が立ち、その横に二人の蔵人頭が並んで立っているのが見えた。秀好と道仁だ。


(道仁…………お前は一体、どうする気なのじゃ)


 儀式は滞りなく進んでいるように見えた。その時までは。

 

 突然、護衛兵らの中から、光彰に向けて矢が飛び出した。矢は、王のいる壇上の手前に立つ柱に当たって止まった。


 ほっとするのも束の間、王に向けて矢を構えていた者の顔を見て驚いた。それは、私の兄、橘 清澄だった。


「兄様?! 何故っ?!」


 清澄は、矢が届かぬことを見てとると、弓を捨て、腰に差していた刀を抜いた。そして、壇上にいる光彰に向かって切り掛かってゆく。


 私は、どうしてよいのか分からず、その場から動けなかった。


 そのうちに清澄は、光彰の周りにいた衛士たちに取り押さえられてしまう。数人の衛士たちに抑え込まれながら、清澄が何かを叫んでいる。


「……よくも花智子をっ、花智子を殺した怨みっ! 殺してやる……殺してやるーっ! 光彰ーーーっ!!!」


 一体どういうことだろう。花智子を殺したのは、道仁だ。光彰が犯人の筈がない。何せ光彰は、花智子が死んだ時、天都にはいなかったのだから。


(賢い兄様がそのことを知らぬ筈はない。もしや、これは……)


 はっと道仁を見ると、目が合った。私を見て笑っている。きっと道仁が、清澄に何か吹き込んだのだろう。


 よく見れば、清澄の身体から何か黒い靄のようなものが流れ出ているのが見えた。どこかで見覚えがある。孝子だ。孝子が鬼になろうとしていた時も、あのような黒い靄が身体から流れでていた。


(まさかあれは、道仁の仕業だったのかっ?!)


 道仁は、神鏡を盗み出すため、わざと事件を起こしたのだ。それも孝子を使って。


 おそらく清澄は、菅原道仁に騙されて、花智子を殺したのが源光彰だと信じ込んでいるのだろう。


(許せぬ……道仁っ!!)


 私の中に、ふつふつと怒りの炎が立ち上がる。熱い。もう秋も終わる頃だというのに、真夏のような暑さだ。私の身体が燃えているのか。


 騒乱のどさくさに紛れて、道仁が光彰を連れて神嘉殿の中へ入ってゆくのが見えた。危険ですから中へ、とでも言っているように見える。傍に居た神祇官と秀好は、騒乱に目を奪われて、それに気付いていない。


「ちょっ、輝夜?! どこへ行くの?」


 奈津美が止めるのも聞かず、私は神楽殿から飛び降りると、二人の後を追い掛けて神嘉殿の入り口へと駆けて行った。


 神嘉殿の中は、僅かな灯りしかなく薄暗い。


 だが、鬼の目に暗闇など関係ない。細部にまで渡ってよく見える。  


 特に今日は、自分でもいつも以上に身体に力が漲ってくる。満月の所為だろうか。


 奥へ進んでゆくと、二人の男がこちらに背を向けて立っているのが見えた。光彰と道仁だ。


 光彰の少し後ろを道仁が歩いている。そして、道仁が右手を振り上げるのが見えた。その手に、光る何かが握られている。ここからでは間に合わない。


「光彰ーーーっ!!!」


 私は、走りながら叫んだ。腹の底から声を絞り出す。


 光彰は私に気付き、後ろを振り返った時に、自分に向かって振り下ろされんとしている刃を見た。刃が振り下ろされる寸前で、光彰が避け、床に転がる。


「道仁、これはどういうことだ」


「楽に死なせて差し上げようとしたのに……残念です」


 対峙する二人の間に、私は走り込んだ。光彰を背に庇うように、道仁に向き合う。


「これは輝夜様。待てなかったのですか。もうすぐ終わりますからね。共に、この国を治めましょう」


「断るっ!!」


「何故ですか?」


「私は……私が欲しいものは、自分の手で手に入れる!」


「そうですか………………それは残念です」


 道仁の瞳に、暗い光が宿るのが見えた。道仁は、持っていた刃で私の後ろにいる光彰に向かって切りつける。


 それを私は、道仁の手首を掴んで止めた。力は拮抗。……いや、いくらか私に分があるようだ。道仁もそれを感じとったのだろう。一度、私から跳び退くと、距離を取ってから今度は別の角度で光彰を狙う。


 道仁の攻撃を防ぎつつ、背後にいる光彰を守るのは骨がった。それに何故だか、攻撃を受ける度に道仁の力が強くなってゆく気がする。


(……強いっ!)


 狭い場所では動きずらい。道仁も私と同じことを思ったのだろう。まるで私の気持ちが伝わったかのように、神嘉殿の外へ向かって駆けてゆく。


 私は、咄嗟に道仁を追い掛けようとしかけ、光彰がいることを思い出して振り返った。


「光彰っ、お前はここで身を守っておれ! 絶対に外へは出てくるなよ!」


 光彰が驚いた顔で何か言いたそうに口を開きかけていたが、私はそれを無視して外へ走った。


(あやつに勝てるのは、おそらく同じ鬼である私だけ……)


 神嘉殿を出ると、そこは戦場いくさばと化していた。味方である筈の衛兵たちが、何故か互いを武器で攻撃し合っている。彼らの身体からは、孝子と清澄と同じく黒い靄が流れ出ていて、辺り一面、黒い靄が充満していた。


 それらの中心に、道仁がいた。彼が靄を使って、衛兵たちを操っているのだ。


 道仁が私に気付き、笑みを見せた。その目が、こっちへ来い、と言っている。


 靄の影響を受けずに戦っている者たちがいた。吉綱と秀好、貞晃だ。三人は、神嘉殿に衛兵たちを入れないよう、それぞれの武器を手に戦っている。


 吉綱は剣を、秀好は弓を、貞晃は、護符を手に呪文を唱えていた。三人とも、事態の元凶が道仁であることに気付いているようだったが、黒い靄が行く手を阻み、道仁のいる場所まで辿り着けないでいるようだ。


(やはり私でなければ、あいつを倒すことは出来ぬっ)


 私は、地面に落ちていた刀を拾った。刃が真ん中から折れている。私は、残っている刃を素手で強く握った。掌から流れ出る紅い血が、折れた刃を形作ってゆく。


 そして、鬼の血でつくった紅い刀を手に入れた私は、気合いを入れるために声を張り上げた。


「鬼退治じゃっ!!!」



 *❀*✿*❀*✿*❀*✿*❀*



 道仁は強かった。とてつもなく強かった。もう逃げられないと悟ったのか、自分の正体を隠すことなく、全力を投じて来ているようだった。その様は、どことなく楽し気ですらあった。


 彼は、いかづちを操り、私たちを攻撃した。私は、それを避けながら攻撃の隙を狙って刀を繰り出すものの、避けられてしまう。


 鬼雅島にも、ここまで強い鬼はいなかった。


 だが、私も負けてはいない。鬼雅島で最強と謳われた鬼姫だ。互いに互いの体力と気力を削り合う戦いになった。


 道仁が、にやりと不気味な笑みを浮かべた。そして、黒い靄に包まれた刃を投げつける。私を狙って放ったのだと思ったが、刃は私の頭上を越えて飛んでいく。


 嫌な予感がして振り返ると、そこに神嘉殿から出て来た光彰の姿があった。


 無防備な光彰に向かって、黒い刃が飛んでゆく。周りは皆、乱闘に巻き込まれて、光彰のことに気付いていない。


 頭で考えるよりも早く、私は駆けていた。妖力を使って刃の向きを変えようとしたが、出来なかった。道仁の力は、私のそれを超えているようだ。


 しかし、黒い刃が光彰を傷つけることはなかった。見れば光彰は、黒い刀を手にしている。それは、鬼を斬ることが出来る刀――――鬼斬丸。光彰は、鬼斬丸を使って黒い刃を跳ね返したのだ。


(なんじゃ、『俺は弱い』と散々言っておきながら、なかなかやるではないか)


 そう心の中で呟きながら、私は何故だか妙に嬉しかった。光彰の頼もしさが、私の心の中に勇気を与えてくれるようだった。


 ところが、群集の中から私を見つけて駆け寄って来た光彰は、怖い顔をして怒鳴った。


「何が身を守っていろだ、何が外へ出るなだっ!」


 何のことを言っているのだろうと思えば、つい先程私が光彰に向けて放った言葉を繰り返しているのだ。


いた女を一人戦わせて、俺が隠れているだけの男だと思うなっ!!」


 私の胸を、鋭い光の矢が射した気がした。


 私は、光彰と肩を並べて、道仁に立ち向かった。光彰の振るう鬼斬丸は、確実に道仁の力を削いでいく。これなら勝てる……そう確信した。


 光彰と目を合わせる。それだけで、心が繋がっているような気がする。


 その時、ふいに私を見る光彰の目が驚愕に見開かれていった。なぜだろう。


「お前……その姿は……」


 私は、はっとして自分の頭に手をやった。激しい戦闘が続いた所為で、飾りが解けて、二本の角が露わになっている。


 私は、光彰の私を見る目をそのまま見ていられなくて、顔を背けた。


 もう隠せない。私の正体がバレてしまった。


 光彰には、知られたくなかった。でも、同時に肩の荷が下りたような、ほっとした心地もする。


 私の動揺した隙を狙うかのように、道仁の低く笑う声が響いて聞こえてきた。


「源頼光の血を引く男に、四天王の血を引く者ども……古き神の怒りを知れっ!!」


 道仁が最後の力を振り絞り、光彰ひとりを目指して襲い掛かるのが目に入った。


 考えるよりも先に、私は走っていた。


 この男を死なせたくない。心にあるのは、ただそれだけだった。


 私は、道仁の身体を背中から羽交い絞めにするような形で抱きしめた。道仁の身体に纏わりついていた黒い靄が私の身体にも絡みつく。皮膚を刺すような痛みと、何かが焼け焦げる不快な臭いがした。それでも絶対にこの手を放すものか、と道仁をきつく両の腕で抱きしめる。


「光彰! 鬼斬丸で、私を斬れ! 道仁を……私ごと斬るのだ!!」


 一瞬、私を見る光彰の瞳に動揺と迷いが走った。その空色の瞳が〝嫌だ〟と告げている。それだけで私には、涙が溢れるほど嬉しかった。


(道仁は、今ここで倒しておかねば、必ずまた何度でも同じことを繰り返すだろう……)


 そして、私の心は既に選んでいた。あの桃園で、空を映したような瞳と出会った瞬間ときから――――。


「源 光彰! お前の覚悟は、その程度のものなのかーっ!!」


 私の言葉に突き動かされたように、光彰は刀を構えた。そして、刃の切っ先を、道仁を抱きしめる私ごと突き刺した――――!


 手応えは確かにあった。目の前にある道仁の顔が苦痛に歪み、意識を手放すのが分かった。同時に、私の視界も白くぼやけていく。


「紫焔ーーーーっ!!!」


 気が遠くなってゆく中で、光彰の私を呼ぶ声を聞いた気がした。

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