第二十話 鬼姫、求婚される。
青い空に白い雲がゆっくりと流れてゆく。
床板のひんやりとした硬い感触を頭の下で感じながら、私は空を仰ぐ。
こうして空を見ていると、どうしても思い出してしまう男がいる。この空と同じ色を宿した瞳を持つ、あの男――――源 光彰を。
(まさか光彰が頼光の子孫じゃったとは……)
胸が、ぎゅっと掴まれたように痛む。
辛い。どうしようもなく辛い。身体がずっしりと重たく、起き上がるのすら億劫だ。
それでも、空を仰がずにはいられない、この気持ちは何なのだろう。
私の心は、このまま一体どこへ流れていくのだろうか。
「……おい、おいっ! いつまでそこでそうやってるつもりだ?!」
貞晃が何か怒鳴っている。何をそんなに怒っているのだろうか。
「オレは仕事から帰って来たばかりで疲れてるんだ。寝たいんだよ」
「寝ればよかろう。ここはお主の部屋じゃ。好きにせい」
ここは、陰陽寮の中にある一室で、貞晃が天宮に寝泊まりする際に利用する部屋だ。天宮の内側ではあるが、後宮の外にある。
最近私は、こっそりと後宮を抜け出して、よくここを訪れている。貞晃にもらった白拍子の服と狐の面を被り、陰陽寮への遣いだと言えば、衛門士たちがすぐに通してくれるのだ。
「わかってるなら、そこをどけっ! お前がそこでうじうじしていると、気になって寝れないんだよっ!」
「なんじゃ、心配してくれておるのか。お主、意外と優しいところがあるのじゃな」
「なっ……! 心配なんかしていない! 邪魔だから帰れと言ってるんだっ!」
「後宮は今、
大嘗祭とは、新王が即位した年に行う祭りで、その年の豊穣を神に感謝する意味もある。その一方で、新たな王が即位したことを神に告げる、即位式のような一面もあるのだ。
「なら、お前も帰って手伝えば良いだろう」
「はぁ~……それが嫌じゃから、こんなところにおるのじゃ」
「こんなところで悪かったな。さっさと帰れっ!」
「よいではないか。私とお主は同志であろう」
「お前と同志なんぞになった覚えはない」
(冷たいのぉ~……)
だが、貞晃の口の悪さも、ここ最近では慣れてしまった。むしろ、今の私にはそれが心地良い。もしかして私は、どこか悪いのだろうか。
「そういえば、お主の父と母は、二人とも妖狐なのか?」
「……いや、父だけだ。母は人間だったが、オレを生んですぐに亡くなった」
「そうか、それは辛いことを聞いたな。すまない……」
「……べつに。オレなんかマシな方だよ。こうして陰陽寮で働けているからな。半妖だからと、ひどい扱いを受けてるヤツもいる」
そんなことよりも、と貞晃は、床に寝床の支度をしながらぼやく。
「全く次から次へとよくもこう事件が続くな、新王の御代は」
〝新王〟という言葉に思わず反応してしまう。私のコレは、一体何という病気だろうか。
「……また、何かあったのか?」
「神鏡が盗まれたんだよ」
「……神鏡?」
「代々天子様が引き継いでいる三種の神器のうちの一つさ。御伽草子にも出てくるだろう。〝人に化けた鬼の正体を映すことが出来る鏡〟のことだよ」
「……鬼っ?!」
思わず私は、がばりと跳ね起きた。頭にかぶっていた狐の面がずれ落ちる。
大倭国で読み継がれている御伽草子なら、私も鬼雅島で読んだことがある。
傍を通りがかった舶来の船から物品を奪って……いや、頂戴することで、私たち鬼は、人間たちの生活をある程度知識として蓄えている。御伽草子のもそのうちの一つだ。
「今度の大嘗祭にやる王の即位式で必要だからって、陰陽寮に探せだと。兵衛府も衛門府も……まったく武官というのはやはり無能だな!」
どこかで似たような台詞を聞いた気がする。
そうだ、建春門で初めて貞晃と会った夜に、貞晃が似たような台詞を吉綱に向かって吐いていた。あの時からまだ一月半ほどしか経っていないというのに、やけに遠い日の出来事のように感じる。
(神鏡を盗んだのは、もしかして光彰に王位を渡したくない鳳凰院の仕業か……?)
考えすぎか、と再び床に横になる。そもそも邪魔をしたところで、既に譲位している鳳凰院には何の得にもならないではないか。
「そんな大事なものを誰も警備しておらなかったのか」
「もちろん、してたさ。衛士がなっ! ……ただ、この前、美櫛殿で女官が生霊に殺された事件があっただろう。あの騒ぎで警備が手薄になっていた所を狙われたんだ」
あの時のことを思い出すと、まだ胸が痛い。孝子のことを救ってやれなかった自分が憎い。私は無力だと、改めて思い知らされた。
(花智子の死の真相も、結局わからぬままか……)
清澄には、あれから文を出していない。定期的に文を出していたので、心配しているかもしれない。
ただ清澄は、近衛府として大嘗祭の警護を司るらしい。色々と準備で忙しく、私のことに構っている余裕はないかもしれなかった。
「……じゃが、何故そのようなものを盗む輩がおるのじゃ」
「さあな。売っぱらって金にでも変えようとしてるんじゃないのか。おかげで、こっちは人手不足なところを無理やり駆り出されて鏡探しだよ、やってらんねー」
「鬼の正体を映す鏡……そんなものがあったら、私は困るな」
「なんでだ?」
「なんでって……」
その時、私の頭にはっと閃くものがあった。天啓に近かったかもしれない。
――神鏡を盗んだ犯人は、鏡に映る自分の正体を知られたくなかったのではないだろうか?
「その儀式とやらでは、誰が神鏡を持つ役をするのだ?」
「さすがにオレもそこまでは知らない。儀式の内容は秘儀とされていて、神祇官と儀式を行う少数の者しか知らされないんだ」
「その儀式を行う者とは、神祇官の他に誰がおるのじゃ?」
「まず新王だろ、それから本来なら前王も儀式に参加する筈だ。けど、皇王はもう死んでるしな。あとは、蔵人頭の二人だな」
(まさか光彰が……いやいや、それはないな。いくら何でもそれはない)
源頼光の血を継ぐ光彰が、鬼である筈はない。
「おいっ、急にどこへ行くんだ?」
「確認せねばならぬことができたでな、後宮へ帰る」
それから後宮へ戻った私は、幾つかの気になることを確認して、確信した。
花智子を殺した犯人が誰か、ようやくわかったのだ。
その日、私は生まれて初めて清澄以外の男へ向けて文を書いた。
*❀*✿*❀*✿*❀*✿*❀*
三日後の夜、私は、文で呼び出した相手を待っていた。
今は使われていない
そこへ、誰かが近づいてくる足音が聞こえて来た。
「お主だったのか。花智子を殺したのは」
「どうしてそう思うのですか?」
「初めは、鳳凰院が怪しいと思った。気が触れてしまった所為で、花智子を殺してしまったのかと……でも、それは違った」
私は、奈津美の紹介で、彼女の義母であり、鳳凰院の乳母でもある
彼女は今でも、息子を殺されたかもしれない鳳凰院様の傍で女房を務めている。
そのことが不思議で理由を尋ねた私に、秋流は真っすぐ私の目を見て答えてくれた。
『鳳凰院様は、確かに少し人とは変わったところのある御方ではありますが、人を殺すような恐ろしいことをする方ではありません。ましてや、血の繋がったご兄弟たちよりも親しくしてくださっていた将明を殺すなど……決してありえません』
「鳳凰院の乳母が違うと言うているのだ。直接本人に会って聞いたのだから間違いない。それに、自身の息子を殺したと疑われている人物を庇う義理はないじゃろう」
秋流は、他にも鳳凰様が幼い頃から小食で心配だった話や、肉よりも野菜を好むという話を聞かせてくれた。鬼は皆、大食で肉を好む。妖力を使うには、血肉から得る養分が必要なのだ。鬼ではありえないと思った。
「確かに、生まれた時からずっと傍で遣えてきた乳母の言葉なら……しかも自分の息子を失っている立場での言葉は重みがありますね。ですが、そこからどうして私が犯人だと思われたのですか?」
「キッカケになったのは、先日天宮から盗まれた神鏡の話じゃ。あれには、鬼の正体を暴くという力がある。だから盗んだ者は、鬼であることを隠して天宮で生活している誰かではないか、と思った。そして、明日行われる大嘗祭では、新王の即位式にその神鏡が必要になる。だから、その時に神鏡に近づく者が怪しいと睨んだ」
「神祇官と新王、そして二人の蔵人頭……四人のうち、何故、私がそうだと?」
「幽鬼となった花智子が、既に手掛かりをくれていたのじゃ」
あの夜、幽鬼の花智子は何かに怯えながら、ある一点を指さしていた。
しかし、その方向に清澄が立っていたために、あの時は何を指さしていたのか分からなかった。後で知ったのだが、清澄が立っていた背後には、外記局の殿舎がある。
私は、顔見知りになった衛門士らが、建春門のことを「外記門」と呼んでいたのが気になり、そのことを知った。建春門は、門のすぐ外に外記局の殿舎があったことから「外記門」という異名を持つらしい。
「幽鬼の花智子は、犯人が外記局の人間だと示していたのじゃ。確かお前は、その外記局で筆頭にまで上り詰めたと……光彰が言っておった。そうだな、菅原 道仁よ」
道仁は、その整った顔に薄っすらと笑みを浮かべた。
「確かに私は、二年前まで外記局の筆頭を務めておりました。ですが、それだけで私を疑うというのは、いささか早計ではありませんか。ただの偶然でしょう」
「それだけではない。花智子が文をやりとりしていた記録がある」
秋流から、源 将明が死んだ日を教えてもらった私は、もう一度文司へ行き、記帳から花智子のやりとりした文の記録を探った。
すると、あることに気がついた。
父親である道仁に宛てて、定期的に文のやり取りをしていた花智子が、ある日を境にぱったり文を送らなくなっていたのだ。
そのある日というのが、源 将明が死んだ日だった。
つまり、その日、花智子と道仁の間に何かがあったのだ。
「源 将明が死んだ日、花智子は、父親である道仁の恐ろしい一面を知った。……これは推測でしかないが、おそらく将明を殺したのも、お前なのではないか。花智子は、そのことを見たのか、鬼であるお主の正体を知った。だから、正体がバレそうになったお主は花智子を殺した。違うか?」
逆に、鳳凰院への文は出している。文の内容までは分からないが、おそらく鳳凰院を慰める文でも送っていたのだろう。
そのことは、乳母である秋流が証言してくれた。譲位してからも毎日のように文を送ってくれていたのは、花智子女御だけであったと。
「文が途絶えたことは悲しいですが、それは単に娘が親よりも夫を優先したというだけのこと。そのことが私を犯人だと裏付ける証拠にはなりません」
「お前は、前に言ったな。花智子が、鳳凰院はとても恐ろしい方だと文に書かれていた、と。おかしいではないか。鳳凰院の気が触れた日――源将明が死んだ日以来、花智子はお主に文など送っていないのだから。では、何故そのような嘘をつく必要があったのか。それは、お主が花智子を殺した犯人だからじゃ。鳳凰院に罪をなすりつけようとしたのではないか」
「申し訳ありません。どうやら私の思い違いだったようです。文ではなく、花智子に直接会って聞いたのです」
「それに、匂いのこともある」
「匂い?」
「お主、私と初めて会った時に、匂いのキツイものは苦手だと言っておったじゃろう。それは、鬼の鼻がよく効きすぎるからではないか」
天宮では、とにかく皆、薫物を好んで使う。それは、趣味嗜好というだけでなく、薫物が生活の必需品でもあるからだ。
「天宮では、薫物が邪を払うと信じられていて、皆、部屋には必ず薫物を焚いているものだ。その匂いが苦手だというのは、文化人であるお主にしてはおかしいではないか」
「なるほど。ですが、そこに気付くということは、あなたの正体もそうだと告白してくださっているのかな」
「………………え」
(しまったーーーーっ!!! 諸刃の剣じゃった!!!)
「まさかこの天宮で同族に出会えるとは…………すまない。少々気持ちが高ぶってしまっているようだ」
道仁は、目頭を押さえてしばらく黙った。私は驚いた。
「鬼に会えたのが、そんなに嬉しいのか」
「ええ、嬉しいですよ、この上なく…………私は、これまでずっと一人で生きてきたのですから」
私は、道仁の目を見た。そこに、嘘があるようには見えない。
「輝夜様も御存知でしょう。この国に伝わる御伽草子を。この大倭国では、鬼という存在自体が否定されている。何故なら、源頼光という男が、かつてこの国から鬼を退治してしまったから」
〝幽鬼〟や〝鬼〟という言葉自体は、大倭国の民がよく口にする言葉だ。だが、その反面、〝鬼などいるわけがない〟とも言う。
これまでそのことに何となく違和感を覚えていた。つまるところ〝鬼〟という存在を御伽噺にすることで、民の心から不安を取り除き、天子こそが民に安寧を与えてくれる存在なのだと知らしめるためであったわけだ。
「輝夜様は、御存知ですか? 鬼の正体を」
「鬼の正体? 鬼は鬼だろう。それ以外に何がある」
「私たちを鬼と呼んでいるのは、大倭国の人間たちだけなのです。私は、自分の異端さを産まれながらに呪って生きてきました。そして自分のことを調べるうちに、ある古い文献に行きついたのです。鬼とは、かつて神だった存在なのだと」
「神だと? そんなまさか……」
荒唐無稽な話だと思った。それこそまるで御伽噺のようだ。
「これは御伽噺ではないのです。この大倭国を創り上げたひの神によって、私たちの祖である神は〝荒神〟と呼ばれ、やがて〝妖かし〟として駆逐される対象になっていった……これが真実です」
話が途方もない方向へいき、私の理解が追いつかない。それが真実かどうかは置いておき、私にはまだこの男に確認しなければならないことがある。
「道仁……お主の目的は何だ。それにお前は、道仁などではないな。鬼じゃ。鬼には、姿を自由に変化させることができる」
私は、その術を知らないものの、私の産みの母である
「私の目的は、この大倭国を取り戻すこと。かつて、私たち鬼を敗訴した古き神の血を継ぐ〝天子〟と呼ばれている、この国の王から」
そして、あなたも鬼だ、と道仁は仄暗い笑みを浮かべた。
「考えてみてください。私は、この国の王となり、あなたはその后になる。共に手を取り合い、この国を憎きやつらの手から取り戻しましょう」
そう言って道仁が差し出した手を、私は払うことも取ることも出来なかった。
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