迎春
明星
迎春
「ねー、何読んでるの?」
椅子と反対向きに座った小春が後ろの席の涼子にそう聞くと、涼子はそれまでほとんどぴったりと本にくっつけていた顔をむくりと上げた。少し空いた窓から吹き込む風がカーテンと、涼子の黒い髪を揺らす。
「前も教えたけど」
さらりと流れる黒髪の間からのぞく目は、じとりとこちらを睨んでおり、 小春は気まずげに目線をそらす。小春のその反応に、涼子は軽くため息をつく。
「島原の乱について」
「また歴史の本?涼子ほんと好きだね」
「温故知新。過去を知らないものに未来を知ることはできない」
「おわ、きびしー」
小春がぼやくと、涼子に先ほどよりもキツく睨みつけられ、閉口する。
「天草四郎。当時16歳くらいだって、すごいよね」
「アマクサシローって確か」
「島原の乱の指導者で、死んじゃった人」
「そんなに若いのに死んじゃったんだ…」
小春は見たことのない少年を脳内で思い浮かべる。現代に生きていれば自分と同学年だろうか。親近感を抱いてしまうと、はるか昔であるはずのその死に、少し心が痛んだ。
「うわ、すごい」
涼子と別れた帰り道、小春がなんとなく普段と違う道を通っていると、もうすぐ秋だというのに満開の桜の樹があった。住宅街の中にひっそり存在する桜は妙に神秘的なものを感じさせる。ひらひらと落ちてくるその桜の花を見て、桜の花びらを落ちる前にキャッチすると願いが叶うというおまじないを思い出した小春は、背負っていたカバンを桜の樹にもたれ掛けさせるように置き、花びらを追いかける。
「やった」
3度目にしてようやく成功して、ぎゅっと握りしめた手を開くと。
世界が一変していた。
「え」
慌てて周りを見回したが、アスファルトだったはずの地面は土に変わり、周りにあったはずの家々は何もない更地へと変わっていた。
「ど、どういうこと」
あまりのことに頭の中で誘拐?ドッキリ?夢?と、言葉がぐるぐると回る。スマホを探すが、カバンに入れたままで、そのカバンも見当たらない。しばらく状況が理解できずその場で立ち尽くしていたが、ハッとして人を探す。
「誰かいませんか!」
声を張り上げるが、あたりに人の気配はしない。小春は誰かいませんか、と叫びながら、人を探そうと、走ってこの場をはなれようとするが
「いたっ」
動揺からか足がもつれ、小春は転び、そのまま倒れこむ。じわり、と小春の目に涙が浮かんだとき、声が聞こえた。
「そこで何をしている」
その少年はこちらを疑うような険しい顔をしていたが、やっと人に出会えた小春にとっては気にかかるようなことでもない。
「うっ、うっ、うわぁーん」
「えっ」
幼い子供のように手足を放り出して泣く小春に、少年はさっきまでの警戒をといて、あたふたと小春を宥めようとする。
「ど、どうしたんだ。そんなに泣いて」
「うわぁーん」
「ほら、泣かないで、大丈夫だから」
「うわぁーん」
「どうしたら…」
その後、小春が平静を取り戻すまでずっと、少年は親身になって小春の話を聞いてくれていた。
「では、自分がどこから来たかも、どうやって帰るかも分からないんだね」
「うん…」
泣きながら青年に一通りの事情を説明したところ、青年はフム、と顎に手をあてて少し考えている様子だった。少年は目鼻立ちのくっきりとした美少年で、小春と年が近そうだった。こんなときだが、美しい少年の目の前で子供のように泣いてしまったことを思い出し、小春は恥ずかしそうに前髪をちょいちょいと直す。
「よし。では、しばらくは私が面倒を見よう」
「え、いいの!?」
「ああ。この辺りは今複雑な状況にある。身元の知れぬ人間は怪しまれるだろうから、一人で行動するのは危ない。私の親戚ということにするから話を合わせてくれ」
「う、うん!ありがとう!」
小春は青年とともに立ち上がり、そういえば、と思い出す。
「あの、あなたの名前は?」
「そういえば、まだ名乗っていなかったな。益田時貞だ」
「私は宮内小春」
「そうか。小春、よろしく頼む」
「よろしくね、時貞くん」
そうして小春は時貞のあとを追うようにして歩き出した。
「今はここを拠点としている」
時貞が案内してくれたのは茅葺き屋根の一軒家が集まっている村のようなところだった。時貞は、その中でも一番大きな家に小春を案内する。
「うわぁ、すごい。昔のお家みたい」
「昔…?」
小春がキョロキョロと中を見回していると、
「四郎様」
という声が聞こえた。
四郎?と小春が疑問に思ったが、時貞がすぐに女性に対応する。
「ああ、お鶴さん。丁度良かった。こちら、私の親戚の小春だ。天涯孤独の身となり、私を頼って天草まで来たんだ。気にかけてやってくれ」
「あらあら、お若いのに大変だったでしょう」
「い、いえ…」
声をかけてきた初老の女性は小春の手をそっと握る。その弱弱しさに小春はぎょっとする。女性は手を離すと二人にペコリと頭を下げる。
「皆にも知らせてきますね」
「ああ。頼む。それから、何か女人用の着物を用意していただけるか?」
「ええ、もちろんです。すぐに」
小春は去っていく女性の弱弱しい足取りを心配そうに眺めていたが、時貞に家の中へと招かれ、そちらへ向かう。
「鶴さんが持ってきてくれたらすぐに着替えよう。その面妖な着物では目立つだろう?」
小春は自分の服を見たが、一般的なブレザーの制服でおかしなところは感じない。
「別に普通の服だけどな。私にとっては時貞くんのほうが珍しいよ」
身の回りで日常生活で着物を着る人間がいなかった小春にとっては時貞の出で立ちは物珍しい。時貞はその言葉に少しきょとんとしたが、先にこの状況を説明することを優先する。
「それはおいておくとして、先ほどは詳しく事情を説明しなかったからな。ここなら落ち着いて話ができる」
「ええと、複雑な状況にあるって言ってたよね」
「ああ。今ここは反乱軍の拠点の一つなんだ」
「反乱軍?」
時貞はこくりと頷く。
「藩主からの重い税に耐えられず、何人もが飢えて死んだ。税を納められなかったものは拷問や処刑され、農民たちは限界だった。そこで反乱がおきた」
「処刑って、税金が払えなかっただけで殺されちゃうの?」
「ああ」
小春はバッと口をおさえる。自分の生きてきた世界とあまりに違う常識に混乱し、恐怖していた。
「そこに弾圧されたキリシタンが加わり、反乱軍となった」
「時貞くんも反乱軍の一員なの?」
「そうだよ」
「まだ子供なのに…」
小春はどこかで聞いたことがあるようなひっかかりを感じたが、それよりも自分と同じ年ぐらいであろう時貞への心配が勝り、口にした言葉だが、時貞は不満げな顔をした。
「私はもう子供ではない」
「子供だよ。私とそんなに変わらないでしょ」
「私は16だ」
「まだまだ子供じゃんか。その年ごろの子は大人に守ってもらうものだってお母さんも言ってたよ」
その言葉に、時貞は目を丸くする。
「小春は本当に不思議なことを言うな。一体どこから来たんだ?」
「別に変なところに住んでたわけじゃないよ」
小春は一瞬ムッとした顔をしたが、時貞が眩しいものを見るような顔をしているのに気が付き、困惑して口を閉じる。時貞がなぜそんな顔をしたのかがわからなかった。
「早く家に帰してやりたいが、ここはいずれ戦場になる。すまないがもう少しの間辛抱してくれ」
「戦場になるって…」
小春がおびえたのに気付いたのか、時貞が安心させるように微笑む。
「心配しなくていい。きみを巻き込んだりはしない」
「あの、ここってどこなの?私の暮らしてたところと全然違うんだけど」
ああ、と時貞は頷く。
「そういえば言っていなかったな。ここは島原だ」
「しま、ばら?」
その瞬間、小春は先ほど覚えたひっかかりが何だったのか気付く。島原、反乱、キリシタン。ずっとまさかとは思っていた。でもそんなことあるはずがないと自分に言い聞かせていた。
「私、タイムスリップしちゃったんだ…」
「ん、どうかしたのか?」
「あっ、あの、私!」
「四郎様、お待たせしました」
急な第三者の声に驚き、小春は飛び上がる。
「ああ、お鶴さん。助かった」
「それでは失礼します」
鶴はすぐに出ていったが、小春の心臓はまだバクバクと大きな音をたてている。
「では、私は少し出ているからその間に着替えておいてくれ」
「え?」
小春は時貞から手渡された着物を見る。生地が薄いのに、少しごわごわして手触りが悪い。
「あの、私着物の着方わからないんだけど…」
「ええっ!?」
時貞は子供っぽく驚くが、ごほんごほん、と咳ばらいをして、すぐに取り繕う。案外、子供っぽい方が素なのかもしれないな、と小春がぼんやりと思っていると、少し怒った顔の時貞がすぐそばにいた。
「ますます不思議な子だな、君は」
「ええと、ごめんね…?」
時貞は、はぁ、とため息をつくと、鶴を呼びに行こうとして立ち止まる。
「いや、着物を着れないというのはさすがに身元を怪しまれるか」
時貞は、よし、と気合を入れると、くるりと戻ってくる。
「私が着付けを教えよう。それを覚えてくれ」
「え、時貞くんの前で脱ぐの?」
「脱がなくていい!その服の上から着付けるから、後で自分で着なおしてくれ!」
顔を真っ赤にさせた時貞に教えてもらい、その後四苦八苦しながらなんとか着替えると、そのまま夕ご飯ということになった。
「先程から様子が変だが、何かあったのか?」
時貞に声をかけられ、小春は慌てて顔を上げる。
「ううん。なんでもない」
嘘だ。実際はずっと、自分がタイムスリップしてきたのかもしれない、という話をするかどうかで悩んでいる。伝えたとして頭のおかしな子だと思われるだけで信じてもらえないのではないか、という気持ちと、本当にタイムスリップしてきた場合、普通の方法では家に帰ることができないのだから伝えた方がいいのではないか、という気持ちがせめぎあっている。
時貞がまだ何か言いたげにしているのを見て、小春は慌てて話題を変える。
「そういえば、名前、四郎様って呼ばれてたけど」
「ああ、私は益田四郎時貞と言うんだ」
「それで四郎様って呼ばれてるんだ」
「…まあ、そんなものだな」
時貞はそれきり黙ってしまったが、話しかけられたらほぼ確実にボロを出すと思っていた小春は、これ幸いと話しかけることなく食事を進める。
出された食事は普段食べていると白米と違い、雑穀のようなもので、ますます小春に過去に来てしまったのではないかという疑念を植え付けた。
日が傾いてきたころ、遠くから小春を呼ぶ声が聞こえた。
「小春様、四郎様がお呼びです」
「はーい!今行きます」
伝言を任されたのであろう、遠くから走ってきた少女に、大声で応えると、小春は額の汗を着物の袖でぐっと拭う。ここに来て、もう1か月はたっただろうか。慣れない田んぼ作業で体中あちこち痛いが、やることがある方が気が紛れて幾分かマシだった。小春はいまだに時貞に未来から来たことを告げることができていない。
トテトテと小走りで家に向かうと、戦装束に身を包み、十字架を首から下げた時貞がいた。時貞はいつもこの家にいるわけではなく、今回も久しぶりの帰還だった。
「おかえり、時貞くん!」
「ああ。きみも頑張っていたようだね」
時貞は土や汚れでドロドロになった小春を見て、クスクスと笑う。
「もう体中筋肉痛だよ!」
「きみ、農作業なんてやったこともなかったものね。足をとられて頭から田んぼに突っ込んだ時なんて、ふふ」
「もー!うるさいなー!」
時貞は終始楽しげだ。最初に出会ったときはわからなかったが、時貞は意外と人をからかうのが好きなようで、小春にもよくちょっかいをかけては怒られていた。
「皆とはうまくやれているかい?」
「もちろん!時貞くんの親戚だって言ったらみんな親切にしてくれるよ」
「それはよかった」
実際、稲作なんてやったこともない小春は相当驚かれたし、足手まといではあったのだろうけど、時貞の親戚ということでずいぶん優遇してもらったように感じる。
時貞は戦装束を外し、楽な着物に着替える。一つにまとめられた黒髪を流す姿がとても様になっている。
「今日は少々大切な話があるんだ」
先ほどまでのにこやかな雰囲気と違い、真剣な面持ちの時貞に、小春は少しビクリとしながら時貞の正面に座る。
「反乱軍は富岡城の城主を討ち取ったが、城自体を攻め落とすのは難しいだろう。近いうちにここから撤退することになるはずだ」
「じゃあ、ここを出ていくってこと?」
時貞はコクリと頷く。
「きみを故郷へ帰してやりたいが、今は私のもとにいるのが最も安全だと思う」
「分かった。ついていくよ」
小春は間髪入れずにそう言った。思い切りがいいところが小春のいいところなのだ。ここに来てからはその良さを発揮できずにいたが、ここに来て調子を取り戻してきた。それと対照的に時貞はいつになく沈んだ様子だった。
「きみを戦に巻き込みはしないといったのに、結局巻き込んでしまったな」
「そんなの、時貞くんのせいじゃないでしょ」
「それは…」
小春は笑ってそう言ったが、時貞はより一層沈んでしまったように見えた。
「…どうしたの?」
小春の言葉に、時貞がなにか応えようとした時だった。
「四郎様ー!!」
男の大きな声が響き渡る。
小春が反応するよりも早く、時貞は戦装束を手に取り、家を駆け出ていく。一呼吸おいて、小春も時貞を追いかける。
「どうした!」
男は時貞を見つけるとバッとひざまずく。
「幕府の兵が富岡城に…!」
「こんなに早く!?急ぎ兵を撤退させよ!」
「撤退の必要などありません!」
伝えに来た男とは別に、兵士風の男が数人出てくる。
「幕府に我々の力を見せつけてやるのです!」
「そうです!あなた様がいれば我々が負けるはずがない」
「我らの救世主。天草四郎様!」
ガツン、と頭が殴られたような感覚がした。
涼子の言葉が頭の中でなんども繰り返される。「島原の乱の指導者で、死んじゃった人」聞いたときはときは少し心が痛んだだけで、ずっと昔の話で、私には関係のない話だと思っていた。
「アマクサ、シロウ?」
時貞がハッと小春のほうを振り返ったが、唇をきゅっと噛みしめ、すぐに男のほうを向く。
「とにかく、一度富岡城に向かう」
そう言って、行ってしまおうとした時貞の腕を小春がパッとつかむ。
「待って、時貞君!」
時貞は一瞬困ったような悲しんでるような顔をしたが、すぐに小春の手を振り払う。
「すまない小春。話なら後で聞く!」
そういうと時貞は今度こそ行ってしまい、すぐに背中すら見えなくなった。
くらり、と地面に倒れこみそうになる小春を鶴が支える。
「心配しなくても大丈夫ですよ。四郎様には主のご加護がありますから」
鶴の表情が明るかったことから心からそう言ったのだとわかるが、小春にとってそれはほんの少しの安心にもならなかった。なぜなら、小春はもう、天草四郎が死んでしまうことを知っていたから。しかし、反抗する気力すらなく、小春は鶴にうながされるまま家に入った。
時貞が戻ってきたのは5日後のことだった。撤退することが決まったらしく、小春や拠点の女子供をつれて、反乱軍は原城に入ることになった。その間、時貞とは話すことができなかった。
原城に入ってからは小春は鶴や拠点にいた女たちと過ごしていた。兵の間ではピリピリした空気が漂っていたが、一緒にいた農民たちは恐ろしくなるほど楽観的だった。心の底から神が助けてくれると信じているようだった。
「あの、時貞くん見ませんでしたか?」
通りがかった人に聞いてみたが、きょとん、という顔をされて小春は言い直す。
「ええと、天草四郎様は見ませんでしたか?」
「天草四郎様ぁ?会えるものなら俺が会いたいよ」
「お嬢ちゃん、天草様に会ったことがあるのかい?」
突然知らないおばさんが割り込んできて、小春はコクコクと頷く。
「本当かい!?」
「ほんとなの?」
すると、その会話を聞いたのか、たくさんの人が集まってきた。
「天草四郎様って海を歩いたって本当かい!?」
「俺は盲目の人間を治したって聞いたぞ!」
「なぁ天草四郎様はどんなお姿をしてるんだい!」
「ピカピカ光ってるんじゃないか?」
「教えてくれよお嬢ちゃん!」
知らない大勢の人間にもみくちゃにされながらも、小春は必至で口を開く。
「時貞く、天草四郎様は普通の男の子だよ!」
「なんだって?」
「そんなはずがないだろ」
「だって天草四郎様は我々の救世主なんだから!」
みんなが笑っていた。戦場で、十分な食事をとれているわけじゃないのに笑っていた。だが、その笑顔は平和や暖かさからくるものではなかった。みんながおかしくなっていた。
「お前、実は会ったことなんてないんだろう」
「そうだ、嘘をついたんだな」
「天草四郎が、普通の人間なはずがない!」
気付けば人々は小春を敵視するように睨みつけて、あたりを取り囲んでいた。
「天草四郎、我々の指導者」
「救世主!」
「どうか、我々をパライソへ!」
小春は逃げ出すようにして、その場から走り去った。それからはそういう目に合わないように、誰にも話しかけずに、慎重に時貞を探した。
そして、探し回って3日ほどたったころ、小春はようやく時貞を見つけることができた。人だかりの中に彼はいた。
「四郎様!我々は救われますよね!もし死んでもパライソへ行けますよね」
「…ああ。皆には主のご加護がある」
「ああ!よかった!」
少しして人ごみを抜け出した時貞の後を小春は必死に追いかける。人々から遠ざかったところで、ようやく声が届く距離になった。
「時貞くん!」
「っ、悪いが今は忙しくて」
「あとで!話してくれるって言ったよね」
「それは…分かった。少しでいいなら」
強引に時貞を引き留めた小春だったが、いざとなると急に言葉が出てこなくなる。気まずい沈黙があたりにたちこめると、それを破るように時貞が口を開いた。
「騙すつもりはなかったんだ」
小春がパッと時貞のほうを見ると、時貞は目をそらす。
「益田時貞は私の本名だ。嘘をついたつもりはなかった。ただ、きみがいつまでも故郷への帰り方を探せないのは、私のせいだから、天草四郎のほうの名を言い出しにくくなってしまって」
すまなかった、と時貞は頭を下げる。その光景を、小春は茫然としながら見ていた。小春は嘘をつかれたなどと思って、あの時時貞を引き留めたのではない。時貞が死んでしまうと思ったのだ。
「ち、違う。そんなんじゃないよ」
「どうした、顔色が悪い。体調が悪いのか?」
小春の様子を見て、時貞が人を呼ぼうとするが、それを小春が制止する。そしてゆっくり息を吸った。
「時貞くん、私、未来から来たんだ!」
時貞の目がゆっくりと見開かれていくのが分かった。何か話そうとしているのだろうが、言葉が出てこないようで、口を少し開けては閉じてを繰り返していた。ようやく悲痛な顔をした時貞が口を開く。
「じゃあ、君は帰れないのか?」
その言葉で、今度は小春が目を丸くする番だった。
「信じてくれるの?」
「信じるにきまっているだろう」
真摯なその瞳に見つめられ、小春は思わず涙ぐみそうになったが、まだ伝えられてないことを思い出す。
「待って、未来からきたこともそうだけど、私時貞くんに伝えなきゃいけないことがあって」
そのとき、遠くから四郎様ー、と呼ぶ声が聞こえる。時貞が声のほうをちらりと見た後、小春の腕をつかむ。
「静かに」
端的につげられた言葉に小春はコクリと頷く。
そっと積み上げられた藁の後ろに隠れると、二人の男の声が聞こえてくる。
「いないみたいだな」
「まさか逃げたんじゃないだろうな、あの子供」
「それこそまさかだろ。今更逃げ帰る場所なんてどこにもないんだから」
どういうことなんだろう、と小春は思った。反乱軍のみんなは病的なまでに時貞を信頼しているようだったのに、この声の主はまるで時貞を馬鹿にしているような物言いだった。
「あいつのおかげで前よりずっと兵が増えた。救世主様様だな」
「でも所詮はキリシタンと農民だろ?役にたつのか?」
「質より数だ。これだけの人数がそろえば幕府にだって痛い思いをさせれる。復讐できるんだ」
「それもそうか。なら、これからもあの子供には救世主を続けてもらわないとな」
「ああ。とっとと見つけるぞ」
足音が二人聞こえなくなるのを待って、時貞は小さな声で、場所を変えようと言った。
「ここでいいか」
時貞が小春を連れて来たのは城の隅の人通りがほとんどないところだった。
「それで話とは?」
小春は先ほどの男たちの会話や、農民の様子などを思い返し数秒逡巡したが、先に話すべきだと覚悟を決め口を開く。
「私は西暦2024年のこの国からきた、んだと思う」
「ああ」
「それで、未来では、天草四郎は」
そこでまた口を閉じてしまった小春だったが、時貞はせかすことなく待っていた。実際にはものの数秒のことだろうが、小春にとっては永遠にも等しく感じた。
「天草四郎は、島原の乱で、死んじゃったって言われてるんだ」
言ってから、しばらく小春は顔を上げられなかった。時貞の顔を見るのが怖かったのだ。しかし、おそるおそる顔をあげてみると、時貞は穏やかに微笑んでいた。
「きみがずっと黙っているんだもの。そんなことだろうと思った」
「…なんで笑ってるの?死んじゃうんだよ時貞くん」
「そうかもね」
「そうかもって、私冗談で言ってるわけじゃないんだよ!本当のことで」
「どれだけ兵をあつめたところで、幕府が本気になれば勝てるわけがない。私はこの戦いで死ぬんだろうなとうすうす感づいていたよ」
時貞の顔はほとんどあきらめに近かった。原城に来る以前に見せた少年っぽさの欠片もないような大人の顔をしていた。
「じゃあ、逃げようよ!二人で!」
「逃げる?」
「そう。大人たちはみんなズルいよ!時貞くんにばっかりいろんなもの押し付けて。だから、この海を渡ってさ、二人で逃げちゃおうよ」
その時、あはは、と、時貞は初めていたずらっ子のように笑った。
「それ、いいな。この島原半島を出てずーっと遠くまで、きみが帰れる方法を探しながら二人で旅をするのか」
「うん!いいでしょ、だから」
「でも、それはできない」
先ほどまで笑顔だった小春の顔は、みるみるうちに曇っていく。
「なんで…?」
「私が天草四郎だからだ。この戦を始めてしまったから」
「そんなの悪い大人が時貞くんを勝手に祀り上げただけでしょ!」
「始めたのは私だ」
頑なであり続ける時貞に、小春は苛立ち身を乗り出す。
「そんなの!」
「私が、主の声が聞こえたと嘘をついた。皆が飢えに、迫害に苦しんでいた。だから、せめてほんの少しでも希望をと思い、主は皆を見守っていると、パライソへ導いてくださると嘘をついた」
「パライソ…?」
「天国のことだよ。その話はみるみるうちに広がった。最初は良かった。皆が生き抜く希望を見つけられるのなら、どんな奇跡だって演じて見せると思った」
だが、と時貞は自身の首から下げた十字架を握りしめる。
「希望は、反乱へと変わっていった。浪人の怒り、キリシタンの悲しみ、農民の苦しみ、それらが私の起こした奇跡を担ぎあげ、象徴とした。戦が始まってしまった」
「時貞くん」
「もう止められない。私は逃げられない。でも、きみはただ巻き込まれただけだ。なんの罪もない。だから逃げるんだ」
「嫌だよ!」
時貞の腕を掴んで離さない小春に、時貞は困ったような笑みを浮かべる。
「安心してくれ。何も今すぐ放り出そうってわけじゃない。この原城が本当に危なくなったら秘密裏にきみを逃がす。そのための根回しは済んでいる。きみを本当の故郷に帰してあげられないのが悔しいが」
時貞が本当に悲しそうな顔をするので、小春のほうこそ困ってしまった。自分が死ぬと分かっていながら、時貞は心の底から他人を心配することができるのだ。
「そうだ。もうずっと話せていなかったことだし、きみがこの時代にきてしまったとき何をしていたか話してくれないか?何かわかるかもしれないし、きみの生きている時代についてもっと知りたいんだ」
「…私の?」
「ああ、どうだろうか?」
小春がまた泣き出してしまわないか心配しているのだろう。時貞がご機嫌をうかがうように控えめに小春の顔をのぞき込む。その様子をいじらしく感じ、小春は無理やりに笑顔を作る。
「うん、いいよ」
「そうか!よかった」
小春は涙を拭いて座りなおす。ここで何を言ったって時貞は揺るがないだろう。なら、自分にも考えがある。
「じゃあ、まず、私は学校の帰り道で、秋なのに咲いてる桜を見つけて…」
カァカァとカラスの鳴く声が聞こえる。いつの間にか日が傾き、空は橙色へと染まっていた。
「では、小春のいる時代では皆が平和に暮らしているのだな」
時貞は瞳をキラキラさせて言った。
「うん、そうだよ」
「素晴らしい時代だ。道理で小春は抜けているところがあるんだな。平和な証だ」
「抜けてるって言われるの、なんかむかつくな…」
小春がふてくされていると、時貞が空を見上げる。
「もうこんな時間か。楽しい時はあっという間だな」
「…もう、戻る?」
「そうだね」
時貞は立ち上がり、小春に手を差し出す。
「今日は楽しかった。だが、これからはおそらく、このように抜け出すのは難しいだろう」
「もう話したりできない?」
「時間は作るよ。君が帰る方法も探しておくから」
時貞はそれ以上話さなかったし、小春もずっと黙って時貞の後を追った。そうしなければ、逃げようと言ってしまいそうだったから。
それから少したった日の夜。見張りを除いて、皆が寝静まったころ。小春はひっそりと寝床から抜け出した。何日も観察して見つけたルートで見張りを避けながらなんとか城を抜け出すと、兵士の話を盗み聞きしたときに知った幕府軍がある方へと走っていく。
「こんなことしても何の意味もないのかも、しれないけど」
漏れた弱音とは対照的に、小春は決意に満ちた顔つきをしていた。直接見たことはなくても、幕府軍との戦いで何百人もの人が死んだと聞いた。血の付いた鎧や服を着ている人だって何人も見た。
「殺されるかもしれないけど」
それでも、あの優しい少年のために、何もしないなんてこと、小春にはできなかったのだ。
空が白み始めたころ、ようやく幕府軍の兵士を見つけた。走りやすいようにと、時貞が用意してくれたこの時代の服や靴ではなく、制服と学校指定の真っ白いスニーカーで来たが、もはや元の色がわからないほど砂で汚れており、靴底はすり減っていた。
小春の体はどこもボロボロで、もはや気合だけで歩いているようなものだった。
「すみません!すみません、どなたかお話を」
「何者だ!」
「すみません、どうか、話を聞いてください」
兵士たちは訝し気に小春を観察する。
「おかしな格好をしているな」
「この辺りの町娘か?斬り捨てられたくなければここを去れ!」
「どうか、お話を聞いてさい」
「お前、殺されたいのか!」
「それ以上近づくな!」
兵士たちに怒鳴られるが、小春はそれでも歩みを止めない。
「どうか、話を」
倒れこむようにして、兵士にしがみつくと兵士は小春のことを蹴り飛ばす。
「っぐ!」
「怪しいな。反乱軍の間諜やもしれん」
「殺しておくか?」
蹴り飛ばされゴロゴロと転がった小春だったが、体に力を込めて、ゆっくりと立ち上がる。
「どうか、お話を!誰か、話を聞いてください!」
「お前、いい加減に!」
兵士が刀を振りかぶり、小春が目をぎゅっと閉じた時だった。
「待て」
小春のすぐ近くで刀はピタリと動きをとめ、兵士たちは驚愕の顔で、声をかけてきた男を見つめていた。
「なぜ、貴方様がここに…!?」
「どうみてもただの小娘だ。殺す必要はない」
「ですが…」
「私が責任をとる。行け」
男がそう言うと、兵士たちは困惑した様子ながら、どこかへ帰っていく。
「さて、娘よ。話とはなんだ」
小春はポカンと口をあけて放心していたが、すぐに正気に戻り、口を開く。
「天草四郎について、です」
「反乱軍の総大将か」
「彼は、ただの子供です。大人に利用されて、担ぎ上げられただけで、ただの16歳の少年なんです!」
「だから、殺すなと」
男の冷たい視線に小春は息をのむ。さっきの兵士たちとは違う、逆らえないような威圧感を感じる。
「お前、天草四郎の縁者か何かか」
「私は、」
「言わなくていい。聞けば殺す他無くなる」
「っ」
「殺すなという願いは聞き届けられない。わかったなら帰れ」
「できません!反乱軍のみんなだって、全員が全員幕府に逆らおうとしてるわけじゃない。生活が苦しくて、どうにもならなくて入った人だっているんです。だからどうか!」
「できない。原城に立てこもっていいる人間は皆殺しにする」
小春の目が見開かれ、震える。
「小さなこどもだって、いるんです」
「だろうな」
「…逆らおうとしたのだって、重税をかされて、できなかったら殺されたからだ!」
「それでも、この反乱がキリシタンによるものだと認識されてしまった時点で、もう戦はやめられない」
「どういうことですか…?」
「娘、天草で昔何があったか知っているか?」
小春は小さく首を横に振る。
「奴隷貿易だ。キリシタン大名たちはこの国の女子供を奴隷として外国に売り飛ばした。人間の所業ではない」
「っ、でも、それはみんなには関係ないじゃないですか!」
「そうだな。だが、これはキリシタンの反乱だ。これを治めなければキリスト教の信者が増え、逆に、皆が恐れるほどに苛烈に反乱を鎮めれば、信じようとするものは減るだろう」」
「じゃあ、みんな見せしめに殺されるってことですか!」
「そうだ」
「そんなのおかしい!それこそ人間の所業じゃない!」
「そうかもしれないな。だが、これはこの国を守るために、未来のために必要な戦だ。地獄に落ちる覚悟はできている」
「そんな…」
「分かったのならば帰れ。いや、できるなら原城を離れろ。その場に居ればお前も殺す。見逃すのは今回だけだ」
男はそう言うと踵をかえそうとして、少し止まる。
「重税を課し、拷問や処刑を行った男は恐らく処刑される」
「それで対価になったりなんかしない」
「…そうだな」
言うだけ言うと、男は去っていった。待って、と後ろからなんどか声をかけたが、男は振り返らなかったし、小春も追いかけることができなかった。
「奴隷貿易…」
ずっとキリシタンは迫害された可哀そうな人々だと思っていた。だが、連れていかれた女性や子供だって、苦しかったはずだ。
「誰が正しいの…?」
男は原城から離れろと言っていいたが、小春にそこ以外に行けるところなどない。小春はゆっくりと帰路につくことになった。
「小春様!」
「お鶴さん」
原城についた小春を迎えたのは鶴だった。
「どこへ行かれていたのですか?四郎様が心配されていましたよ」
「時貞君が?」
「今は人に呼ばれて行ってしまいました」
鶴はふらついた小春を支えると寝床へ向かう。
「ひとまずお休みください。ひどい顔色です」
「ううん。私、時貞くんのところへ…」
そう言いながらも、小春の視界はかすみ、ゆっくりと寝床に倒れこんだ。
「小春」
「う、うん…」
「小春!」
「時貞、くん?」
「よかった、目が覚めた!」
小春が目を覚ますと、そこには時貞がいた。
「そんなにボロボロになって、どこに行っていたんだ」
「…幕府軍のところへ」
「なんだって!怪我は?何もされていない?」
小春はふるふると首を横に振る。
「何もされてないよ。時貞くんを、みんなを助けてくださいって言ったけど、駄目だった。みんな殺すって、そう言ってた…。この国の未来のために必要なんだって」
「…やはりそうか」
時貞は、失意のあまり動けない小春の手をそっと引く。
「立てるかい?連れていきたいところがあるんだ」
「私、今は」
「頼む。お願いだ」
「…分かった」
そう言うと、小春は時貞の手を頼りに、起き上がった。眠ったおかげか、体の疲れは少しとれていたが、心はそうはいかなかった。時貞に手をひかれたまま、じっとついていく。
「きみは私のことを知っていたようだけど、未来では私の名やこの戦のことは残っているのかい?」
「うん。教科書とか色んな本に載ってたと思う」
「そうか」
時貞は一呼吸あけてから、少し明るい声で言った。
「私は、きみが何故この時代にきてしまったのかについて考えていたんだ」
「何故きてしまったか?」
「そう。私はね、神が私を救うために、きみを遣わしてくださったんじゃないかと思うんだ」
その言葉を聞いて、小春の喉がきゅっと締まる。
「何も救えてないよ」
「救ってくれたよ」
時貞は振り返ってにっこり微笑む。
「私は、逃げられないから、止められないから、責任をとって死ぬんだと思っていた。けれど、きみが来て、未来の平和な楽しい時代の話を聞かせてくれて、そしてこの戦が、私の死が、その時代をつくるために必要なものなのだと分かった」
「そんな…!」
「今のは恨み言なんかじゃないよ。本当に救いだったんだ。意味のないと思っていた私の死が、未来の平和につながっているんだという希望の中で死ぬことができる」
「私は死んでほしくないよ…」
「そうだね。私も死にたくない。でも、もう怖くない」
「一緒に逃げようよ」
「できないよ、小春。それは変えられないことなんだ」
そのとき、ずっと目を伏せて、地面を睨みつけるようにして歩いていた小春の視界にピンク色の物体が飛び込んでくる。驚いて顔を上げると、そこには冬だというのに美しく咲く、満開の桜の樹があった。
「これ…」
道で見つけた不思議な桜にそっくりだった。
「きみが狂い咲きの桜の花を握ったとき、移動してしまったと聞いて、もしやと思ったんだ。最近急に現れた可笑しな桜があるという話をきいてね」
「まって」
「待たない」
「待って!私帰らないよ。時貞くんを置いて帰れない」
「帰るんだ」
「嫌だよ!」
小春の瞳からは涙があふれ、頬は真っ赤になっていた。
「小春」
「いや」
「小春」
「嫌だよ!」
「小春、聞いてくれ」
時貞があまりに優しい声で言うので、小春はどうしようもなくなり、口を閉じる。風が吹き、時貞の黒髪が桜とともに舞う。
「この戦が終われば、次の春が来る。そしてその春のずっとずっと先にきみは生きている。君が生きる土の下には私が眠っている。何も寂しくなんてないんだ」
時貞はそっと小春の涙を拭う。
「だから寂しがる必要も、悲しがる必要もない。帰るんだ、小春。私を救ってくれて、ありがとう」
「時貞くん」
「ああ」
「私、忘れないから」
「私も」
「絶対忘れないから!」
涙で顔をぐしゃぐしゃにした小春が叫ぶと、静かに桜の花びらが小春の手のひらへと落ちてきた。
「時貞くん、ありがとう!」
「私も、きみに出会えてよかった」
最後に言葉を交わした瞬間、小春は現代へ戻ってきていた。
桜がなくなっていること以外は何も変わっていない風景。転がっているカバンの中に入っていたスマホを見ると、日付もタイムスリップしたあの日と変わっていないようだった。
「夢でも見てたみたいだ…」
しかし、薄汚れた靴と、手に握りしめられた桜の花びらが過去の証として残っていた。少しして、小春は涙を拭くと家に向かって歩き出す。
いつまでも悲しみに暮れるわけにはいかない。今を生きなければいけないのだ。
歩きだした小春を応援するかのように、風が背中を押す。
そして、次の春が来る。
迎春 明星 @Hamidashineko
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