第5話

 黄金色だった田んぼはすっかり丸裸となり、肌に触れる空気も冷たさを増してきた。制服のポケットに手を突っ込んだ私は学校に向かいつつ、一陣の風に軽く身震いする。

 ついこの間まで暑さでうだっていたというのに、急にこの寒さ。この国には夏と冬しか無いのではないかと最近よく思う。

 隣に目を向けると、由羅はこの寒空の下で薄手の黒いシャツとロングスカートという出で立ち。それで特に不都合無さそうに飄々ひょうひょうと歩いているが、傍から見るとやっぱり寒々しい。

「由羅、ちょっと手を出して」

 立ち止まって声を掛けると、彼女はこちらを向いてキョトンとした顔を浮かべた。

「手? はい」

 いぶかしがりながらも素直にこちらに手を差し出す由羅。犬みたいでちょっと可愛い。

 その手をそっと握ってみる。

「冷たっ?」

 あまりの冷たさに思わず手を引っ込めてしまった。

 いや、冷たいだろうなあと思って触ってみたのだが、想定の二割増しだった。変温動物かと疑うほどに彼女の手は冷気をまとっていた。

「もう、失礼ねえ。いったい何よう?」

 由羅が唇を尖らせてこちらを軽く睨む。

「いやいや、寒くないの?」

 心配になって尋ねると、由羅は意味が分からないといった感じで首を傾げた。

「別に平気よ? 寒さは感じるけれど、これくらいでどうということはないわ」

「……由羅ってひょっとして、真冬の海や熱湯の中に飛び込んでも平気なタイプなの?」

「そんなわけないでしょう。私を化け物扱いしないでちょうだい」

 自称神様と化け物の違いはよく分からないけれど、とりあえずそこまでオーバースペックなわけではないことが分かって少し安心した。辛うじて自分の常識の範疇に収まってくれているらしい。

 このまま続けると機嫌を損ねられそうなので、話題を変えることにした。

 そういえば先週、ホームルームで担任教師がこんなことを言っていた。

 ――今度、うちのクラスに転校生がやって来ます。

 その言葉はたちまち閉塞したクラス内の関心を集め、先週はずっとその話題で持ちきりだった。宮野も「どんな子なのかなぁ?」と何度も聞いてきたくらいだ。私に分かるわけないのに。

 先生いわく、どうやら京都の学校から転校してくる女の子らしい。うちのような関東の田舎の公立中学校に、しかもこの時期になんでわざわざ?

 理由はよく分からないが、別に私はどうでもいい。転校生だろうが留学生だろうが興味は無いし、私が関わることなんてないだろうし。

「そういえば今日、転校生がやって来るんだよね? 楽しみだねえ」

 話題を変えるためとはいえ、心にも無いことを言ってしまった。私の悪い癖だ。

「ああ、京から来るっていう女ね。京に住んでるくらいだから、どうせ陰険で腹黒くてろくでもない女よ」

 由羅は目を細め、吐き捨てるように言った。あまりに失礼な偏見だが、彼女にとって京都は自分を陥れた陰陽師を連想するのだろう。

 私はこの話題も良くないことを悟り、黙って歩き始めた。

 つくづく自分は会話が下手だ。臨機応変に相手の感情に添えるトークスキルが必要だと痛感した。


 朝のホームルーム。

 担任に連れられクラス中の視線を一斉に浴びる形で入室してきた女子は、一瞬にして皆の心を奪ってしまった。前の学校のブレザーの制服を着た彼女の装いもそうだが、シンプルに美人だったのだ。

 背は私より少し高いくらいで、由羅と同じくらいだろうか。髪は茶髪のゆるふわロングで、都会の大人びた女性といった佇まい。どう見ても校則アウトだが、転校初日ということで大目に見られているのだろうか。

神陰しんかげ美雪です。よろしくお願いします」

 京都の人らしく関西のイントネーションでゆったり喋り、くしゃっとした笑顔を浮かべる神陰さん。シンカゲさん。凄い名前だ。

 一番後ろの席から眺めていると、男子たちが色めき立っているのがよく分かる。

 みんな餌を目の前に釣られた豚のように、興奮した面持ちで神陰さんの顔や胸や手を凝視している。そうか、美人はこういう反応をされるのか。少し悔しい。

「席は伊田の隣が空いてるから、そこに座りなさい」

 担任教師に言われてハッとする。そういえば先週から私の隣に空席がひとつ設けられていたけれど、そういうことだったのか。

 微笑みを絶やさぬまま隣にやって来た神陰さんは、髪と同じく茶色い瞳をこちらに向けて会釈した。

「これからよろしくね。伊田さん」

「はっ、よっ、よろしく……」

 ぎこちなく笑顔を返すと、神陰さんは再び愉快そうに笑った。

「伊田さんって面白い人やね。それに――」

 そこで私の後方にちらりと目をやり、小さく首を振った。

「ううん、なんでもない」

 神陰さんは何やら納得した様子で目を閉じ、そのまま着席して前を向いてしまった。

 いったいなんだったのか。気になって後ろを振り返ると、鞄置き場に座った由羅が厳めしい顔付きで転校生を見据えていた。

 こんな彼女の表情を見るのは篠塚と会ったとき以来だ。その敵対的なオーラが神陰さんに伝わったというのは考え過ぎだろうか?

 せっかく学校生活が平穏になってきたのだから、この先も面倒事は起こらないでほしい。姿勢良く先生の話を聞いている神陰さんを眺めながら、私はそんなささやかな願いを胸に忍ばせる。

 ホームルームが終わると待ち構えていたかのように、数名の女子たちが神陰さんを取り囲んだ。まるで勢力争いのため、自派閥に有力新人を誘う構図のようだ。

「神陰さんってどうしてここに転校してきたの?」

「親の仕事の都合でねえ。昔から転校も多かったし、ここにもいつまでいられるか分からんのやけど」

「えー、可哀想。せっかく友達出来ても転校ばっかりじゃ大変でしょう?」

「全然平気だよ。もう慣れたし」

 隣で話を聞きながら、なんとなくいたたまれなくなってきた。

 神陰さんを取り囲む輪は大きくなる一方で、無言の圧力に私はさりげなく机をずらして距離を開ける。いっそのことトイレにでも行って時間を潰そうかとも思ったが、ここで席を離れれば確実に椅子を使われる。そしてそのまま放置される。

 私はため息を吐いて神陰さんの横顔を見つめる。

 彼女は初めての教室で大勢に取り囲まれながらも堂々としていて、屈託なく笑いながら受け答えしている。やはり生まれながらに私とは人種が違うのだろう。私だったらきっと涙目になっておろおろしながら、「デュフフ」とか気持ち悪い愛想笑いしかできない。

 そこで神陰さんがクラスメイトとお喋りしながら、ふいにこちらに目を向けてきた。

 バッチリ目が合ってしまい焦る私に対し、なぜか軽く手を振って見せる。

 ――えっ? なに? なんなの?

 わけが分からないまま、一応手を振り返す。

 ――いったいなに? これが関西のノリ? 初対面でいきなり友達になっちゃうの?

 神陰さんはとにかく色々な意味で不思議な人であった。


 授業が始まると、神陰さんはその容姿や性格だけでなく、頭脳や身体能力でも皆を圧倒した。

 英語の授業中。先生に例文を読むよう指名された彼女はスクっと立ち上がると、まるで外国人のように流暢な英語でスラスラ読み上げてしまった。先生でさえ目を丸くして立ち尽くし、しばらく教室内が静まり返ったほどだ。

 国語の授業でも難しい漢字を読んでいたし、体育の授業の高跳びではクラス一の高さを飛んでいた。まさにスーパー中学生。ますますなぜ神陰さんほどの才媛が、この掃き溜めのような学校にやって来たのか謎である。

「すごーい、神陰さん!」

「さすが神陰さん!」

 授業が終わる度に神陰さんの周りに人が押し寄せ、シンカゲサン、シンカゲサンと連呼する。まるで新種のセミだ。

 そんな雑音に嫌な顔ひとつしない神陰さんは、早くもクラスの人気者になってしまった。特に男子たちは明らかに鼻の下を伸ばし、何かにつけて彼女の世話を焼いている。

「神陰さん、慣れない土地で大変だろうけど、悩み事とかあったらいつでも相談してくれよな」

「何か意地悪とかされたら俺に言ってくれよ。そいつぶん殴ってやるから」

 歯の浮くような台詞の数々に、聞いているこちらが恥ずかしくなってくる。ていうか、ムカついてきた。

 おいおいお前らそんな優しさあったのか。私がいじめられているとき、知らんふりしていた薄情なお前らはどこに行った?

 由羅ではないが、私もなんとなく冷めた目で皆の輪の中心にいる神陰さんを見てしまう。そういう女子は他にもいるようで、どうやら宮野も同志らしい。

 トイレの手洗い場で顔を合わせた宮野は、周りを窺ってから小声で耳打ちしてきた。

「なんかあの転校生、嫌な感じじゃなぁい?」

「えっ、神陰さんのこと?」

 わざと惚けて聞き返すと、宮野は顔をしかめて小さく頷いた。

「なんかいきなり周りからチヤホヤされちゃってさぁ、本人も満更じゃない感じがどうもねぇ」

「まあ、仕方ないよ。今日が転校初日なんだし、不安もあるだろうし」

 苦笑いを浮かべつつ当たり障りない返事をする。

 まあ実際、転校初日にここまで馴染める彼女も珍しいが、かといって皆で無視したりイジメたりするのは好かない。私がずっとそうされてきたから。

 すると宮野はしばらく私を見つめた後、クスリと笑った。

「へぇ。伊田って意外と思いやりあるじゃん。私と違って偉いねぇ」

「そっ、そんなことないよ」

 さすがにちょっと偽善的過ぎたか。余計なトラブルを避けるため、無意識に物分かりの良いことを言ってしまう自分を恥じる。

 たしかに私はイジメを嫌悪しているけれど、神陰さんを気遣っているわけではない。たぶん彼女が皆からイジメられても、私は加担しない代わりに助けたりもしない。薄情な人間なのだ。

 何も言えず固まる私の肩をバシバシと叩き、笑顔を浮かべる宮野。

「冗談よぉ、冗談。ま、なんにせよ、残り少ない二年生の間の大切なクラスメイトだからねぇ。みんなで仲良くしようねぇ」

 どこか嫌味っぽく言いながらトイレを出ていく宮野。クラス内では美人なほうで通っていた彼女にとって、新たにやって来た美少女は天敵なのかもしれない。

 女の世界って面倒くさい。

 私はため息を吐きつつ、次の授業のために教室へと向かった。

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ゆらり、ゆらゆら2 由上春戸 @yugamiharuto

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