第3話 捧げられる

————神は言われた、「君の子、君の愛する独子、イサクを連れてモリヤの地に赴き、そこでイサクをわたしが君に示す一つの山の上で燔祭として捧げなさい」。

(創世記,22:2)







 松の木の公園、広い。円形に松の木が並んでいて、中央に東屋があった。僕らはこの東屋に集まって、スマホをいじったり、本を持ってきて見せあったりする。


 僕らはませた中学生だった。ニーチェとか、大江健三郎とか、そういう人文書を見せ合って、ニヤニヤしながらそれっぽいことを言う。しかし、そういう背伸びが必要な時期だということもわかっていた。僕らは自分たちについて「ませてるな」と思いながらも、暗黙の了解としてそれを肯定していた。



「それでソーカルっていう物理学者が怒って、おふざけ論文を送ってみることにした」と颯が言う。


「おふざけ論文……」と僕は繰り返す。


「自然科学とか専門用語をそれっぽく並べて作ったやつ。内容は出鱈目。それが実際に掲載されちゃったっていう」


「本当に?」


「本当。ソーカルはその後ネタバラシして、当時の思想界は大混乱になった。色々論争が起きて、もうお祭り状態。お祭りは俺の勝手なメタファーだけど。」


 お祭り。関係のない言葉が引っかかる。小さい頃は金魚掬いが得意だった。いつも五匹くらい連れて帰って、今思えば申し訳ないけれど、飼い方が悪くてすぐに死んでしまうことが多かった。よく考えれば、金魚掬いって生贄みたい。残酷で、楽しい。最近は、お祭りに行っていないなと思った。


「ねえ、全然関係ないんだけどさ」


「何、どうしたん」


「金魚掬いって、残酷かな」


 颯は「え?」と発して、「ピーター・シンガーは読んでないからな」と呟いた。


「じゃあさ、もし未来にそれが残酷だということになるとして、僕らは今から金魚掬いをやめるべきかな。」


「あー」と颯は唸る。


「俺は語れるくらい知ってるわけじゃないんだけどっていう注釈の上で。残酷だと思う人はやめればいい。残酷でないと思う人はやめなくていい。当たり前のこと。ただ、残酷かどうかを理解しにいく責任はある」


「どういうこと?」


「もし実際に残酷なんだとしたら、みんなそれを理解するべきだ。だけど、俺は自分の確信や自分の決定が一番重んじられるべきだと思うから。デカルトっぽくね。だから、残酷でないと思うのならしなくていい。これは社会学的な話じゃなくて、実存の話」


「社会学的に言うならどうなるの?」


「まあ、実際のことを考えると、難しいね。そういう残酷さを訴える人々と、それに疑問を感じる人々と、両方が必要なんじゃないかな。事実、真理までの道のりは長いから。これも残酷だけど。立場と均衡だよね」


立場、均衡……僕はパンデミックを思い出す。


「メルケルとアガンベンみたいに?」


「あ、それ國分が言ってたやつでしょ。メルケルは政治家としてロックダウンを決断したが、アガンベンは哲学者としてロックダウンに反対した。まあ、近いものはあるな」


 メルケルとアガンベン、そうか、人はバランスを取らなきゃいけないのか。人はあるパースペクティブ、視座、見方に依存するわけだし、それもそうかもしれない。


「ただ、それだと金魚はかわいそうだと思うね。本当は、人間なんかに頼らずに、彼らも彼らの実存を生きられたらいいのに。金魚は金魚のままで」


そう言って、颯は床で転がる松ぼっくりに視線をやる。僕もそれに目をむける。


「『松ぼっくり祭壇』って知ってる?」と僕は聞く。


「あーあれでしょ。あのなんか、アートみたいなやつ」


「そう、あれ、パンデミックの慰霊で作られたやつなんだけどさ」


「あ、そうなんだ」と颯は本をペラペラとめくりながら答える。


 僕はスマホを取り出して、「これ」と言って差し出す。スマホの画面には、文字通り『松ぼっくり祭壇』があった。松ぼっくりが祭られていた。アジア的オブジェ。仏壇みたいなデザインをしていて、中に松ぼっくりが飾られている。


「これ美術館で見たんだけどさ、実物は結構大きいよ。写真よりも」と颯は言う。「見たことあったの?」と僕が聞くと、「ああ、まあ一応ね」と颯は答えた。「そう……」と僕はつぶやく。言葉が地面に落ちるようだった。


 しかしそれからちょっとして、「ねえ、金魚、松ぼっくり祭壇で祀ろうよ」と颯が言った。


 そういえば一つ思い出したことがある。お祭りに行ってないのは、パンデミックがあったからだった。

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松ぼっくり祭壇 福田 @owl_120

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