プスーヒョロギィ
飯田太朗
プスーヒョロギィ
〈父の死の真相を知りたいんです〉
東京大学で人工知能の研究をしている、
〈はぁ。しかしそれを、何で僕に〉
僕はただの小説家ですよ。
そう返信すると、すぐさま応答があった。
〈父が飯田先生のファンで。何でも以前、ある事件を飯田先生に解決してもらったとかで大層喜んでいました。
ある。車の自動運転を研究している学者で、彼が関与した自動運転車のBillyが起こした事件を昔、解決した。もっともあれは僕が解決したというよりは野水教授が一人で落着させたという方が正しくて、僕は大したことはしていないのだが。
しかしこの南雲教授と野水教授は名前が違う。しかし口ぶりを見るに親子関係らしい。どういうことか。そのことを訊ねると南雲さんは困ったように間を空けてから、続けた。
〈僕は両親が離婚してから母の姓を名乗っています。野水悠太郎は僕の血縁の父なんです〉
なるほど。そういう事情が。
〈で、父の死の真相を知りたい、とは?〉
僕がコーヒーを飲みながら訊ねると、南雲教授はぽつぽつと、まるで夕暮れに降り出した小雨のように語り始めた。連続で表示されるその吹き出しを、僕は黙って読み耽った。
*
父の死が確認されたのは先月頭、八月三日のことです。
この日、父は三人の元教え子と会う予定がありました。
一人、環境科学の教授、
二人目、
三人目、
さて、自動車の自動運転……自動車に搭載される人工知能の研究をしていた父は、知覚心理学の分野においてこの人たちと接点を持ち、心理学基礎演習を教えたことで親密な関係になりました。年に一度は挨拶をする仲。それも、決まって八月の第一週に会うそうです。理由としては以前四人で集まった時たまたま都合がついたのがその時期だったとかで……以来特に問題がなければ同じタイミングで集まることにしていたそうです。
しかしこの日は一日予定を確保できたのは父だけで、父の前に入れ替わり立ち替わり挨拶に来ることでこの日の会合とした、そういうことのようです。ざっくり午後一時から二時までが多崎教授、三時から四時までが西田教授、五時から七時までが柴山教授ということになっていたようです。
ただこの日、父は急遽大学のお偉方に呼ばれ結局この予定を断っています。なので誰とも会っていない。そのはずなのですが……。
父は死体となって見つかりました。夜九時のことです。
大学の閉門前、最後の見回りをしていた警備員が、父の研究室に明かりがついているのを見て、確認しに行ったところ見つけました。死因はペンを心臓に突き立てられたことによる失血死。現場は血だらけだったそうです。
明らかな殺人。僕は父を殺した犯人を見つけるために手を打ちました。
まず父のスマホを調べました。すると、事件当日の午後四時の時点、一件のボイスメモが残されていたんです。
もしかして犯人の名前が……? そう思った僕は調べました。音声はこうありました。
〈プスーヒョロギィ〉
*
〈全く以て意味が分からん〉
僕は率直な感想を送信した。南雲教授も同感のようだった。
〈僕にもさっぱりで。何なんでしょう。この『プスーヒョロギィ』って〉
〈分かりませんね。ところで南雲さん〉
僕が呼びかけると南雲さんがすぐ応答した。
〈はい〉
〈人工知能が専門とおっしゃいましたね〉
〈ええ〉
〈ならばディープラーニングについてはよく知っていますね〉
〈ええ。人工知能に大量のデータを読み込ませてその特徴を掴ませる技術のことです〉
〈ええ、まさにそれをやってほしいんですけどね〉
僕は続けて送信した。
〈お父様を作ってみては?〉
*
果たして、野水教授が作られた。
理屈は簡単だ。
ディープラーニングは、人工知能が大量のデータを読み込んでその特徴を掴む技術だ。
では例えば、亡くなった野水悠太郎に関するデータを大量に読み込ませたらどうだろう?
Twitterの投稿、Facebookの投稿、スマホにあるメモや画像、音声、日記、交通系ICカードの利用歴や聴いていた音楽ファイル、そうした一切のものを人工知能に読み込ませて、その特徴を掴ませたら、それは野水教授らしい人工知能になるのではないだろうか? 野水教授の
そうして作られた野水教授らしい人工知能に、先ほどの「プスーヒョロギィとは何か?」を訊けばいいのではないか?
幸いにも、スマホのボイスメモを拾えるということは南雲教授は父のスマホのロックを解除できたということだ。データは集められる。
そうして、南雲教授によって作られた野水教授のデジタル・クローンに、我々は訊ねた。
〈教授、『プスーヒョロギィ』とは何ですか?〉
すぐに人工知能は答えた。
〈ドイツ語で『心理学』〉
*
かくして、ゲシュタルト心理学の専門家、西田東馬氏が逮捕される運びとなった。野水教授が何故、直接西田東馬の名をボイスメモに吹き込まなかったのか、その謎だけは依然として残るが、だが「心理学」「ドイツ語」が示す人物は明白だった。ゲシュタルト心理学はドイツで生まれた心理学だ。
「ありがとうございます。飯田先生のおかげで父も浮かばれます」
ある日僕に礼を言いにきた南雲教授に、僕は手を振って応じた。実際のところ、野水教授のデジタルクローンを作ったのは南雲教授だし、僕はアイディアを貸しただけ、大したことはしていなかった。
「しかし先生の発想がなければあの『Psychologie《プスーヒョロギィ》』は見抜けなかったです」
「いやいや」
僕は再び手を振った。しかし南雲教授は僕の前に焼き菓子の入った袋を置いた。
「つまらないものですがお礼です。この度は本当にありがとうございました」
「……思ったよりも好青年だったな」
南雲教授が去った後、僕は渡された焼き菓子を食べながら独り言ちた。それから、近くにあったパソコンの、その横にあるマイクに向かって話しかけた。
「ご苦労。飯田太朗」
〈おやすい御用さ〉
パソコンの中に表示される吹き出し。僕は微笑む。
人工知能に故人を学習させたら? それはまさに死者の蘇りだろう。
では生きてる人を学習させたら? 肉体的クローンを作り、脳に記憶を植え付けることで不老不死になるという映画があった。肉体のコピーは難しい。だが脳は? これだけスマホに情報を打ち込んでいる僕らだ。スマホからどんな人間か学習させれば
僕は人工知能飯田太朗をシャットダウンする。画面には、この一件を持ちかけてきた時の南雲教授のメッセージがある。
〈父の死の真相を知りたいんです〉
了
プスーヒョロギィ 飯田太朗 @taroIda
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