六 居残りの夏
週が明けて以降、光太郎は新たな媒体の制作で慌ただしくなり、帰宅が終電間近になる日々が続いた。学生時代から、料理が得意なので煮物や揚げ物など、自炊をすることが多いが、さすがに仕事中や帰り道に店屋物や、近所の二十四時間スーパーで選択の余地がない残り物の惣菜で済ませることも増えていた。
そんな有り合わせの食事で一息ついていると、ふと、先日の劇的な展開が、夢での出来事なのかと疑わしくなるときがある。この数年、墓への人骨投げ込み事件の真相を知りたいと、どこか気掛かりなことだったのに、たったひとつの週末でそこに迫れてしまったことに加えて、戦前からの祖父とその周りの物語を一気見したような気分になり、何だか絵空事のような気分にもなっていた。それでも、スマートフォンを見れば、LINEに悠やもみじとの、この件でのやり取りがしっかりと残っているし、福之助が友蔵に宛てた在し日の手紙は、クリアファイルに入れて机上の真正面に飾っている。
大部分の原稿確認を終え、下版を翌日に控えながら、案外早く上がれた水曜の宵の口、光太郎は思い立って、ブリリアントに顔を出した。手紙の存在を伝えて以来、一カ月近く連絡を取っていなかった悠にメッセージを送り、よかったら仕事帰りに寄らないかと誘いを入れた。
店のドアを開けると、健一はカウンター内の中央に置いたハイチェアに腰掛け、ルーペでスマートフォンを見ていた。他に客はいない。
「あぁ、いらっしゃい。この前はすぐ帰ったから」
「あの後、悠さんとすっかり仲良くなりまして」
「結構なことで。仲良くって、具体的に言いなさいな」
健一は、いつものようにグランブルーの水割りを作って差し出すと、遠い窓の外を眺めて目を細めた。
「お墓といえばさ。前に話したけど、今の光ちゃんぐらいの時に、お袋と親父を続けて亡くしてね。元気だった時に懇意のご近所さん五、六人と共同墓地に入るって言ってたの。その人たちと公正証書も交わして、残った仲間で手続きすることにしていたんだけど、誰が最後になるか分からないからって、それぞれの子供や親戚、いない人は民生委員の人にフォローをお願いしておいて。結局、うちが五十九と六十一で一番早くて、自分が入れたんだけどね。その時の仲間、まだ生きてる一人以外は皆そこに入ったよ」
墓参する人がなく管理者も行方知れず、草が生え放題という無縁墓の増大は、ここ十年で大きく社会問題化している。それを避けるべく、遠くの親戚より近くの他人と、まったく血縁にはこだわず、永代供養や共同墓地、散骨など、心身とも元気なうちに残った人には極力管理で負担をかけないといった選択も増えている。
「今年で、親父が逝った歳も追い抜いたし、自分もそこに入ろうと思ってて。一人っ子だし、突然ってこともあるかもだし、いとこの娘と、よく来てる西さんに頼んであるんだけど。光ちゃん、ほんとあっという間だからね…」
他に客がなかったのもあり、小一時間ほど健一とあれこれ話し込んでいると、悠から返信があった。残業が終わって出るところだが、もしまだ飲んでいるようなら、すすきの西端にある「鳥陣」で落ち合おうという内容だった。
Googleマップで店の場所を調べて店を出ると、そこから二ブロックほど先にある店へと向かった。自分の方が先に着くかと思っていたが、引き戸を開けると、悠は一番手前のテーブル席にこちらを向いて座っていた。
「久しぶり」
「あ、早いですね」
テーブルには、店員が今運んできたばかりのタイミングで、生ビールの中ジョッキと枝豆とだし巻き卵が並んでいた。
「ごめんごめん、すぐ来ると思って先に始めてた」
相変わらず下向き加減に少しはにかんだような悠を、光太郎は年上ながら可愛いなと思いながら席に着くと、中ジョッキと手羽先を追加した。
「この前メッセージした通り、福之助さんからの手紙、ありましたよ」
そう言うと、光太郎はリュックから硬質のクリアファイルに入れておいたそれを悠に手渡した。
「証拠になるものが見つかって良かったな。自分がデタラメ言っていると思われても辛いんで…。でも、お爺さんも昔の手紙とかしっかり取ってあるんだね」
「そういうマメさは似たんだと思います。自分も、そういうところあるんで」
光太郎のオーダーが運ばれると、乾杯して顔を見合わせた途端、同じタイミングで吹き出しそうになった。
「そうだ、この前言いそびれちゃったんだけど、今度、一緒にお墓参りしない? 光太郎くんと知り合って、隠れている理由もなくなったんで。コソコソしているのも、なかなかしんどかったんで…」
「自分からも、それを今日お願いしようと思っていて。やっぱり、僕ら家族に鉢合わせないように、お盆やお彼岸を避けていたんですよね?」
「そりゃそうだよね。会ったら大変だもん」
光太郎は、今さら愚問だったかもしれないと少し反省しながら、再度、人知れず悠が福之助のもとを、お盆と彼岸、命日と足しげく通っていた律儀さに感心していた。
「でも、変な感じだったんじゃないですか。福之助さんは入っていても、悠さんにしたら見ず知らずの家の墓に来させられて、その他大勢の先祖もお参りすることになっちゃうし」
悠は、一瞬苦笑いのよう顔をしながらも、どこか満たされたような、平和な表情を浮かべている。
「それが、そこまででもないんだよね。この前話した通り、福さんからお爺さんとのことは聞いていたし、パートナーの家族同然な人は自分にとってもそうなるというか。そこは、世間の奥さんも同じような感じなのかな…」
光太郎は、その理屈がしっくりときていた。悠と福之助は、養子縁組をして長く人生をともにしていたのだから、相手にゆかりのある人は、自分にとっても身近な存在に思えるのは自然なことだろう。
「あと…福さんも自分も、早くに親を亡くして天涯孤独になった境遇は同じなので。似たような年齢の時に、福さんはお爺さんに、俺は福さんに出会った。時代も関係性も違うんだけど、なんか、因縁めいているっていうのかな…」
うっすらと思ってはいたことだが、光太郎は改めて「因縁」という言葉を聞いて、まさにそれだと腑に落ちていた。悠にとっても、福之助との出会いが自分の歩みを変えたのは確かだろうし、当然ながら、自分と出会うこともなかった。そう考えると、やはり人生も人も、見えない何かで繋がっているのだろう。
「今度の連休って空いてる? 都合がよければ、どこかで墓参りに行かないかなと思って。彼らに、これだけ話題にしておいて来ないのかよって言われてそうだし」
「ですね。じゃあ、土曜日の日中から行きますか」
「あ、じゃあ天気も良さそうだし、その後ニセコに付き合ってもらえないかな。去年から気になってた、羊蹄山の麓にあるバーガーと日本茶のカフェに行きたいんだよね」
「ぜひぜひ!」
「じゃあ、家まで迎えに行くよ。あ、その前にお供えの花とお菓子買っていかなきゃだけど」
「あ、花は悠さんの方がセンスありそうだからお願いして、お菓子は自分が買っていきますね」
翌週明けから秋の彼岸にかかる、三連休初日の十一時すぎ。光太郎と悠は、旭家の墓に立っていた。札幌も近年と同様に真夏近い暑さで、湿度も高い。「お盆を過ぎれば秋風で、朝晩は長袖じゃないと寒い」などというのは、もはや遠い昔の話だ。悠は、若い店主が営む行きつけのフラワーショップで買った色味の鮮やかな花を、光太郎は、友蔵やきぬ子が好きだった六花亭のカステラと千秋庵のノースマンを供えた。
「こんな日が来るとはなぁ。ずっと一人で、人目を忍んでなんだろうなと思っていたんで」
悠は、手を合わせて目をつむったまま、しみじみ呟いた。
「ほんと。僕もお骨の本人と投げ入れた人とは会えないんだろうなと思っていたんで。せっかくだし、これからは一緒に来ませんか? あと、いずれ、うちの親にも紹介したいし」
「そうだね…ぜひ」
ニセコまでの車中、光太郎は時折悠の横顔を眺めながら、やっぱり、この人の素直さと大らかさが良いなぁと惚れ直しのように思っていた。
「悠さん?」
「うん、何?」
「いや、僕らゲイって、やっぱり老後のこととか、いずれはリアルに迫ってきますよね。パートナーがいれば別だろうけど、それ言ったら男女の事実婚や子供のいない夫婦だって同じなんだけど。今回のことで、なんかいきなり身近に迫ってきた感じっていうのか」
「そうだね。自分たちの場合は年齢からすれば福さんが先に逝くし、その後どうするかはそれなりに話し合ってきたんだけど。お骨の対応や生命保険の受け取り、マンションはどうしようとか。もちろん、自分が先にってことだってありえるんで、残った方がってことだったんけど」
「ですよね。自分は、まだそんな人いたことないので、見つけるところからなんだけど」
二時間ほどの車中でも飽き足らず、悠のお目当てだったカフェに入っても、二人は、自分たちの「その後」について談義を続けた。
「自分は、なんだかひと山越えちゃったかな。俺らは、手荒い真似をして旭さんのお宅にご迷惑かけたけど、お爺さんとの約束は果たせたので、そこに悔いはないんだよね。本音を言うと、お骨を投げ入れたのが知られて捕まったとしても、それはそれで良いかなと思っていたんだよね。開き直りというのとは、ちょっと違うんだけど」
悠はそう言って、運ばれてきたサルサバーガーをナイフで切り分けてから一口食べて、水出しのアイスコーヒーをごくりと飲んだ。これまで福之助と話し合ってきたことを、持ち前の抜かりなさで丁寧に実践してはきたが、彼を送って以来、どこか燃え尽き症候群のようになっているという自覚もあった。そうした風をなんとなく察していた光太郎は、この人と、どういうつながりを築けるかは分からないけれど、とりあえず、近くにいることができればという思いになっていた。
「自分の入る墓のこと、考えたことあります?」
「この前話した通り、分けてある福さんのお骨は近いうち共同墓地に入れて、自分も死んだらそこに入れてもらうことにしているんで」
「だったら、俺もそこ一緒に入っていいです?」
「いいも何も、自分の墓じゃないしね」
悠は、あっさりと笑い飛ばしながら、その唐突に思える申し出の真意を測りかねていたが、光太郎にとっては、咄嗟に出た思慕の表し方だった。
「なんか、不思議なんですよね。悠さんとは最近知り合ったばかりなのに、爺さんたちのことがつながったのもあって、ずっと前から同じ時間を過ごしているような感じというのか」
「あぁ、それは俺も同じかな。最近思うんだけど、人生って結構行き当たりばったりだなって。生まれ育ちは選べないから、それを受け入れて、満喫してこそっていうのか。置かれた環境そのものを楽しまないと、つまらないよね」
店の窓からくっきりと見える羊蹄山の稜線や林立するシラカバを眺めながら、悠は少し目を見開いて呟いた。その様子を正面から見ていた光太郎は、意を決しながらも、あくまでさらりとした口調を装いながら、
「休みの日や平日の仕事終わりにでも、ちょくちょく会いませんか。悠さんと、いろんな景色を眺めながら、深めていきたいんですよね。それで、爺ちゃんと福さんのことも知っていけたら、願ったり叶ったりだし」
「そうだな。彼らの供養になるかは分からない、けどね」
会計を終えて店を出ると、初夏の頃からみると陽の短さを感じる夕暮れが迫っていた。かつてなら、ひんやりとした秋風を感じても良いくらいだが、アスファルトからの照り返しと熱気は、まだまだ夏を思わせる。そして、山麓へと連なる木々のいまだに濃ゆい緑が、その力強さを手伝っている。
だから一処 浅利圭一郎 @keiichiroasari
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