五 きずなの消印

 光太郎は、社会人になって以来、土曜の午前中が開放的でたまらなく好きだ。悠のマンションはリビングが東南向きで、朝日がまっすぐに入ってくる。

「おはよう。コーヒー入れてるんだけど、飲む?」

 悠は濃紺のVネックに着替えていて、さっぱりした顔でダイニングから呼びかけた。光太郎は、昨夜のやり取りが夢じゃなかったの、少し疑わしい気持ちにもなったが、悠が見せてくれた福之助と友蔵が映ったアルバムがテーブルにそのまま置いてあって、そうかと実感した。

「おはようございます。なんか丁寧な暮らし、していますね」

 ダイニングテーブルには、琥珀色をした細長い花瓶に、ガーベラやひまわり、ユリなどが綺麗に生けてある。昨夜はあまり気づかなかったが、壁一面を使った本棚には、昭和か著名な作家の小説やエッセイ、経済書やドキュメンタリーのハードカバーに新書、植物図鑑などが隙間なく飾られている。目を凝らすと、さすがは長く書店員の本好きといったセンスの本が目に入った。

「高校の時は学校や市民図書館で借りていたんだけど、本屋で働こうと思ったのも、本好きだったからなんだよね。心理学が勉強したくて、三十五の時に放送大学に入って、六年かけて卒業したの」

 コーヒーを淹れ、スクランブルエッグを仕上げながら、悠は訥々と語った。光太郎もまた幼い頃から本好きなのもあって、そんな話に花を咲かせるのも楽しいなと思った。

「僕は編集者をしていて。東京の出版社に十年近く勤めて週刊誌の記者や書籍の編集をしていたんですけど、大学時代の先輩が札幌でやっている出版社に呼んでもらって、帰ってきたんです」

「へぇー。じゃあ、本も結構読むんだよね? 本好き同士だと、いろいろ話せるだろうし嬉しいな」

 悠は、光太郎の顔をちらちら見ながら、今度はフレンチトーストを作り始めた。福之助との生活では、毎日きっちり三食の支度をして、高血圧がちだった彼のケアを一手に引き受けていた。

 ふんわりと仕上がったフレンチトーストも食卓に並べて、コーヒーを片手に、光太郎との語らいが始まった。

「あの…昨日の、お墓の話なんだけどさ」

 改まったようにして、悠は光太郎の目をまっすぐ見つめながらそう言った。

「福さんと友蔵さんの関係性というか、何か記録みたいなもの、残っていないかなぁ。たとえば、手紙のやり取りとか。自分は、福さんから、とにかくそういう話になっているんで、旭さんのお墓に入れるようと言われて下見もして。でも、単なる実行犯だから…。どんなやり取りがあったのかは知りたいよね」

 光太郎もまったく同じことを思っていたのもあって、悠のその話には、少し大袈裟に思えるほどに強くうなづいた。

「実家に、爺さんがもらった手紙や資料が結構残っていて、その中に何かあるかもなので、探してみますね」

 悠の家を出て実家に直行した光太郎は、一階居間のタンスから、友蔵が残した年賀状宛名の住所録や、もらった手紙などが入った高級菓子の空き箱を取り出した。几帳面だった友蔵は、宛名書きに使っていた書道用具一式とともに、それらを綺麗に整頓していた。覚えのある空き箱には、釣り仲間とのスナップ写真や年賀状のファイリングされたものが入っていた。幼少の頃、十一月から、毎晩書斎の床に干支の刻印を押し宛名を書いたものを、新聞紙の上に並べて乾かしていた。毎年、宛名書きは頼まれていた分を含めると、千枚近くは書いていたのではないか。

 悠との劇的な出会いがなければ、幼い頃に福之助と交錯していながら、その存在を知ることもなければ、あのまま、人骨の正体を知ることもなかっただろう。あながち偶然とも思えない巡り合わせを感じながら、もはや「高崎福之助」という名前をしっかり認識しているのだから、案外早いうちに、友蔵との交友の記録は見つかるのではないか。光太郎は、さしたる根拠もなく自信や確信を抱いていた。

「仕事終わり早い時とか土日とか、爺ちゃんの書斎、ちょいちょい整理させてもらうんで、そのままにしておいて」

 光太郎は、もみじに悠との一部始終を手短に話すと、地下鉄で二駅ほどのマンションに帰った。丸一日しか経っていないのに、これまでの人生で経験したことがない怒涛の展開にどっと疲れが出たのか、居間に入るなりソファにへたり込み、泥のように眠りに落ちた。

 翌朝、やけにすっきり目覚めると、久々に市民プールで泳ごうかと思っていた光太郎は、再び実家まで歩いて、友蔵の書斎にこもって福之助との手がかりを探った。

「それにしても、お爺ちゃんと付き合いのあったその人のお骨だったとはね。このまま、分からないままかと思っていたからね。足繁くお墓参りに来ていた人が、あんたが貼った紙を見て連絡してくるとも思えなかったし、捕まえるにしても、それこそお盆やお彼岸の前にずっと張り込むなんて無理なんだから」

 昼食のメニューを聞きがてら部屋に入ってきたもみじが、光太郎も同じように思っていたことをなぞった。この土日での急転直下な、友蔵が出てきた夢の続きかと思うような展開には改めて戸惑いながらも、物事は、こうしてある日突然動くこともあり、だから気が抜けないとも思い知らされていた。

「結構、取ってあるもんだな…」

 光太郎は、亡くなって二十年以上が経つにもかかわらず、几帳面な友蔵が整然と手紙や資料がきっちりと保管されていたことと、その後、認知症になるまで相当時間があったのに、処分しようとも思わなかったきぬ子にも感心していた。そして、それらが整理されていないことを思えば、いつか、自分と二人の妹である百合子と加奈子でやる羽目になるんだろうなと、うっすら覚悟もしている。

 作業机の引き出しと、積まれていた菓子箱に入った手紙や資料をチェックしては移し替えたものが段ボール二つ目になってまもなく、光太郎は茶封筒の差出人名に福之助の名前を見つけた。

 消印は(昭和)二十三・五・一・中央と刻印されている。中には、黄ばんだ便箋が一枚。当時米国から入ってきたばかりだろうボールペンで書かれていた文字は、わりと鮮明に読むことができる。

 友蔵様


  就職祝い、有り難う御座います。


 おかげさまで、無事に働くことができ、水車町の四畳半の住まいは快適です。戦争の間に、僕は両親や親戚を亡くし、一人っ子だったので天涯孤独になってしまいましたが、友蔵さんが、向こうで整えてくれたので、何とか生きられました。生きて樺太から引き揚げてこられて、今こうしていられるのも、そのおかげです。


 今は何もできませんが、かならず恩返しができるよう、これからも頑張って過ごしたいと思います。よろしくお願いいたします。

                           福之助

                               」

 成人した時に、友蔵に何かを贈られたことへのお礼だろうか。光太郎は、素朴ながらも丁寧さがにじむ文面から、時空を超えた感覚と、二人の関係性が目の前に迫ってきて、じんわりしていた。

 友蔵は出兵していた樺太で孤児となった福之助の面倒を見て、終戦時にも連れてきたということか。光太郎に、時折大人の事情とも思えるような昔話を百回話のごとく聞かせてきたきぬ子も、この話をしたことはなかった。

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