第10話 「……はじめて、だったのに」

 百瀬が大人しくなったなら、今度は耳を甘噛みしたり、形に沿って舐めてみたり。……ん、ちょっとしょっぱい。甘い匂いがするから味も甘いかと思ったのに、人の期待を裏切りやがって。


 腹が立ったので、耳の穴に舌を差し込んでやる。私の唾液が流れて立てた音が舌を通して伝わってくると、百瀬のカラダが一際大きく跳ねて……くたり、と私に体重を預ける様になった。重た……くはあんまりないけど、邪魔だな。



「ちゃんと自分で立ってよ、チワワ」


「……むり……死んでよ、ヘンタイ……」


「……はぁ、まぁいいや」



 腕から伝わる抵抗はもう、殆どないといっていいくらい。“もう好きにして”ってか? じゃあ好きにするよ。


 ちょっと距離をとって、無理やりこっちを向かせて、百瀬のご尊顔を眺めてみる。白い肌は真っ赤に染まって、その目からは涙をつうと流していた。はは、キレイじゃん、さすが美少女。


 不思議なのは、私をじっと見るその目に、嫌悪とまた別の何かが混じっているように見える事。なんなんだろうね、それ。それが何かわかんないから……確かめたくて、顎に手を添えてみる。

 


「……はじめて、だったのに」



 私がそうしたなら、これから何をされるかわかったんだろう。小さく身体を震わせた百瀬はお腹から搾り出したような言葉を私にぶつけた。



「なにが?」



 耳を舐められた事ではなさそう。いじめは初犯だから許してくれってわけでもないだろうし。


 わかりきってるけど、煽れるなら煽りたいからあえて聞いてやる。



「……キスだよ。誰ともした事、なかったのに」


「へー」


「へー、って……あなたみたいなビッチにはわかんないよね? この気持ち」


「奇遇だね。私も初めてだったんだぁ」


「……へ?」



 うちらファーストキスをプレゼントしあった仲だね☆


 そんな仲だから、これ以上何か言う前に唇を塞いでやる。ビッチとか言われてムカついたし。その一線だけはどうにか守ってきたんだっての、クソが。



「あっ……んぅ……」



 キスしてやると、やっぱり目を閉じてしまうのは、百瀬にとってキスってのはそういうモノだからなのかな。……ロマンチックな、そういうイメージを持ってるんだろう。ま、相手は私なんだけど☆


 私の唇で、百瀬のふるふるな唇を啄んでみたり。私の唇の柔らかさを、押しつける様に重ね合わせてみたり。はむはむと食んでみたり。


 不真面目なりに勉強してきたからね。前回は息継ぎに迷ったけど、今日は迷わない。苦しくなる前に、唇を触れさせたまま薄く口を開いて緩く呼吸をする。


 でも百瀬の方は、まだその辺りがわかってないみたい。



「う……ぁ……もう、むり……」



 あっという間にへたり込んで、大袈裟なほどに荒い呼吸をし始めた。まぁ、百瀬からしたら、私に休憩なしで唇を貪られた感覚なのかな。


 ……呼吸の仕方がわかって思ったけど、なんだかんだで前回の私って、結構興奮してたんだな。今日も昂ってはいるけど、昨日よりは余裕があるから、冷静に百瀬を味わうことができる。


 屋上の床にぺたんとお尻をつけて座る百瀬の呼吸が、軽く整うまで見下ろして待って……


 ギョッとした表情を浮かべる百瀬と目が合う。ウケるね、こいつにもビンタしてやりたいかも。



「……え? なん、で?」


「なんでって、なにが?」


「だって、わたし、もう、立てないよ?」


「だからなに? 逃げられると思った?」


「……ひっ」

 


 昨日の今日なんだ。


 百瀬という人間は、中途半端に黙らせたところで、翌日には復活するタイプの図太いクズだとわかってる。だから今日は、昨日より追い込む事で、その反骨心がどこまで有効なのかをテストしてやる。


 2、3回なら付き合ってやっても良いけど、そう何回も突っかかってこられたらめんどくさい事この上ない。だから最終的には二度と逆らえない様にわからせるつもりでいるから。


 百瀬の細い首に腕を回して抱き寄せ、唇を触れ合わせる。時折漏れる悲鳴じみた声と、熱い吐息がくすぐったくて、気持ちいい。はは、エロい声出すなぁ。もっと聞かせてよ。最高にムラつくから。


 ……と、そうやって貪ってたら、百瀬の身体が向こうへ倒れていく。力が入ってなくて、ふにゃふにゃ。弱くか細くなっていた声も、もう殆ど聞こえない。


 腕を離してみると、百瀬はぼーっとその瞳に青空を映すだけの人形みたいになって、地面に身体を横たえてしまった。死ん……ではないよね?



「……今日はここまでにしようか。もう行くけど、邪魔しないでよー?」



 やっぱり返事がない。けど、今日は辛うじて小さく頷いてくれたので、乱暴な振る舞いはしなくてもいいみたい。まったく、私だってやりたくてやってるんじゃないんだよ? 百瀬が悪いんだからね?


 しかしやっぱり、これ以上は面白い反応も得られなさそう。


 だからポンポンと膝を払って立ち上がって、ちょっと早いけどバイトに行くとする……って、違う違う。



「アヤメ、行こーよ」


「ふぇっ?! あっ、う、うん」



 私は別に、百瀬にキスしたくてキスしたわけじゃないんだって。百瀬がアヤメをいじめてて、連れ出そうとしたところに邪魔されたからキスして黙らせたんだ。目的はそこにある。


 さてと後ろを振り返ると、やっぱり顔真っ赤で、泣きそうなアヤメがそこにいた。なんでアンタまでそんな反応してるのさ。



「ユカリちゃんって……」


「なに?」


「ひっ。な、なんでもないです」


「言いたい事あんなら言いなよ、お友だち、でしょ?」


「ほ、ほんとーに! なんでもないです!」


「なら良いけど」



 私が歩き出せば、少し遅れてアヤメはついてきた。……多分、百瀬の事を迷ったんだろうね。あんたがそういうヤツだってのは、たった2日でよくわかったよ。


 でも、私は振り返らない。やったことに後悔はないから。


 なので迷う事なく、私は屋上の扉を開けるんだ——



「——ユカリちゃん、こっち」



 屋上かれ校舎内に戻って、階段を降りると、途中でアヤメが私の手を引いた。百瀬? 置いてきたよ?


 ついていった先は、近くにあった水道。


 アヤメは喉が渇いてたのかな、と思ったけど、着いてすぐに彼女はハンカチを濡らし始めた。



「ユカリちゃん、ちょっといい? お、お顔をはいしゃくっ」


「……どーぞ」



 何がしたいのかなんとなくわかったから大人しく、をアヤメに差し出す。すると彼女は、濡らしたハンカチを軽く絞って折り畳み、私のそこに当てた。


 冷たい。けど……優しさが伝わる、冷たさだ。



「きもちいー」


「あ、赤くなっちゃってたからね。どうかな?」


「あー、うん。これなら……



 私がわざとらしくそう言ってやれば、アヤメはわかりやすく息を呑んだ。


 私への気遣いはあるだろう。それと同じくらい、百瀬への気遣いもあるんだろう。アヤメっていう人間は、そういう……。



「さっきは、ごめんね」



 ハンカチの冷たさが心地よくて、私が何も言わずにいると、アヤメが意を決した様に口を開いた。



「せっかくユカリちゃんがわたしを助けにきてくれたのに、邪魔する様な事を言っちゃって」


 

 そういえば、そんなこともあったね。もう大して気にしてなかったけど……アヤメ的には、あれも“裏切り”として捉えてるのかな。



「別にいーよ、気にしてない」


「それでも、ごめんなさい……そ、それでね?」


「うん」


「わたし……わたし、本当はユカリちゃんにも、百瀬さんと仲良くしてほしいんだ」



 相変わらずどこか怯えた様子で、それでも尚はっきりと。


 アヤメは私の目を見て、その言葉を私にぶつけてきた。


 わたしは目つきが鋭いから怖いだろうに、それでもその言葉を口にしたんだ。


 ……か弱い小動物の様に見えて、この強かさ。ああ、やっぱりアヤメは面白いヤツだよ。



「……百瀬は、あんたをいじめようとしてたんだよ?」


「それは……そうかもしれない。でもね、わたしはユカリちゃんのおかげで、いじめられてないよ」


「へぇ……?」


「ユカリちゃんが、えっと……やり方はどうあれ百瀬さんを止めてくれたから、わたしはいじめられてないし、百瀬さんはわたしをいじめてないの」



 やば、面白すぎる。この女、最高じゃん。



「だから、仲良くできるはずって? 都合良すぎない?」


「そう、かも。でも……友だちの嫌なところを見ちゃったからって、それでおしまいにするのは違うと思うんだ」


「百瀬には、そうやって信じる価値があるって?」


「価値とかはわかんないよ! ただわたしは、お友だちになりたいって思った人を、簡単に諦めたりできないんだよ」

 


 ああヤバい、笑えちゃう。目の前のアヤメはもういっぱいいっぱいみたいで泣き出しそうなのに、それでも私の目をまっすぐに見て、言葉をぶつけてきた。


 私はアヤメという女の子が面白すぎて、弧を描く口許を抑えられない。


 本当にアヤメは……“優しい子”、なんだね。私みたいなのとは、全然違うんだね。


 ……笑わせてくれた礼に、一つくらい言う事を聞いてやるか。



「それで、私にどうしろって? もしまた百瀬が突っかかってくるようなら、私はまたあいつを黙らせるよ」


「それは……それで、いいよ。でも……」


「でも?」


「でももし、仲良くなれるかもしれないって、そういう機会がきたら……その時は、百瀬さんの手をとってあげてほしいな」



 抽象的なお願い。だけど、アヤメが何を求めているのかはなんとなくわかる。だから私は答えに迷わない。



「いいよ」


「えっ?!」


「なに驚いてんのさ」


「あ、え、ごめん……まさかそんな簡単に、受け入れてもらえるとは、思ってなかったというか……」


「友だちのお願いくらい多少は聞くっつーの。それに、そんな“機会”が来るとは限らないし」



 当たり前のことを伝えてやれば、アヤメは少し肩を落とす。そりゃそーだ。どちらかが積極的に仲良くするんでなければ、そんな機会が訪れるかどうかは……だれにもわからないよね。


 その上で私はアヤメに伝えたい事がある。彼女が私に、一方的なお願いをぶつけてくるなら、私だって少しくらい言ってもいいよね?



「それから……そのお願いは聞くよ。でもね、これだけは覚えといて」


「……なに、かな」


「私に“強制”は出来ると思うなよ」



 ……思ったより、低くなってしまった声に、アヤメがびくりと肩を揺らした。別に脅すつもりじゃないけど、結果的にそうなっちゃった。てへ。



「それは友だちのやる事じゃない。それをやったなら友だちじゃない。……わかるよね?」


「……う、ん」


「なら、いいよ。お願いは聞いてあげる。アヤメの望み通りなるかは……ま、お星様にでも祈っときな」



 ハンカチのお礼を伝えると、怯えて固まったアヤメが慌てたように動き出す。そんなとこまで面白い動きしなくてもいいのに。



「じゃあ私、これからバイトだから」


「そうなんだ! もう行くの?」


「うん。アヤメは……好きにしたらいいんじゃない? 私が言う事じゃないかもだけど」


「……うんっ!」



 そうやって手を振って別れると、駆け出したアヤメは階段を。そうだよね。優しいアヤメとしては、が寝たまま一人でいるのは気がかりだもんね。


 その背中になんだか寂しいというか、ムッとするというか、なんとも言えない感覚を覚えたけど。


 でもまあ、友だちに“強制”は出来ないんだ。だから私は一つ笑いをこぼして、バイトに向かう事にしよう。

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いじめっ子をいじめるいじめっ子。 上埜さがり @uenosagari

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