いつも稚拙な私の書く物語をご覧いただきありがとうございます。
表題の件について、ご報告というか、心情吐露の為の場を求めて、ノートを認めさせていただきます。もしかしたらすぐに消してしまうかもしれません。貴重なお時間を使う価値があるかどうかは、この時点で皆様の判断に委ねさせていただきます。
本日投稿のお話にこのような“応援”コメントがついていました。
「なんだか言い訳してて、りりか可哀そう
誠実さもないし卑怯やな。男女だとダメだろうけど、女女ならゆるされるのだろうか」
という一文でした。
この否定的なコメントを受けて、思う所があり筆を取った次第です。
まず物語に対して読者の皆様に否定的な感想を抱かせてしまうのは、筆者である私の不徳の致すところです。その点についてのみ、申し訳なく思います。
ですがこのコメントは“読者”と呼ぶにはあまりにも物語を読んでくださっておらず、さらには許し難い一文が含まれていた為に、この場で所感を述べさせていただきたいと思います。
まず「なんだか言い訳してて、りりか可哀そう」という最初の一文。こちらについては、あくまでこの方の感想だと捉えられる為、申し上げる事はございません。
雪奈の立ち振る舞いが言い訳に見えた。そう対応された凛々夏が可哀そうに見えた。という事であれば、やはり一つの感想の範疇として、受け止めさせていただきます。
ですが「誠実さもないし卑怯やな。」という続きで、この方は物語をよく読んではくださっていないのだと判断するに至りました。
これは明確にキャラクター批判の言葉です。ですが、ただ雪奈というキャラを貶したいが為に記された言葉です。
雪奈は当時の家庭環境によって、器量良しでありながら自尊心が育ちきらなかった臆病者のオタクで、明るくコミカルに振る舞っても内心ではあれこれと悩みがちな女性であるというキャラクター像は、この物語を通して描写してきました。
そしてここ数日のお話で描写したのは“不意に凛々夏とのキスの機会に恵まれてしまった雪奈が、キスとは本来好き合う者同士での行為と考え、それを確かめずに受け入れるべきではないのではないかと懊悩する姿”です。
自尊心が低く、それでもオタクとしてあろうとする雪奈が、憧れの存在である凛々夏とキスを出来たからとはいえ、“やったー、キスしちゃった、ハッピーだー”などと前向きに考えるでしょうか。それこそ楽観的に過ぎる不誠実な人間のする事ではないでしょうか。
キスした事実に変わりはないんだから、それを有耶無耶にするのが不誠実だと仰られたかったのであれば、それもまた的を外れた考えです。
何故なら雪奈は、キス“された”側の人間だからです。
雪奈が当時酩酊し、判断能力が著しく劣化していたという描写は行わせていただきました。その様な状態の雪奈に対し、行為を迫ったのは凛々夏です。
なおかつファーストキスというある種の特別性を有する機会を不意に奪われたのにも関わらず、雪奈は凛々夏へ抱く愛ゆえに受け入れる事を選びました。
この場合、どちらに非があるのかは、ある程度の良識を持って読んでくださっているのであれば一目瞭然でしょう。
しかし雪奈は、キスの事実を有耶無耶にして、記憶がなかったかの様に振る舞う事に対して罪悪感を確と抱いております。その様なキャラクターを指して卑怯などと言って退けるのは、よほど御身が高潔な生き方をされているのだと私は愚考致します。
ただ、その様な高潔な方が、何故キャラクターを貶す様な事をなされるのでしょうか? 私には少しわかりかねます。
そして何より許せないのは最後の一文。「男女だとダメだろうけど、女女ならゆるされるのだろうか」。
この様な考え方をする人に百合界隈に居て欲しくないです。
まず男女でしてはいけない事は女性同士であってもしてはいけない、忌避すべき事です。
だからこそ、“電車の中で痴漢されたと思ったら、相手が好きなアイドルだった”という、非日常的な物語として成立するわけです。禁忌を犯す凛々夏を、愛ゆえに雪奈が受け入れていく模様を、可能な限りコミカルに描いた物語なのです。
このコメントは同性愛に対しての差別だと私は考えます。異性愛と同性愛が共に普遍的な価値を持つものである理解しているのであれば、この様な発言は言語道断です。
これらの事柄について、“作中にて説明が足りていない場合”に意見を述べる事をいち物書きとしては恥ずべき事だとは思います。ですが私は最低量の描写を行なってきた自負があります。
その為私は、このコメントを記した方を読者ではないと判じ、物語を守る為に反論させていただきました。
当該コメントは既に削除し、読者ならざるこの方はNG処理を致しましたので、今後関わる事はないでしょう。卑怯だ傲慢だと謗られるかもしれませんが、権利を有する私の土俵にずかずかと上がり込んできた方に、与える手心を私は有しません。
では何故このノートを認めたのかと申し上げれば、心の弱い私の心情を誰かに打ち明けたかった事と、ここまで読んでくださった方へのお願いがあったからです。
カクヨムの応援コメントは“応援”なのです。実質的な感想欄としての機能を有しても居ますが、本質的には書き手と読み手である何方かがポジティブな言葉を期待して目にする場所なのです。
そしてその内容の如何では、書き手の心は傷つけられ、それ以上に読み手の認知に歪みが生じかねません。それは物語の継続に関わりかねない傷と歪みです。
どうか、この長い記事を読んでくださった貴方様には、残すコメントが“応援”の名に相応しいものなのか、いま一度確認する事を切にお願い致します。
……あー、しんどいですね。