千秋楽

 本場所中の朝の稽古は普段より早く終了し、昼ちゃんこも早い。セックス研もないため、その日取組がなく関取の付け人でもない者は自由時間が長い。9月場所14日目、視姦は明日の優勝決定戦に出場する力士たちの過去の取組の映像を繰り返し見ていた。

 幕下優勝決定戦に出場する6勝1敗8力士のうち、最有力者は元関脇 法の室(のりのむろ)だった。左膝の怪我による休場で三段目まで番付を下げたが、復帰して番付を再び上げてきていた。膝の状態は万全ではなく1敗はしたが、さすがに元三役力士だと映像を見ても思う。

 瑠希奈は生セックスの付け人として国技館へ行っており不在、セックス王は相撲中継を見ながら達者になった日本語であれこれ批評を加えてうるさかった。

 視姦は幕下上位で6勝1敗の成績であり、この優勝決定戦に勝たなかったとしても十両昇進は確実だった。力士にとってもちろん幕下優勝は喜ばしいが、それ以上に新十両は遥かに大きな喜びである。




 幕下以下の優勝決定戦は、千秋楽の幕内の取組開始前、中入り後に行われる。幕下以下の取組では観客もまばらだが、千秋楽のこの時間は満員御礼の幕もかかり雰囲気がまるで違う。

 くじ引きの結果、1回戦で視姦は法の室と当たった。

 実力差で言えば厳しい相手だ。今朝は稽古場で荒セックス関から、

「絶対に負けられない。そんな強い思いがあれば苦しみの奥底から力は沸いて出る」

 と激励された。荒セックスは怪我で十両にいるが、前頭筆頭まで進み平幕優勝の経験もある力士の言葉は重かった。ネパール出身で経済的に苦労した両親を楽にするという決意で角界に来た人だった。荒セックスは、真面目で愚直に努力を重ねる視姦を自身と重ねて目をかけていた。


 土俵に上がると視姦は無心になった。十分に対戦相手の研究はしてきた。余計なことを考えるのはやめよう。瑠希奈もセックス王も今は関係ない。小細工もしない。

 立合い、視姦は力強く踏み込み、思い切り頭から当たる。

 法の室は立ち合いで両差しを狙うような動きを見せたが、視姦はそれを許さず差し手争いに勝った。

 右の下手を深く差し込み、左はおっつけて法の室の右肘を極め、法の室の腰が少し浮く。右手の先でも覗けば法の室は力を発揮できるが視姦は一切差し込ませない。しっかりと右の下手の肘を張り、法の室の上手に力が入らない。細かな動作と技術の数々が、視姦の中で統合され、意識をする前に相手の動きに呼応して全てが自然に繋がっていく。

 視姦が法の室を押し込んでいく。重い。重いが、中学3年生の時に、地元の相撲教室に突如現れたセックスしないと出られない親方を押したあの時に比べれば、重くはない。

 じわじわと法の室を押してゆく。法の室の足が土俵にかかり、動きが止まる。視姦は全力で押し続けるが動かない。我慢比べになった。息が苦しい。膠着したならタイミングよく引いて引き落としを狙う道もある。


 引くわけねえだろ。

 ふざけるな! 後から来て横入りなんて許さねえよ絶対。

 俺が瑠希奈と国技館の土俵で取るんだ。お前より先に、ずっと前から、最初に会った時からそう決めてんだよふざけるな!


「押せッ、諦めるな、国本、押し切れッ、行け!」

 仕度部屋のモニターで取組を見る荒セックスが大声を出すから、周りも何事かとモニターを見始めた。思わず改名前の名で呼んでいた。

 視姦は法の室を押し続けた。顔が真っ赤になる。息が止まって死にそうになるのも自分ではもう分からない。押し続けるうちに怪我で長く稽古を積めずにいた法の室のスタミナが持たなくなってきた。法の室の上体がわずかずつ起きる。法の室が苦し紛れに小手投げを打つが、視姦は構わずそのまま押し切った。

 力強い相撲に館内が沸いた。荒セックスが雄叫びを上げる。支度部屋でも「おおッ」と立派な相撲に喚声が起きた。

「いやあ視姦は、本当に力強い相撲でしたね」

「幕下上位で6勝1敗ですから、来場所は恐らく新十両でしょうが、もう幕内力士と言っても違和感ない相撲でしたね。本人の中で何か大きく変わったんじゃないですか。これからが本当に楽しみな力士ですよ」

 リプレイを見ながら実況と解説も絶賛した。




 視姦の次の対戦相手はセックス王だった。8名で計7番の相撲を取らねばならない優勝決定戦の進行は早く、息つく暇もない。

 セックス王の弱点である癖。それは立合い直前の仕切り、右手を下ろしてから左手を下ろすまでの間のわずかな長短の差だった。1秒にも満たないその差で、左右のどちらに変化するのかが分かってしまう。本人の中でタイミングをそれで測っているのだろう。

 セックス王は軽量で、まともに相手と正面から当たれば勝ち目はないから左右に変化するか潜り込む相撲を取る。その変化を予測できれば相手力士にとってかなり有利になる。本割りでセックス王が負けた相撲は、その弱点を視姦から教わった力士がセックス王の素早い動きに対応できたためだった。しかし簡単に判別できるものでもない。

 ゲームで言えば6フレームほどの判断。視姦は先に手をついて待った。セックス王が右手をつく。わずかに早い。左への変化。視姦も左へ変化して立った。これで両者が向かい合い不利な体勢にはならない。ここからセックス王を捕まえて、好きにさせなければ勝てる。


 しかし視姦の目の前にセックス王はいなかった。セックス王は予想に反し右へ変化、視姦の左斜め後ろにいた。視姦が背後からまわしを取られる。こうなるともう相撲にならない。視姦は最後まで必死で振り切ろうとするが、まわしに食いついたセックス王は離れない。

 無様に抵抗しながら、視姦は諦念にまみれて思った。癖は、そう簡単に抜けはしないから癖なんじゃないのか。このたった2日で気付いて、気付いただけでなく修正したのか。ああ、やっぱりこいつは、相撲の天才なんだな。

 視姦は「セックス王が強くなるには、本場所でしっかり弱点を突かれる方が良い」と有力な幕下力士に言い訳しながら弱点を伝えた。その結果、本割りで1敗させた。そのバチが当たったんだ。そんな弱点をあてにせず、全部忘れて自分の培った技や体を信じて行けばよかった。ああ、どうしようもない、もうどうしようもない。

 なすすべもなく、もがきながら土俵外へと視姦は寄り切られた。負けて振り向くと、いたずらっぽい顔をしたセックス王がいた。ほらね、弱点だと思ってたでしょ、引っかかった。そんな子供の顔だった。




 セックス王も瑠希奈も2番を勝ち、優勝決定トーナメントの決勝戦に進んだ。同部屋対決。勝った方が優勝の一番。セックス王の「1年後の本場所の土俵の上で」が結局実現した。

 本場所の土俵には強くライトが当たり、テレビ中継で見るよりも肉眼では暖かみのある色で力士が美しく見える。褐色の肌の瑠希奈と、青白いセックス王が並ぶと、お互いがお互いを引き立て合ってより強いコントラストが生まれた。体型もあんこ型の瑠希奈と、そっぷ型のセックス王で対照的だった。


 支度部屋へ戻った視姦は、荒セックスに迎えられ力戦を労われると、悔しさと歯がゆさがふいに突き上げてきて涙をこぼしそうになったが、それよりもこの一番の方が気掛かりだった。

 左上手を取れ、取れ、何としても取れ、取ったら絶対に勝てる、そんな瑠希奈への祈りをモニター越しに込め続ける。東西それぞれの支度部屋で、セックス部屋の所属力士以外もモニターの近くに集まってこの勝負の行方を見守っていた。


 立合い、セックス王は変化し、瑠希奈の右腕をたぐるような動きを見せたが、瑠希奈は大きく踏み込みつつ素早く変化について行き、難なく浅い位置で左上手を取った。

「おぉッ!!」

 セックスしないと出られない部屋でテレビ中継を見ていた金髪縦ロール悪役女将は二人のどちらにも肩入れはしていなかったが、感嘆の声を上げた。

 すっと瑠希奈の腰が下がって寄っていく。しかし右の下手はセックス王が上手くさばいてまだ取れない。土俵際でセックス王は何度も残し、そうするうちにセックス王は右で下手を取った。一瞬の隙間にねじ込んで下手が深い。投げが来るのを直感的に察知した瑠希奈は上手の位置をさっと深く取り直し、互いの呼吸が合って両者が同時に土俵際で投げを打った。どちらも手を付かず頭から地面に落ちる。行司軍配は瑠希奈に上がる。瑠希奈はその勢いのまま正面たまりへと落下していく。

 正面の審判長は、理事で審判部長のセックスしないと出られない親方だった。親方は落ちてくる瑠希奈を避ける素振りも見せず微動だにしない。すぐ脇を瑠希奈の体がかすめ、すっと親方は手を上げた。物言い。5人の勝負審判が立ち上がって土俵上に集まる。

 たまりに落下した瑠希奈は観客の老婦人と激突し、館内が騒然とした。9月の残暑が厳しい中、老婦人はきっちりと和服を着込んで乱れもない。瑠希奈は髪の生え際あたりを数か所擦りむいて血が滲んでいた。ゆっくり起き上がりながら老婦人に話しかける。

「おばあちゃん、興奮した?」

「ああ、最高に濡れたよ。あんた、勝ちなさい」

 この老婦人はかつての荒田川親方夫人、前の女将だった。

 テレビ中継では投げの打ち合いの映像を様々な角度で繰り返し流した。スローモーションで見ても二人の頭が土俵に付くのは同時だった。

 瑠希奈が位置に戻ると勝負審判の協議も終了した。審判長・セックスしないと出られない親方が競技結果を館内マイクで説明する。

「同体にござる。取り直しといたしまする」

 館内がどっと湧き、二人が再び土俵に上がる。




 セックス王が気合を込めてまわしを叩く。パンッパンッスパパンッエロテンポが国技館に響き渡る。瑠希奈が気合の雄たけびを上げる。

「あやーーーーーーーんッ」

 瑠希奈は諸手突きで立つと、激しいつっぱりを繰り出していった。セックスの里に仕込まれた技が自然に出た。セックス王も素早い手の動きで肘のあたりにあてがってさばいていく。瑠希奈は少しずつ前進していく。つっぱり合いが長く続き、場内の喚声も大きくなっていく。打ち漏らした瑠希奈の手が、セックス王の首元あたりに入ると、わずかに上体が起き、その瞬間を逃さず瑠希奈はセックス王を捕まえた。早い動きで右四つの形をつくる。がっぷり四つになるとセックス王は苦しい。捕まらない技術を磨いたセックス王と、捕まえる技術を磨いた瑠希奈の、後者がわずかに上回った恰好だった。

「行けッ、寄れ!」

 がぶり寄りの名手、駅弁が思わず叫ぶ。組んで寄る技術を瑠希奈に仕込んできたのは駅弁だった。

 土俵際近くで力強く瑠希奈は寄り、セックス王の足が俵にかかるとがぶる動きを見せた。

「ンホ アヒ アヒ アヒ アヒ アヒ ンホ ンホ アヒ」

「アクメ寄りィッ!! 行けーーーーーッ寄りきれーーーーッ!! 瑠希奈ァーーーッ瑠希奈ァーーーッ!!! うぉおおおおーーアクメェーーッ」

 2階の椅子席最前列で身を乗り出して絶叫していたのは瑠希奈の母親だった。隣で父親は強く握った両手を口の前で震わせて祈るように土俵を見つめていた。両親は瑠希奈が幕下の優勝決定戦に出ると知って上京していた。

「アヒ ンホ アヒ アヒ ンホ ンホ ンホ アヒ アヒ アヒ ンホ アヒーーーーーーー」

 遠くの汽笛が悲しげに鳴り響いてくるように瑠希奈の声が尾を引いて、その瞬間ふいに圧力が緩んだ。絶頂に達していた。セックス王はそのかすかな機会を逃しはしない。伸びかけていた腰を落とし体を捻り、うっちゃりを打った。二人は土俵際で後ろ向きに倒れ込んだ。

 行司軍配はセックス王に上がる。勝負審判が手を挙げただちに物言いがつく。2度目の協議。

 まわしはきつく巻かれ、少々の吐精など何ら問題ない。

 テレビ放送では二人が倒れ込むシーンがスローモーションで流れるが、二人の背が付くのはまたもや完全に同時だった。

「ただいまのアクメ符号ですが……『BIG LOVE』、『BIG LOVE』とのことです」

 NHKのアナウンサーが放送中にアクメなどと口にして、すっかりセックスワードに慣らされタガが外れている。

 協議の結果は同体取り直し。

 二人は三度土俵に上がった。




 この短い時間で既に4番を取っている。二人にとってこれが5番目だった。特に直近の瑠希奈との2番は、セックス王本来の離れて翻弄する相撲ではなく力相撲だった。セックス王は目に見えて疲労していた。白い肌が真っ赤に染まるが、目はギラついてむしろ覚醒し昂っていた。

 一方の瑠希奈は、なにか如来像のような穏やかな顔をしていた。賢者タイムだった。

 二度目の取り直し、瑠希奈はふわっと立った。気力を振り絞ってセックス王は八艘飛びのような動きを見せ、瑠希奈のほとんど背後に近い位置にまで回り込んだが、間合いの外としか思えないところまで瑠希奈の腕がすうっと伸びてまわしを取られた。

 異様に脱力していながら、瞬間的、局所的に筋肉を固め、極めて効率的な動きをしている。まるで腕が伸びたり、空間が圧縮されたかのように相手には感じられた。

 相手有利に運んだ上で後の先を制するのは、横綱時代のセックスしないと出られないを髣髴とさせた。

 一気に引き付けられる。セックス王は兄弟子の見たことのない姿を目の前に恐怖した。部屋の稽古場で何度も胸を合わせ、この一年で瑠希奈がとても強くなったのは知っている。ただこれは、強いとか上手いとかいうのとは次元が違った。地面と一体化して、その地面が、もっと言えば国技館の基礎からさらに下の大地そのものが盛り上がってこの体を押し上げてくるような感覚があった。


 力士を「お相撲さん」と呼ぶ。そのことをセックス王は全身でいきなり理解したような感覚がした。相撲なのだ。この人間が相撲そのもの。瑠希奈が「お相撲さん」なのだ。

 セックス王は息が上がりながらも全力で耐えていた。前の2番も攻め込まれながらも同体に持ち込んだ。がっぷり四つに組みながら、セックス王は細かく動いて勝機を探る。しかし瑠希奈は柔らかく全てを吸収して無に帰していく。

 1分が経った。相撲は平均して10秒ほどで勝負が決する競技だ。大相撲になった。自然と場内から喚声が沸いてくる。「頑張れ!」という声援も投げかけられる。

「頑張れ……!」

 視姦もモニターの前で思わず声援を送った一人だった。しかしこの声援は、瑠希奈ではなくセックス王に向けていた。ずっと瑠希奈を応援しセックス王を敵視していたと自覚していたから、視姦は自分でも驚いた。

 視姦はこの1年の中で、セックス王に

「どうして瑠希奈にこだわるんだ」

 と直接尋ねたことがあった。すっかり日本語が達者になり、その辺の高校生と変わらないような口調でセックス王は、

「だってあの人、ズルいじゃないスか」

 と言った。

「なんか、見てると悔しいんスよね」

 そう言うセックス王を理解できると思った。俺と同じだと思った。こいつも瑠希奈を見てその肉体に並々ならぬものを感じ取った。しかし精進しない。そのことに嫉妬し、歯がゆく、腹が立った。


 入門からずっと一緒だった視姦も、こんな瑠希奈の状態を見るのは初めてだった。持った体と、磨いた技に、絶頂の先の心が合わさって、相撲そのものになった。

 絶頂へと導いたのはセックス王だった。この幕下優勝決定戦まで連れてきたのは視姦や部屋の兄弟子達だった。視姦に瑠希奈を鍛えさせる気にさせたのはセックス王だったし、セックス王が相撲を目指したのは横綱セックスしないと出られないの活躍でフィンランドに相撲熱が生まれたからだった。部屋にバラエティ豊かな関取衆がいるのはセックスしないと出られない部屋の環境とスカウト能力あってのことだった。瑠希奈を見出し相撲の世界に連れてきたのはセックスしないと出られない親方だった。

 結局、この一番は、横綱セックスしないと出られないが、数十年をかけて撒いた種が結実しさらにそれが種となり育ち実ったその果実なのだ。千数百年にわたる相撲の歴史の先の先に、この土俵上の二人がいる。視姦は気の遠くなる思いがした。


 2分が経った。胸が合い互いの頬を付ける形で、瑠希奈の甘くころころとした声がセックス王の耳元で囁いた。

「まわしなんていらないのにね」

 ズゴゴゴゴと底の見えない穴の奥から響いてくるような音がした。瑠希奈のどこから出ている音なのかは分からない。瑠希奈はセックス王の下手を掴み、強引に引き剥がした。セックス王の上手も切り、巻き替えたかと思うと両腕で外側から絞るように強烈に下からおっつけた。セックス王の体がふわりと浮く。両者ともまわしを取っていない。

 セックス王はその瞬間、自身のまわしが消滅したかと錯覚した。不浄負けかと思ったがそんなことはない。全裸で相撲を取っている感覚に陥った。ふいに懐かしさに全身が満たされた。赤ん坊の時に高い高いをされた記憶が蘇った。大切な宝もののようにゆっくりと土俵上に降ろされると、セックス王はどういうわけか絶頂に達した。膝の力が抜けて尻もちをついた。

 吊り落としのようでもあったが、勝負結果としては腰くだけとなった。

 唐突な決着に館内も騒然とした。セックス王自身何が起こったのか分からず呆然と土俵上に座ったままだった。この2分超の苦しい相撲に息が荒い。実況・解説は「体力の限界を超えて戦ったからだろう」と解釈していた。

 土俵下、審判長のセックスしないと出られない親方は恍惚の表情で土俵上を見上げ何事か呟いていた。

「相撲よ赦したまえ。相撲よ。大相撲よ。おぉ……」

 しこ、かわいがり、胸が合う、腰くだけ……セックス。セックス以上にセックスな相撲。視姦は様々な相撲用語やこの一番の映像が脳内を駆け巡りながら全てがセックスへと繋がっていくような非論理的な混乱にあって同時に冷静でもあった。

 土俵の中央付近で強いライトを浴びて褐色の肌を輝かせ、瑠希奈が艶やかに地面と一体化したように立っていた。幕下優勝、瑠希奈。

 弟弟子に手を差し伸べて起こすとようやく、二人に万雷の拍手が降り注いだ。




 千秋楽パーティーでの挨拶で、セックスしないと出られない親方は、

「この光景を何者も忘れぬであろう。ただそれ自身で平静に、ただそれ自身で誇らしく、その光景は誰もが忘れ得ず、そこにあるであろう」

 と言った。

 その深夜、セックスしないと出られない部屋の暗い稽古場の土俵で親方はオーロラの化粧まわしを身に着け、オーロラ色のライトが照らす中にいた。

  Can you celeヴォアー

  Can you kiss me toヴォアー

 メタルアレンジの安室奈美恵「CAN YOU CELEBRATE?」を歌いながら親方はデスヴォイス(グラウル)を響かせる。金髪縦ロール悪役女将DJマリアが音楽をかけて踊る。元力士で番頭格のスタッフ瀬上氏も踊っている。

  永遠ていう言葉なんて 知らなかったよね

 セックスしないと出られない親方は雲竜型の横綱土俵入りで見事なせり上がりを見せる。

  二人きりだね 今夜からは少し照れるよね

 手を天に捧げ、オーロラ色の光を浴びる。女将と番頭もチルいステップを踏んでいる。太刀持ちと露払いである。大音量が全身を震わせる。早朝から稽古のある相撲部屋の防音性能は高く、近隣住民も上階の弟子たちもこの3人だけのクラブには気付かずに眠る。窓からはオーロラの光がうっすらと漏れる。

  I can celebrate...(ヴォー……)




 セックスしないと出られない親方は、前の師匠の息子である瀬上氏から年寄名跡 荒田川を取得し、名跡を荒田川に変更した。部屋の名称も、セックスしないと出られない部屋から荒田川部屋となった。

 所属力士たちは順次改名していった。生セックスは樂の生(らくのしょう)、朝セックスは朝樂(あさらく)といった具合にかつての師匠のしこ名「王呂樂」から樂の字を与えられた。角界からセックスワードが消滅した。

 視姦改め樂の国(らくのくに)は三役力士となり、セックス王改め2代目 王呂樂は横綱となった。瑠希奈は十両昇進後ほどなくして引退した。同期入門の樂の国でさえ連絡を取れず、瑠希奈がその後どうしているのか分からずにいた。


 師匠の荒田川は理事長となった。保守的な人物と終始思われていたが、穏やかに革新的であった。様々な施策を自身の部屋や周囲で小さく試し、上手くいったものは他の親方などの提案といった形で他人に功績を譲り、全体に取り入れていった。

 部屋の中で擬似的な親子・家族関係を形成し、年寄株の制約を受けながら現役力士のみが親方として協会を構成するギルド的な体制などは形式的に残しながら、その排他性を緩やかに崩し、日本社会に残っていた数少ない中間勢力的な性格を解体していったが、それは一種の非合理として現代の目には映るものを捨てていく過程であったから、荒田川理事長の組織運営はただ常識的なものとして取り立てて「改革派」などとは誰にも思われなかった。


 マリアは女将の互助会を組織した。

 女将には研修制度もなければ、雇用関係もない。たまたま結婚した相手が部屋の師匠となったために、何の準備もなく女将業を始めねばならなくなった者も少なくない。女将の業務には、弟子の育成、部屋の経営、生活支援、後援会との渉外などがあるが、女将が何をどこまで担うかは部屋によりまちまちである。先代女将から教育を受けられなければ、自力で習得・構築するほかない。

 過去には、病気療養で師匠不在の部屋において、強権的な女将が弟子の生活を厳しく監視し、食事も満足に与えず、意向に背いた弟子を罰するなどした結果、堪りかねた弟子が集団で脱走し協会に訴えるトラブルが生じたこともあった。しかし協会は女将と雇用関係になく対応に苦慮した。

「そんなの変ですわァ~~!」

 マリアは勝手に女将や女将候補と連絡を取り合いネットワークを構築、情報交換会と称した集まりで互いの悩みごとや困りごとを相談し合った。女将業を「師匠の女性の配偶者」が必ずしも担う必要もなかった。マネージャーを雇用するケースもあれば、師匠が男性パートナーを持つケースも出てきていた。男性の場合は「番頭さん」と呼ぶようになった。

 マリアの情報交換会は発展的に「女将番頭会」という互助組織となり、相撲協会と委託契約を結ぶに至った。マリアは角界全体での女将の代表者とみなされるようになっていた。

 女将番頭会は後年、マリアの女将引退後、各部屋の運営に過剰に干渉するようになり、反発した一部の女将・番頭が離脱するなど分裂騒動が生じることとなった。




 その男は荒田川理事長を執拗に「セックスしないと出られない親方」と呼んだ。懐かしい響きだと理事長は思った。

「セックスしないと出られない部屋ってね、僕が発明したんですよ。エロ同人で初めて考えたのは僕なんですよ」

 全くそんな事実はなかったが、その男は完全に自分の発案だと思い込んでいたのだった。電車を降り、駅から相撲部屋兼自宅まで徒歩で帰宅する理事長に話しかけてきた。

「セックスしないと出られない親方が、セックスしないと出られない部屋を作った時は、現実になるんだって興奮しました。でもパクリじゃないですか。僕に黙ってやるのはおかしいですよね」

 男はカバンの中を探っている。

「それで元祖セックスしないと出られない部屋ですみたいな顔して、今度は勝手に辞めてもう関係ないですみたいな顔して、そんなの許されないですよ。セックスもしてないのに部屋の方がなくなるのはルール違反でしょ」

 男がカバンから包丁を取り出して突き刺そうとした荒田川理事長の体は既にそこになく、素早く体をずらして包丁を突き出した男の右肘を捻じるように極めてもう折っていた。包丁がアスファルトに落ちる。そのまま腕を取って担ぎ上げるように男を持ち上げると、地面に叩きつけた。

「ナニ見てたオマエ、見てなかったか?」

 昔の洗濯で衣服を岩に何度も叩きつけるような具合に、男を持ち上げては地面に打ち付けてかわいがる。15歳で来日して以来、時代劇のような口調の理事長がこの時だけ様子が違った。

「セックスあっただろ。バカ」




 ヘルシンキ市内、やや中心部から外れたところに日本食レストランがあった。寿司やとんかつ、ちゃんこ鍋などを供する店だった。ヘルシンキはフィンランドの首都だが、東京23区と比較すると面積は3分の1、人口は16分の1とコンパクトで機能的な街だ。人も穏やかで優しい。

 店の名は「REVONTULET(レヴォントゥレット)」という。Revoは狐、Tuletは炎を意味し、直訳すれば狐火、フィンランド語でオーロラを意味する。初代 王呂樂が横綱として活躍した時期にオープンし、既に30年を迎えていた。王呂樂の活躍によりフィンランド国内で相撲ブームが起き、さらに2代目 王呂樂によってそのブームが再燃していた。

 店には土俵が設けられていた。一辺6.7mの正方形に土を盛り、中央に俵で直径4.55m(15尺)の円が作られ、その東西南北4ヶ所に徳俵の設けられた、日本の大相撲と全く同じ本格的なつくりだった。

 初代 王呂樂と2代目 王呂樂それぞれの優勝額が1枚ずつ壁に飾られていた。優勝額は、幕内最高優勝を成し遂げた力士を顕彰するため、化粧まわし姿の力士の写真を縦3.2m、横2.3m、十両80kgの巨大な額縁に仕立て、両国国技館の天井付近に掲げられる。一定期間を過ぎると力士本人に贈られ、部屋や母校、故郷などへ寄贈される。初代・2代目ともにオーロラの化粧まわしを身に着けていた。


 店ではIwS(ユーズ)というニックネームの日本人青年が働いていた。キッチンでは極小下着に裸エプロン姿だった。ヨハンナ・グリクセンのドリス柄、生成り色のベースにオレンジ色の幾何学模様のパターンのエプロンが、ユーズの小麦色の肌によく似合っていた。

 店では週に3回、土俵での相撲イベントが開かれていた。取組の実演や、子供やお客さんが力士に挑戦するといった催しだった。日本の大相撲の元関取であったユーズも土俵に上がっていた。店内は薄暗いが、土俵はライトを浴びて明るい。マリメッコのビビッドなウニッコ柄の浴衣を脱ぐと、美しい肌に白い締め込みが映える。ショーはいつもしているのにまるで今初めて土俵で相撲を取るような、最初からずっと驚きたくてうずうずしていたような顔をする。


 店の隣は相撲クラブで、ユーズは子供たちを教えていた。また新たな子供がクラブに入門してきた。

「お相撲は好き?」

「わかんない。IwSって変な名前」

「だよね~。相撲ネーム、しこ名なの。長いから略してるけど、ほんとはInescapable without Sexっていうんだ」

「ふうん」

 フィンランドから日本へ渡った大横綱の下で学び、日本からやって来たその愛らしいお相撲さんを、地元の人々は長く愛した。

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元祖セッ部屋 オジョンボンX/八潮久道 @OjohmbonX

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