そして迎える円環
蝉時雨と緑の天井。
聞こえる、せせらぎに混じり、さわさわと草が擦れる音も聞こえる。僕は目的地に向かい山へ入ると流れる川を案内人に山を登った。
夏の木漏れ日が、暑苦しい僕の装備に落ちる。
暫く歩くと、それは静かに姿を消し生存圏を越えたことを教えてくれた。
僕はヘッドセットを上げてスイッチを入れた。
マウントされたディスプレイには様々な数値が出るが、一番重要なものは汚染濃度。この数値が高くなればなるほどに、侵食の可能性も増す。「ヒト」を含む我々物理現象体は、未だ仕組みが解き明かされていない「世界因子」なるもので、存在を保っている。汚染濃度とは云うが、つまるところ数値が高ければ別の「何か」に変わってしまう。と、いうことのようだ。その「何か」が何処からきて、何処へ還っていくのかは判らない。
これは最高機密事項として扱われる部類の話だが、数十名で構成された探索隊が歪みに呑まれ、翼の生えた山程に大きな蜥蜴が現出したと聞く。もちろん、それは討伐されたのだそうだが、実際のところはどうだったのだろう。
※
迷うことなく灰色をした山を登った僕は、暫くすると目的の屋敷へ到着した。綺麗に切り拓かれた広大な山の中腹にポツンとある屋敷の周囲は、僕の身の丈ほどもある草や、奇妙な細木で覆い尽くされている。
親父の残したTODOの一つは、まずはこの侵略者達をどうにかしろと云っている。僕は外套の内側から大振りのサバイバルナイフを取り出し、柄に口を当てると、細いケーブルを引っ張り出した。そして、それを左手のグローブに仕込まれた端末へ接続をした。
ブウォンと耳が詰まったのかと疑いたくなる起動音がすると、黒い刀身が若干、緑の輝きを纏い細かく振動をした。
そこからは、永遠と草刈りに細木の伐採だ。
屋敷の庭。裏庭、離れの畑に土蔵の周囲。隅々と綺麗にした。見違えるほどに。これに一体なんの意味があるのだろうか? それに「全てを置いてきた」というのは、具体性に欠けており実に親父らしい表現だが、ここまで来ると、少々厄介だ。まあ、しかしだ。これが海に出ろとか、船がどうとかという荒唐無稽な壮大な話でなくてよかったとは思う。
土蔵の影で汗を拭った僕は、なんとか、ひとりごちると最後のTODOである「庭の外廊下へ迎え」を実行に移した。
※
すっかりと綺麗になった庭をゆっくりと横切り、屋敷の外廊下に腰をかけた僕は、暫く空を眺めていた。こうやって綺麗にしてみると、なんだか懐かしさを感じ小さな頃に、ここで遊んだような気さえしてきた。
落ち葉を集め、山を作り周囲に気を払いながらそれを焼いたりもした。アルミホイルに包んだ薩摩芋を仕込んで、それをオヤツに食べていたような具体的な心象までもが、頭をよぎった。「ここに来たのは初めての筈だけれど」僕は、頭を軽く振ってもう一度庭へ目を戻した。
「それは俺達の爺さんの記憶だ。どの爺さんか知らんけれどな」
「お、親父?」独り言に割って入ってきた声に僕は随分と驚いた。目を白黒させ、うっかりとヘッドセットを外し声のする方を向いた。そこには、懐かしい顔——随分と若いが、確かに親父の顔がそこにあった。黒髪黒瞳。僕が親父から受け継いだのは目の鋭さくらいだろうか。
「ご苦労さん」親父らしき人は、そう云うと気安く僕の肩を軽く叩き「で、俺の遺言を見てくれたんだよな?」と笑ってみせた。
「ああ、うん」サバイバルナイフを廊下に置き、僕は外套の内ポケットから、その紙を取り出した。「これだよね?」
「そうそう。ちゃんと受け取ってくれたんだな」紙をひったくるように取った親父は懐かしそうに、それを眺めると似合わない破顔をみせた。「ああ、そうだこれこれ。悪い人に持ってかれたら困るからな。大事に持って帰れよ」
そう云うと親父は、随分とラフでカジュアルな太めのズボンから裸のキャッシュカードと印鑑を取り出して、僕の左手に握らせた。
「ちょ、ちょっと待ってよ。本当にこれだけ?」僕は随分と面食らった。そうだったとしても、どこか妙に親父だからなと、納得をする部分もあるが、流石に命懸けのこの旅の終着点がこれだけだと云うのは、どうなのだろう。
よくよく考えれば、こうやって親父に対面できるということ自体が奇跡でもあるのだが、そうとは思わせない親父のありありとした存在感は、ともすれば教会の地下で見つかった遺体は親父ではなくて他の誰かだったのではないかと、疑ってしまう。だが、目の前の親父は子供の頃の僕の記憶にある親父の姿だ。やはりこれは、何かの奇跡なのだろう。
「んなはずないだろ」親父は豪快に笑い、そして続けた。
「俺は駄目な父親なんだよな。
好きにしろって云われて、本当に好きにしたら、取り返しのつかない所までやっちまってな。だからさ、まともにお前と向き合ってやることもできなかった。俺は俺の初めての我儘できるチャンスを間違えたんだ。履き違えたんだ。ああ——でも、どうだろうな。お前が産まれてくれたことは間違いどころか、大正解。俺は本当に死んじまったが、死ぬほど嬉しかたんだぜ」
黙って僕は、親父の独白に耳を傾けた。
親父は、そこで言葉を落とすと空を眺めた。
いつの間にかに帳が降り、夜空は満点の星々で埋め尽くされていた。藍色の夜空。まるで生存圏に居るような穏やかさだ。
親父が言葉を続けた。
「だからさ、獣になっちまった母さんを追いかけて、あるべきところに還してやったんだ。んでさ、話したんだよ。まあ、ほらお前の右腕——」そういうと親父は僕の右腕を指差した。驚いたことに、随分と前に失った僕の右腕が、元の場所に還ってきていたのだ。感覚もある。僕は右腕を外套から出して、手を握ったり開いたりを繰り返し、もう一度感覚を確かめた。
「——まずは、それを還してやってくれってな。でないと、産まれてくる子をろくに抱いてやれないだろ? それってさ、結局、俺がお前にしてやれなかったことなんだけれどな。だからさ、お前にはしっかりと自分の子を抱きしめてやって欲しいと想ったんだよ。母さんもそれには納得してくれたんだ」親父は、そこまで云い切ると手慣れた感じで片目を瞑ってみせた。
「なあ、親父。一つ聞いていい?」僕は、この状況でも戯けてみせる親父に少々ぶっきらぼうに訊ねた。「なんで母さんは——その——」
「なんで獣になっちまったか? だよな?」言葉を詰まらせた僕に親父は助け舟をだしてくれた。僕はそれに小さく頷き答えを待った。
その間、次第にコオロギの合唱団があちこちで季節の音色をたて始めた。いよいよ空の星々が宝石箱をひっくり返したように煌めき幻想的な空を演出した。
「彼女にお前を取られるのが嫌だったんだとよ。
でさ。俺も母さんもちょっと特殊だったからさ、母さんはあんな狼みたいなおっかない姿になってな。お前の一部分を持っていっちまったんだ。本当だったら全部喰ってたかもしれないけれどな。でも、ほら、お前の彼女。もう奥さんか。彼女のことを見たら、それはできなかったみたいなんだ。許してやってくれとは云わないが、そのうち、腹落ちする頃が来たら理解してやってくれな。頼むよ」
「なんで……」
「俺も母さんも完璧じゃないし、
子供だったんだよな。かたや人の云うことだけを叶えて自分の居場所を求めてたのが、好きにしろって云われて間違えて。かたや突然に芽生えた感情に振り回されてさ、悪意とかさ、そういう背中合わせになったものに葛藤してさ。でもさ、それでも自分が自分であろうと二人とも頑張ったんだよ。まあ、その結果、宇宙規模で人様にご迷惑をおかけしたんだけどな」親父はまたしても、大きく笑った。でも、どうだろう。笑い声の端々に湿った何かが含まれているように思えた。
「だからさ、母さんとも話したんだ」
「なんて?」
「俺達の本当の我儘を最後に一度だけ叶えようって」
「どんなふうに?」
藍色の天幕に広がった宝石達を掻き分けるよう、一筋の煌めきが横切った。音はなかった。コオロギ達の音色も聞こえなくなった。ただただ親父と僕の息遣いだけが、その場に残った。静かだった。世界はこんなにも静けさを持つことができるのかと思うほどに静かだった。そう思うと、何処かからか波打ち際に沸き立つ騒めきが聞こえたように想った。
「お前達がお前達の足で踏ん張れる世界。ここまでやったんだ。もう一回くらい世界を変えたって罰はあたらないだろうよ」親父はそう云うと、目を瞑れと僕に云った。するとどうだろう。意識が遠のき、随分と深い眠りに沈んでいくような感覚を覚えた。
※
「ちょっと! 早く起きて!」
随分と深い眠りについてしまっていたようだ。親父と一緒にいた筈なのに、今僕を叩き起こしたのは聞きなれた女性の声だった。妻の声だ。
「ああ……ごめん。あれ? 親父は?」
「とっくの昔に」妻は随分とご立腹の様子で両手を腰に当て、僕を睨みつけていた。「迎えにきてるわよ!」
「早く荷物を運んでね」妻がそう云う頃には、ベッドから這い出て、どこか体に染みついた命令をこなすように「ごめんごめん、そうだったね」と、身重の妻の荷物を持って一階のリビングへ向かった。
そうだった。今日から妻は出産を終えて落ち着くまで僕の実家で過ごすのだ。すっかり忘れていた。
随分と柔らかく鮮やかな陽の光がリビングに差しこんでいる。ソファーにはすっかり年老いた親父と母さんが腰をかけ妻と談笑をしている。僕は「ごめん、おはよう」と親父達に声をかけ、玄関へ妻の荷物を運びリビングへ戻った。
あれは夢だったのだろうか?
リビングのテレビからは、いよいよ台風が迫ってきていると聞こえてきた。母さんはそれを耳にすると妻へ「あら、気をつけないとね」と微笑んでいた。僕はそんな光景をキッチンから不思議そうに眺めると、淹れたばかりのコーヒーを口にした。
すっかりと黒髪に白いものが混じった親父が「俺にも淹れてくれ」と声をかけ、キッチンに足を運んだ。それにも、どうも不思議な感覚を覚えた僕は「あ、ああ、うん」と、しどろもどろに答えると親父は「なんだ、まだ寝ぼけてるのか?」と大声で笑った。
その笑い声は、やっぱりあの時に聞いたものと同じだ。目の前で「早く」と手で催促する親父と、屋敷でみた親父は一緒。そう思えて仕方がない。
「なあ親父?」僕はコーヒーカップを手渡しながら云った。
「ん?」親父はコーヒーを啜ると小さく返した。
「これが親父と母さんの我儘の正体?」
親父は僕の質問に目を丸くし、しばらく僕の顔をしげしげと眺めた。やっぱりあれは夢だったのか。確かに、僕はよくよく考えてみれば、普通の会社員だったし妻は小学校で子供達から「先生」と呼ばれている。そうなのだ。普通の家庭。普通の家族。誰が羨むでもない、しかし幸せで満ち溢れる普通の家族なのだ。雪が降る頃にはもう一人家族に加わる。
僕は少し自分を嘲笑うように小さく「だよな」と云った。親父はそんな僕をまだ、しげしげと見つめ、下品にズズズとコーヒーを啜った。きっとわざとそうしたのだ。僕はそれにハッと顔をあげた。
「ああ。これが正解だ」親父はそう云った。
——完
The Negotiation Limerick File:円環の章 コネ @kone904
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