エンターテイメントは人間たち

『謝りたい』

『青柳くんが謝ることは何もないよ』


 悪魔と契約を交わしてしまった次の日、俺は瀬戸にメッセージを送り、その返信にうめくだけで一日を終えてしまった。

 俺が謝ることなんか何もない、と瀬戸は言う。でも瀬戸は謝らないんだ、とか、あの一言だけで帰る?とか。思ってしまう俺は心が狭いのだろうか?


『俺は心が狭いのか?』


 ネットの世界がフワフワ浮かれポンチになる前なら、こんなふうな呟きをSNSの海に流して、ネッ友からの「そんなことないだろ」待ちをしていたと思う。望むような言葉を得て安心する。

 でも今は、仲間だと思ってたやつらはラブシャワーでリア充になり、俺はアカウントを消した。はけ口は、俺の言葉に共感してくれる誰かはいない。


 きっと以前の俺だったら、自分は悪くなかったと迷いなく思っているはずだ。しかし今は、自問自答を繰り返すばかりだから、不安はどんどん胸の内に広がっていく。俺が、悪かったのだろうか?

 どのみち、俺の言葉が、瀬戸の心を波立たせたのはたしかなのだ。


 そして休みは終わってしまう。


『なんも感じないハードボイルドなオレカーッコイイ〜って××リたいんだろ?』

『拗らせアイタタボーイくん♪』


(クッッッソ……)

 悪魔の言葉を頭の中で反芻しまた苛つく。ヤツはあのあと、やることがあるとか言って俺をまた飲み込み、気づけば俺は、自分の部屋に戻っていた。翌日の日曜は姿を現さず、月曜に至る。


 勢いに任せて強気なことを言ったけど、不安はあとから押し寄せてくる。そりゃ、逃げ出せない状況で、得体の知れないヤツに契約を強いられて、断ればどうなるかわからなくて。不可抗力だったのはたしかだ。ただ、あんなにも意気揚々と、自ら手を差し出したのか。おそらく、それもあいつの何らかの力だったんじゃなんじゃないだろうか?


 ……わからない。


 瀬戸の気持ちも、悪魔のことも、自分のことさえも何もかも。


「今日はおふたりでよろしくですよ、青柳さんに瀬戸さん!!」


 そう言い、満面の笑みを浮かべる幽。

 朝から居酒屋の地下に呼び出され、そこにいたのは、瀬戸だった。


 ……ま、マジか……。


          ♡


「俺、このあいだの金曜日、力出なかったんだよね」


 レプリカに向かう途中、空中エレベーターの中で、瀬戸が沈黙を破った。瀬戸のラフな服装と、沢谷さんに倣い、再びスーツ姿の俺はなんかちぐはぐに見える。

 金曜日。そのワードにドキリとしたが、


「力?」

「そう。レプリカの中で、人間なら、あっちの世界のやつらに対抗できる力を発揮できるらしいけど。結局、沢谷さんに助けてもらうばっかでなんもできなくて」

「青柳くんは、自分の力わかってるんだよね」


 俺は、幽が瀬戸にどこまで喋ったのかわからず、挙動不審を隠せないまま「たぶん」と頷く。どうせ今から、「ネット弁慶の本領発揮」とやらを見られるのだが。気が重い。


「今日は迷惑かけると思う。申し訳ない」

「そんな、いいよ。だって、負けて死ぬ戦いじゃないんだし」


 そんなことより──言いかけたとき、瀬戸の目が、含みをもったかのように俺を捉える。


 ふと、気づいた。あの監視モニターとやらは、レプリカ内の、俺たちがいる場所を映す。このエレベーター内から監視されているかどうかは不明だが、気をつけた方がいいのは確かだ。

 居酒屋からシネマまでは、公共交通機関を使っても二十分程度はかかるだろう。しかし、監視役が幽だけとは限らない。あの、零さんとかいう男性のような、他の「アイドル」がもうすでに、俺たちをいるかもしれない。


「ごめん」


 瀬戸が言った。その言葉は、何を指しているのか。俺の方こそ、ごめん。ていうか、瀬戸くんの謝ることじゃなかったんだよ、悪いのは俺だったんだ。なんていう言葉を、口にできない状況。ひねくれた気持ちで、瀬戸のLINEの返信に納得していなくて、面と向かっては謝りたくないと思っていたくせに。今になって、ちゃんと謝りたいなんて。

 気まずさは、アトラクションのごとく揺れるエレベーターが誤魔化してくれ、ドアが開く。そこは、どこかの屋上だった。学校っぽい。しかし、そんなこと考える余裕はなかった。そこにはすでに、緑色の人型ドロドロが待っていた。


「うわっ」


 うめく瀬戸の前に出る。このあいだの黄色いやつに比べればカワイイサイズだ。それでも俺たちの二倍くらいはデカいが。


「よぉ、×××!!」


 入浴剤の森林の香りみたく緑のそいつが、俺を観察している。対して背後からは、瀬戸の変な視線を感じる。説明して誤解をときたいがそんな暇はない。だがしかし、なんでよりにもよって、自分の言葉で傷つけた相手の前でこんな……。


「××××、クソ×××!月曜の朝からヒマなんだな。望み通り相手してやるよ。ほら、こっちこいよ。×××。どうした?怖じ気づいてんのか?」


 緑野郎は首をひねりながら、俺をじっと見下ろしている。おかしい。前のヤツは、煽りにおもしろいくらい乗せられて、自滅してくれたのに。

 そいつは俺らに近づきながら、腕をこちらへ伸ばした。巨大蜘蛛のように開かれた手のひらが、影をつくる。

 やばい。


「何してんだよ!」

 瀬戸に腕を掴まれて引かれ、俺は我に返る。

 ふたり、屋上の端へ走る。のっそのっそと鈍そうに追ってくるそいつ。


「動きは鈍いな。このまま動き回って体力を奪うか」瀬戸が言った。

 ヤツから目を離さないまま、四角い屋上の四辺を、カニ歩きで逃げる。


「さっきの何」

「あ!あれ、俺の力で……。このあいだ、精神的に参らそうと思ってやってみたら、敵が自滅してくれたんだよ。今回のヤツは、煽りが効かないタイプみたいだけど……」

「そうなんだ。急に何やりだすのかと思った」

「そう、だよな……」

「ちょっと引いた」

「……だよね。誤解とけてよかった」

「いやまだ引いてる」

「マジで!?」


 おもわず敵から視線が離れ、瀬戸を見てしまう。瀬戸が笑っていたので、ほっと息を吐いた。


「正直、自分の力のことあんまり理解できてないんだ。ごめん」

「『負けて死ぬ戦いじゃない』、だろ?」


 瀬戸ってこういうふうにも笑えるんだ。今まで見てきたこいつの社交的な笑顔は、どこかニヒルで、ちょっと苦手だった。


「ごめん。俺、馬鹿で」


 自分のことを馬鹿だと言うのは恥ずかしくて、けれど一度口にしてしまえば、妙な清々しさがあった。

 皮肉っぽさが滲み出ているのがわかるのは、その社交的なガワの下に、たぶん、どこか俺と似ているものを持っているからだろう。大人で、呑めないものも呑み込んで世渡りをしてきたように見えるそいつが、急に立ち去るまでのことを、俺はしたんだ。今だに、瀬戸のことも、自分の何が悪かったのかもわからない。でも、俺が瀬戸を傷つけたこと、それだけははっきりわかる。


「馬鹿じゃないでしょ。青柳くんが馬鹿なら、自分の力すらわかってない俺はなんなの」

「……この際、なんも考えず向かっていったら力発動したりするかも。俺も、物理的に効かないなら精神的に攻撃してやろうって安易な考えだったし」

「マジか。じゃあ俺もやってみようかな」


 瀬戸がカニ歩きを止めた。緑野郎に向け、ファイティングポーズをとってみせる。


「……死なないとはいえ怖いもんは怖いな」

「俺も一緒に行こうか?」


 瀬戸が目を丸くして俺を見る。

 ムカつくくらい男らしくなったその顔。けれどその切れ長の目もとには、柔和さが残っている。

 なんだか、こうしてこいつと向き合うのは初めてな気がする。謎にドギマギしてしまうのはなんでだ。

 と、ドスドスドス、と足を速め、向かってくるヤツ。瀬戸と俺は慌てて緑野郎に向き合う。


「じゃあ、いくぞ。せーのっ!」


 俺の掛け声とともに、ふたりで、緑野郎に向かって駆け出した。

 今更脚は止まらない。なんだか、緑野郎がゴールで、先に着いた方が勝つ競争みたくなっている。二人同時に、緑野郎にタックルをしかけたとき、突如、巨大蜘蛛──指の長い手が目の前ににゅっと現れた。


「あ、」


 次の瞬間、俺の身体は宙に浮いていた。そいつの手に胴体を鷲掴みにされている。

 横を見れば、瀬戸も俺と同じ状態だった。首から上と脚だけが、緑の拳から出ている。

 拳が鈍く動き出す。気づけば、俺と瀬戸は、身体を握られたまま、ヤツの顔──もっとも、顔のパーツは何もないが──と正面から向き合った。


『ダレダ』


 ……え。

 こいつ、今喋った?


『ダレダ。アッチノセカイノヤツラカ?』

「そうだよ!」


 瀬戸が怒鳴った。


『オウハドコダ』

「は?オウ?」


 そいつの手に力がこもる。痛みはないのに、握る拳の圧迫感だけわかるのが不思議。

 このあいだ、レプリカの建物が破壊されるのを見た。それじゃあこの身体も、損傷することはあるんじゃないか?そう思うとゾッとする。


『イシアタマノクソメンヘラオウダヨー』

「誰だよ!!……あ、それって……」


 ──王。


「『パパ』とかいうヤツのことか?」


 尋ねる。そいつは俺を、パーツのない顔にさらに近づけた。


『ダセ』

「出せって言われても。俺も、どこいるのかわかんないし……」

ニ、イルンダロ。ダセナイナラ、ツレテイケ』

「無理だね〜ッ」


 挑発するように、嫌味ったらしく言ってやる。早く力よ発動しやがれ。


『ソーカ』


 緑野郎は静かに言うと、


『オマエラモ、アイツトドールイカ?』

「は?何が……」


 身体が持ち上がる。

 次の瞬間、


『ニンゲンハ、クソバッカダナ』


 俺の身体は、ヤツの手から自由になり、風を切っていた。


「な、なんだ……っ?」


 そして突然、始まる落下。目の前を通り過ぎていく窓。屋上から振り落とされたと気づく頃、俺は、本当に死を覚悟する。

 ……いや、死なないんだろ?

 それでも、さすがにこの身体はぐしゃぐしゃになるはず。


(いやだ、ぐしゃぐしゃは嫌だーーーっっ!!)


 ──ゴン。

 背中に衝撃が襲う。俺の身体はバウンドし、再び硬い地面に叩きつけられる。痛みは何秒待っても襲ってはこない。意識もある。だが目は開けられない。身体がどうなってるのか見るのが怖い。


「青柳くん?」


 瀬戸の声が少し離れた所からした。次いで、駆け寄ってくる足音。瀬戸も投げ捨てられたのか。


「大丈夫?」


 そろそろと目を開ける。こちらを覗き込む瀬戸は、見た感じ無傷だ。


「俺、どうかなってない?」

「え?そうだな、たぶん……」

「ちゃんと見てくれ!」


 がっしと瀬戸の肩を掴む。えぇ、と瀬戸が引きつった唇からうめき声をあげた。


「出ちゃいけない音が背中からしたんだ。背中とかやばくなってない?」

「なんともないと思うよ。レプリカだし……」

「でも、建物はぐちゃぐちゃってなるんだよ!怖くて自分で見れないんだ」

「だから、どうもなってないって言って……」


 瀬戸が目を泳がせ、顔を背けた。その視線の先で、


    バリリリリリリッッッ!!!


 雷鳴ののち、空から落ちてくる太く黄色い光と、まるでジェンガが倒れるように、崩壊する学校。光がやんだあと、瓦礫の上には、ドロドロになった緑色の液体が見え、すぐにきれいさっぱり消えた。


「……ほら。こんなふうに、ぐちゃってなるんだよ……」


 呆然としながら呟いた。


          ♡


 スクリーンを前に、二人の人影があった。といっても、ふたりは人間ではない。平行世界からやって来た、「パパ」の創造物である。


「映画鑑賞にはこれですよねぇ。零さん、料理お得意なんですね」


 ピンク髪のツインテ美少女・幽が、嬉しそうにチュロスを頬張る。その横では、美しい老紳士・零が、「喜んでいただけてなによりです」と微笑んだ。

 スクリーンに映るのは、瓦礫の学校を前に、呆然と立ち尽くす青年ふたり。


「私にはこれしか取り柄がないもので」

「そんなことないですよう!零さんは、このシネマ館をきれいに保ってくれています」


 幽はチュロスの袋をたたむと、コーラをストローで吸う。


「彼ら人間の力とは、いったい何なのでしょうか?」

「きっと、源泉は抑圧、でしょうね。瀬戸さんは、もっと感情を露わにしてやるべきなのですっ。雷が落ちるみたいにね」幽が、片手を使い、雷が上から落ちるような仕草をしてみせた。「青柳さんのは、なんか違うような気もしますが」


「今のは、瀬戸さんだけの力なんでしょうか?それとも、青柳さんの力も?」

「さあ?まあ、どっちにしろいいのです。けど、ふたりを組ませるのは悩みどころですね。こんなに壊されちゃうと、修復が大変なのです」


 スクリーンに、空中エレベーターの箱が現れる。


「そろそろ、戻りますね。お昼休憩にちょうどいい時間ですし、労いに行ってあげましょうかね」


 幽が席を立つ。ふたりがエレベーターに乗り込む。小さい箱の中、画面に向かってぼんやりした顔を並べる二人を背景に、まるでエンドロールかのように、クレジットが流れ始める。キャストは「青柳 充」と「瀬戸 東吾」、監督は「幽」。これは零の趣味による演出だ。世界中が恋で夢中になり、幸せなコンテンツしか登場しなくなったあとも、ラブシャワーの前の世界に数々生まれていた、さまざまな感情を描く映画が、零は好きだった。


「あの。私なんかが、口を挟むべきではないと思うのですが」


 エンドロールが終わり、自然に明かりがつく上映室で、零が幽を呼び止める。


「彼らのこと、信用していいんでしょうか。恋しか見えていない人々とは違って、彼らは、私たちが何をしようとしているか、しっかりと頭で考えているでしょう。その理由はわからないにしろ、あの方は何らかの意図で、四人をラブシャワーから逃れさせた。あの方がそうしたのだから、きっとその選択は間違っていないと思うのですが……それでも、不安なんです。あなたは優秀だから、きっと理解していらっしゃるでしょうが……傍にいれば、情がわいて、疑心を忘れてしまうんじゃないかと」


「零さんっ」


 幽がくるりと振り返る。


「ダイジョーブですよっ!なんにも心配いらないのです」


 (──情?)


 おもわず、鼻で笑う。

 人間風情に、あの方の計画の邪魔などさせてたまるかよ。

 幽はニッコリと明るい笑顔を浮かべてみせ、シネマ館をあとにする。


 「パパ」の思い描く世界の実現に大切な、駒に会いにいくために。


          ♡


 午後の仕事を終え、エレベーターで会議室に戻る。昼間とは違い、幽とは違う別の「アイドル」らしきピンク髪の男がそこにはいて、俺たちを迎えた。


 昼休憩のときは、早々に瀬戸は外へ行くし、全然話しかける暇がなかった。「アイドル」と別れ、地上に戻り、瀬戸とともに居酒屋を出る。

 ここでならもう、話していいだろう。


「瀬戸くん。あのさ……」


 瀬戸は歩きながら、なにか、ボンヤリ考え込んでいるみたいだった。その横顔はなんだか、顔色が悪いようにも見える。


「瀬戸くん?」


 見上げ、さっきより大きめの声で呼びかける。瀬戸はそれではっとして、俺を見た。


「大丈夫?」

 「……え?」瀬戸の目があさっての方を向いた。「何が?」


 後ずさる瀬戸。顔はあきらかに引き攣ってる。俺といるのが気まずいのか、体調が悪いのかどっちだろ。後者であってほしいんだけど。


「あー……その、雷、すごかったな!一回きりだったけど。あれって瀬戸くんの力だよね」

「……ありがと。自分でもよくわかってないけど……」


 ぴた、と瀬戸が立ち止まり、俺の帰路とは反対方向を指さした。「じゃあ俺、こっちだから」


「ああ。あ、ちょっと待って!」


 瀬戸が振り返った。

 なんでだろう、男なのに、岸さんより話しづらく感じるのは。と思って、ふと、これまでの人生、親しい男というのもべつに俺にはいなかったなと思い直す。


「こないだは……ほんと、ごめん」


 頭を下げる。


「だから、気にしなくていいってば」


 顔を上げると、瀬戸は、困ったように眉を下げていた。


「悪かったのは俺の方だよ。ごめんね」


 俺はそれで、心臓が抉られたような気がした。

 俺はどうやら心のどこかで、思っていたらしい。瀬戸の方が謝ってしかるべきだって。

 だからその謝罪はストンと胸に落ちてきて、嫌になる。

 謝ってほしいという気持ちが、瀬戸に伝わっていたんだろうか。


「お、おれは──」


 けれど、なにか弁解の言葉を伝える前に、瀬戸はやさしく微笑み、立ち去った。

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くたばってくれよハードボイルド ドアをひらく @mimi3kokom3

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