第5話 -予兆の静寂-


彼奴が居なくなった部屋は静まり返り、静寂が木霊こだまする。


さて、どうするか……


死が迫る中、何もせずにただ待つことは心を落ち着かせるどころか、逆に不安を煽る。しかし、無意味な探索に時間を費やすのも愚かだと感じる。でも、だからといってわずかな希望の光を逃したくはない。


即決行動だ。直ぐに戻ってくると言っていたから隣の部屋までなら見れるだろう。そう思い立ち、ドアを開けて隙間から廊下を覗く。彼奴と使用人が居ないのを確認し、 部屋から出た。


横に長く続く壁に幾つもの窓が張り付いていて、日差しが差し込んでいる。

隣のドアまで早歩きで進みながら、見つかってしまったらどうするかということを考えていた。


もし使用人に見つかったら彼奴の使いだ。と言うか、素直にさらけ出すか……

一瞬、視界の隅に何かが光った。その光源を見てみると、なんの変哲もないシンプルなナイフがカーペットの上に落ちている。

僕はそのナイフを手に取り、冷たい金属の感触を確かめる。

何故こんなところにあるのかは想定もつかないが、戻ってきた彼奴に奇襲をかけるのも一つの手だな。

淡い希望と共にズボンの右ポケットにそれを仕舞う。


幸い事態は起こらず、辿り着くことが出来た。


そこは予想よりも狭く、寝室と比べれば大分粗末だ。

壁と床は傷が所々ある木がはめ込まれていて、その上に木組みの本棚が四つ縦に並ぶ書庫のような倉庫と言えるような場所だった。

あまり使われないのか所々に埃が積もっている。深呼吸をするとむせ返りそうだ


部屋の奥へと進み、視線を横に流し、童話や何か違法な内容が書かれていそうな本が並んでいる棚を1列づつ眺め、役に立ちそうな物が無いか探す。


何故こんなにも脱走しようとしているのか自分でもよく分からないが、ただ一つ確かなのは、もし逃げることが出来たなら彼奴に復讐する。それだけだ。


視線を隣の本棚の1番上の方へ移す。

他の所と比べてこの周辺だけは埃が積もっていない。何故だろうか……その時、この城の資料であろう紙が何枚か重なっているのが目に留まる。

彼奴が''この後僕は重大な用事があって兄さんと一緒にいれないんだよ''と言っていたことが本当であれば目が届かない内にこれを使って逃避経路を考え、脱獄することができるかもしれない。

それらを手に取り、一枚づつめくって見る。素材や外装についての情報、土地の詳細などが記されている。そして、最初の一枚に戻った。


何かが足りない気がする⋯⋯そうだ、肝心な城全体の構図が無い。

何故ないんだ?

城を建てるには不可欠だ⋯その上普通なら保管しているはずだが、もしや捨てたのだろうか?彼奴ならやりかねない。

溜息をつきながら資料を棚へ戻す。

もう少しこの部屋を模索したいところだが、もう直ぐで奴が戻って来るので部屋に戻ろう。



ドアをノックする音がし、開けると、姿が見える前に声が飛んできた。

「兄さんちゃんと待っててくれたんだね?」

彼奴だ。

「⋯あぁ」

彼奴は右の手で持った槍斧を肩に掛け、左の腕には銀でできたトレーを1つ乗せている。

上には豪華な食器が2つ。ひとつは小さく、分厚めに切られているバゲットが乗っていて、もうひとつの皿には、スープが入っていた。


「お前の分は?」

「もう食べて来たから」

そうかと短い返事をして、葡萄ぶどうの椅子に座り、傍に置いてある茶でできた机にトレーが下ろされる。


「こんなにちゃんとして食べるのは久しぶりだ」

「その割にはあんまり嬉しそうじゃないけど」

「もう死ぬと分かっているのに上機嫌な奴があるか」

彼奴は鼻で一笑し、僕が座っている椅子から斜め向かいの位置にあるスツールに腰を掛けて足を組む。


僕はスプーンを手に取ってスープを口に運び、気を緩ませて奇襲をかける為、以前から少しばかり気になっていたことを訊く。

「なぁ、前から気になってたんだが、その槍斧ハルバード常に傍に持っていて邪魔じゃないのか?」

少し遅れて答えが返ってきた。

「用心の為だよ。もしかしたら暗殺されるかもしれないしね。最初は邪魔だったかもしれないけど、もう今は身体の一部だと思ってるよ」

「暗殺……か」

「なにか心残りがあるのかな?」

凶器をゆっくりと取り出しながら返答をする。

「いや…そんな物騒なことが世の中に存在することを改めて認識しただけだ」

次僕が話し終えた後此奴に奇襲をかける。

ナイフのつかを握り返し、手に冷や汗が滲む。


「そうなんだ……兄さんは王だった時気にかけてなかったの?」


「一応警戒はしていた。僕はお前のように武器を持ってはいなかったから、代わりに侍従を置いていた。しかし、彼奴らは役に立たずに死んだが」

そう会話を締め括ったと同時に身を乗り出し、ナイフを彼奴の首に突き立てようとしたが、それ以上前に行かない。僕の手は彼奴の手で抑えられていた。


彼奴の笑みが深くなっていくにつれて、異様な物が背後にそびえ立つ様な感覚を覚える。

「なんだ……まだ抵抗できる余力が残ってたんだね。でも無駄だよ」

手の甲を軽く叩かれ、ナイフが床に落ちる音が耳に響く。

「兄さんの全ては僕の手の中にある。何をしようとも結果は同じだ」

「……クソッもう良い、興醒めした」

そう吐き捨て、元の席に座り食事を再開する。

その時、口元に指が触れ、拭われた。

「兄さん付いてるよ」

固定された笑みを浮かべながらそう言って手元にある布切れを撫でる。


僕はスプーンを動かす手を止め、斜め向かいにいる彼奴を睨む。

「その胡散臭い笑顔でこっちを見るな」

そう忌々いまいましげに言った後、最後の朝餐ちょうさんを口に入れ込んだ。



彼奴は椅子から立ち上がって扉の方へと向かう

「それじゃあ僕は用事を済ませてくるよ。兄さんは待っててね」

そう言った後、ドアを開ける。

「お前はよくも僕のことを開放したままに出来るよな。脱走する可能性があるというのに」

彼奴は背中を向けたまま振り返らずに立ち止まり、「そうかもね。」

それだけ言い残してドアは閉じた。


ベッドに腰を下ろす。

今更だが、急に処刑することがもしかして、嘘なのではないかという思いが脳を掠める。

何か他の意図があるのだろうか……


「まあ…こんな仮説を考えているなんて馬鹿馬鹿しいな」

僕の死を悲しむ者など、この世に存在しないのに、一瞬の死をあんなにも避けようとしていたのが可笑おかしく思えてきた。

もう、最期くらいは安静にしていようか。

脱力して窓の外に映る青空を何も考えずただ見つめていた。



太陽が真上に昇った頃。

コンコンと扉をノックする音。

彼奴か?戻ってくるのが随分と早いな。

そう思いながらドアを開けた。


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