第4話 -夢幻の黎明-


寝れん…………


あの提案に乗った事が誤判断だった。今考えればこんな奴と寝れる訳が無い。何が何でも無理だ。

いつもなら、拷問されて気を失い、目を覚ました時にはまたあの音が聞こえて、再び拷問される、の繰り返しだったからな………意識的に寝ようとする感覚なんて持ち合わせていない。急に眠れと言われても、そんなことは到底無理だ。


………ん……待てよ...?

脳裏に一つの策が閃いた。

死神が眠っている今なら、この部屋から抜け出し、出口を見つけてこの城から脱出できるのではないか?と。


まずは、気付かれないようにベッドから静かに抜け出し、忍び足で進む。ドアを開ける音を最小限に抑え、部屋を出る。その後、出口の扉を探す。城の出口は大抵目立つ場所にあるから、見つけるのは難しくないだろう。


見つかったら見つかったで死ぬが、どっちにしろ死ぬ運命なのだから試してみる価値はある。


直ぐに行動に移した。


「おい」起きてるか確認するため、呼びかけてみたが反応が無い。

これは寝ているだろう。


ベッドから身を起こし、慎重に足を絨毯に下ろす。

次は、あのドアまで行くことだ。

ゆっくりと抜き足差し足で進んで行く。と、その時、花の絵が描かれた本の山を足で蹴ってしまった。 床に落ちる重い音が、静寂と僕の心臓を突き破る。何故こんな所にこんな物が置いてあるのか謎だったがそれよりも死が迫っていることの方に意識が支配される。

「ん~」

ひとつの声に背筋が凍る。振り返って見てみると、まだ仰向けになって寝ている。ただの寝言だ。胸を撫で下ろし、そこからまた進んで行く、一歩一歩が鼓動を早くさせる。


遂にあのドアの前に着いた。


こんな短い距離を進むのにこんなに時間がかかるなんて思ってもみなかったのと、僕には隠れて行動することは向いてないと分かった。

はやる気持ちを押え、金のドアノブを手にかけゆっくりと右に回す――


「兄さん悪い子。」

部屋全体が凍りつくような冷たい声が響き渡り、首筋を凍てついた指でなぞられる。


今までで一番死を覚悟した。余命宣告を受けてから、こんなにも早く死を覚悟することになるとは思ってもみなかった。

この時、僕は本当は、死に対して安堵あんどや切なさではなく、恐怖を抱いていたことに気づいた。

心臓は激しく鼓動し、冷や汗が背中を伝う。

「駄目でしょ、そんな事したら…」


今、此奴は右手に槍斧ハルバードを持っていて、この首に添えられている左手はどこを斬るか定めている。

次此奴が動く時、それで僕の首を跳ね落とすのだろう。


終わりか……随分と早かったな……


「兄さんったら、寝れないなら素直に言ってくれれば良いのに」

予想外の発言に、硬直するしかなかった。

「ねぇ聞いてる?」

やれやれと言う様に腰に手を当てている。


僕は理解出来ないまま、思った通りのことを口に出す。

「⋯お前は今、僕を殺すつもりじゃなかったのか?」

それを聞いた彼奴は首を傾け

「そんな訳無いだろう?」

と落ち着いた声で言った。

良かった……のか……?

脱出することは出来なかったが、ここで死ぬという事は避けれた。



まだ多少温かみが残っているベッドへ横たう。

「ほら、寝れないんでしょ?僕がハグしてあげる」

そう言って背中に身体を押し付けてくる。

「離れろ」

横に退ける。

「やだなぁ、こんな時くらい頼りにしても良いのに」

彼奴は再び距離を詰めた。


僕は体を起こし、冷めた視線を投げ「お前に頼る筋なんてない。それにうるさい。そこで黙って寝てろ」と言いながら、赤褐色せきかっしょく象牙色ぞうげいろで曲線の模様が描かれた絨毯が敷かれた床を乱暴に指で指す。

だが彼奴は逆に食い付いてきた。

「はぁあ⋯兄さんって冷たいよね、いつも僕のこと避けてばっか……寂しいな。」

大きなため息をつき、ぽつりと呟いた後、こちらが何かを言うのを期待しているような目付きでちらちらと見てくる。


「⋯⋯もうどうでも良い。勝手にしろ」

そう言葉を乱雑に放ったあと再び横になる。


僕は別に此奴が可哀想だと思った訳でも、かといってお強請ねだりに付き合った訳でもない。

あと数時間で死ぬことを思い出したから、もうすぐ終わるこの人生どうでもいいと思ったからこの選択をした。


「流石、僕の兄さん。よく分かってる」

そう言って僕の腹に手を回し背中に抱きつく。

低い体温。

段々と僕の体温まで下げていくような感覚に包み込まれている中、少し長く瞬きをする。


窓から覗いているのは闇の中にぽっかりと浮かぶ月ではなく薄葡萄ぶどう淡藤あわふじの空。

眠っていた⋯のか?

だが僕の目には空だけではなく、窓際の壁にもたれ掛かって外を見ている彼奴の姿も目に入った。


ファーの付いたマントは羽織っておらず、あの王冠の様な漆黒の仮面も付けていない。代わりに真っ黒な瞳が彼処あそこには確実にあった。だがそれは空を見ているわけでも、山を見ているわけでもない。

どこか遠くのを見ていた。


まるで置物のようにひとつの物音も立てない。

視線を僕に向ける。

そいつは何かを言おうと口を動かしたが、それらは空気に溶け込み、僕の耳には届かなかった。


彼奴は槍斧ハルバードの末端を片手で持ち、僕しか眼中にないような瞳で見つめながらじりじりと距離を詰める。

操り人形のようにぎこちなく、まるで見えない糸に操られているかのように足音は不規則で、その上目はうつろで不気味としか言いようがない。


その時一つの予感が脳をよぎる。

今、処刑されるということを。


退けようとするも体が動かない。

遂にはベッドの傍にまで距離を詰め、槍斧ハルバードを振り上げた——

やめろ-と言ったつもりだった。だがそれは無謀むぼうにも声にならず、先程の彼奴と同じように口を開閉しただけになった。

殺される——


「兄さん、起きて」

意識が朦朧もうろうとしている中、目を開ける。

目の前にはお決まりの格好をした彼奴が居た。


そいつはベッドの傍に置かれた無垢材のスツールに脚を組んで座り、横たわっている僕に影を落としている。

窓から見えるのは晴れた空。だが今さっき夢の中で殺された。しかも此奴に。そのせいで生きている心地がしない。


「顔色悪いけど、悪い夢でも見た?」

そっと顔を覗き込む。

「あぁ⋯⋯お陰様で」

「全く、酷いな。僕がハグして寝てやったというのに、しかもそのお陰で寝れたんだろう?少しは感謝くらいしてもいいと思うけど」

拗ねたような表情でそう言いながら頬にかかっている短い白髪をくるくると人差し指で巻いている。


「僕には寝る寝ないなんてことどうでも良い。故にお前に感謝する必要は無い。」

そう言いながらベッドから起き上がる。


「うわ、出た兄さんの絶対感謝しない精神」

若干引いているような顔をした。

「その呼び方は何なんだ」

「そんなことより今日は兄さんに気を付けて欲しいことを言うよ」

話を逸らされたがそれについて反論したところで此奴に言ったとしても何にもならないな。


口を再び開き、言葉を続ける。

「まず一つ目、置物は壊さないで。二つ目は⋯」

そう言いかけた時ドアのノック音と同時に彼奴に背中を押され、床に崩れ、その上から茶色の軽い布を被された。

「隠れてて」

抑えた声で忠告し、間もなく赤褐色のドアを開ける音が耳に入る。

「失礼します。」

その声は低く、従者を彷彿ほうふつとさせる。

「お早うございます。王」

「おはよう。何かあったのかな?」

「あの件についてなのですが……」

少し距離が離れていたので、その後は聞き取れなかったが兎に角、先程の一連の行動で、どうやら僕は使用人達には見つかってはいけない存在なのだと察した。


姿は布のせいで見えないが、王である彼奴に至近距離まで近づけるということは少し位の高い使用人だろう。まあ使用人の位なんてあまり差はないがな。


「分かった。後でそっちに行く」

「あと、そこにあるのは何でしょうか?」

「あれはね、新しく買った彫像だよ。とても精巧せいこうだからほこりが被らないように布を掛けてある。」

心臓の鼓動が速くなっていくのが分かる。バレたら終わりだ。

「そうでしたか、失礼しました。」

そう言って使用人は立ち去り、ドアを閉めたことを確認し、布を下ろす。


「ふぅ、全く心臓に悪いよ。で、二つ目はさっきと同様、使用人には見つかってはいけない。そして三つ目、兄さんには分かる?」

此奴の考えることなど分かる訳がないので無言で返す。

「ここから出てはいけないこと」

一瞬彼奴の瞳に影が差し込んだ。

「分かった?」

「あぁ」


「あと、今日はこの後僕は重大な用事があって兄さんと一緒にいれないんだよ。⋯⋯本当に残念だ。こんなに悲しいことがあっても良いのかい?太陽の神よ。」

哀愁あいしゅう漂う顔つきで、かつ皮肉を含んでいる言い方で僕の顔の前まで身体を前に倒し、覗き込むようにしてその言葉を放つ。

「⋯そうやって僕のことを揶揄からかうな」

視線を青空が映る窓に外した。

彼奴は一笑し、再び声を発する。

「冗談はこのくらいにしといて、僕は兄さんの朝食を取りに行ってくるよ。だからここで待ってて」

そう言った後、僕に向けた背中は、逃れられない運命が迫っていることを心の奥底に秘めているような気がした。


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