第3話 -月光と影-


石畳でできた窮屈な螺旋階段らせんかいだんを何段も登り続ける。まるで時間を遡っているようだ。


窓から差し込む太陽の光、肩に感じる高貴なローブの重み、主の命令を待つ従者の列。だが目の前にいる者が、それらユートピアは無惨にも朽ち果てた物だと黙示していた。


階段を登りきると茶褐色の木で出来た細長い廊下が一直線に広がっていて、その周りには深緋色の壁が続いている。天井には古びたシャンデリアが吊るされており、揺れる蝋燭ろうそくの炎が不規則な影を壁に映し出していた。奥の方からかすかに風の音が聞こえる。


僕は一つ一つのドアを見つめながら、レッドカーペットの上を彼奴に続いて歩いた。カーペットは足音を吸収し、静寂の中に不気味な安心感をもたらしていた。

廊下の両側には古びた絵画が掛けられており、過去の栄光と現在の荒廃こうはいが交錯する様子が描かれていた。絵画の中の人物たちは、まるで僕たちを見守っているかのように、その目がどこか冷たく光っていた。


彼奴はある1つの扉の前で立ち止まり、ドアノブを捻る音が静かに響く。それほど年季が入っていないのか、滑らかに開き、その先の部屋が姿を現す。


濃紅こいくれないの全体に曲線の模様が掘られている壁紙、床は焦茶の木でできている。その上に葡萄ぶどうと茶の調和が取れた絨毯やソファ、ベッドなどが規則性が無く置かれている。

4つの窓から入ってくる白藍はくあいの月光がアンティークな家具の影を長く引き伸ばし、部屋全体に幻想的な雰囲気をかもし出していた。僕は時間が止まったかのような錯覚に陥る。


だがそれも彼奴の一言によって一瞬で戻された。

「久しぶりに地上に出た感想は?」

陽気な声でく。口元にはいつも通り気味の悪い笑みを浮かべて。勿論そんな質問には真剣に答えるつもりは無いが、何も言わないと面倒なことになりそうなので一言、言っておく

「新鮮だ、なんて言うとでも」

「全く酷いなぁ、牢獄から出してあげたのにその言い様。全く、兄として弟に愛情を注いでくれよ。兄さんは言ってただろう、''孤独な民には愛を''ってそれを守らないつもりかい?」

彼奴は赤褐色のドアにもたれかかって腕を組み

傲慢ごうまんな笑みを浮かべている。


「笑えるな。お前は孤独な民なのか?そうだとしても僕がその教えに従う訳がない。何故だと思うだろうがお前には分かるか?……と言いたいところだがもう死が近いからな、勿体ぶっても時間の無駄だから今言おう」

僕は彼奴に視線を戻す。


「愚民共が僕の下で嘆き、崇拝する。

僕のその薄汚れた願望を叶えるのには虚言が良かった。なぜなら虚言なんて物、幾らでも創れる。駒を増えさせるのには1番手っ取り早い方法だからだ。あんな根拠も無いことを信じる奴は僕の犬となって這いつくばるのも当然だろう」

「へぇ、僕達ってそこだけは似てるんだね」


「何がだ」

「人を駒としか見ていないところが。でも、そんなことを言うにまだ兄さんは気付いてないみたいだね。」

「気付いていないとはどういう意味だ?」

「なんでこうなったのか兄さんのせいでは無いってこと。だけど僕が言えるのはそこまで、まぁ気付いても、そいつに恨みを持つだけだから。」

最後に何かを呟いたが聞き取れなかった。だが聞き返すことも面倒に感じて、僕はただ月明かりが当たっていない、影とも闇とも言える所に立ち尽くしているだけだった。


その後の彼奴は月を眺め、一言も話さず静寂を放っていた。僕はこのまま何も話さず、静かにして欲しいと思ったが、その願いは無謀にも叶わず、口を開いた。


「兄さん。」

頬に凍てついた手が添えられる。

「僕が今までどんな思いでここまでやってきたのか知ってる?」

「そんなの知らない、あったとしてもどうでもいい。しかも、お前のことなどどうでも良い」

「はぁ……もう分かったよ。でも今までしたことに意味が無いとは思わないでよね。」

その発言は耳を通り抜け、頬に添えられた手はそっと下ろした。


先程から気になっていたが、窓から入ってくる月明かりはこうも眩しかっただろうか。月を見つめながら、半年ぶりに地上に出たことを実感する。だが、もうこの明かりも見ることは二度と無いのかと、そう思いに耽っていた。


「兄さんって月、好きなんだね。」

「好きという訳では無い。もう見ることが出来ないのかと、少し残念に思っているだけだ。」

「ふぅん……そうなんだ。」曖昧な返答をして、ベルベット生地でできた椅子に座りながらこちらをじっと見つめる。

「何だ?」

「兄さんは死ぬ事が怖いって思わないの?」

確かに僕はこれから来ることなのに、本当は怖いはずなのに何故か異様な程落ち着いている。

「そうだな……あまり恐怖というのを不思議な程に感じない」

絢爛たる装飾が施された天蓋付きのベッドまで歩き、腰を下ろす。


「……そうなんだ。兄さんって変わってるね」

「お前が言うことか」

「もう兄さんったら冷たいなぁ」

悪魔のような笑みを浮かべながらゆっくりと距離を縮め僕の肩に冷たい手が触れ、ベッドに軽く押し付けられる。

仰向けになった僕からは月の逆光で彼奴が一際暗く見えていた。

「おやすみ兄さん。」

そう静かに囁いて、顔を近づけたが唇が触れる寸前にすうっと頬が逸れていき、隣にそっと身を横たえた。


窓から差し込む月光が静寂をより冷たくさせていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る