因習村VSくそでかドラゴン

光川

最終話『決着』

 ――夏が来ると。あの日の、あの遥か遠い月を思い出す。



 都心から電車に揺られること数時間。私以外に誰も居ないのではないか、そう思わせる駅に降り立つ。電車の去っていく音よりも、人の営みが感じられない静寂の方が耳に残る。


 手には革製のカバンとコンビニで買った手土産だけ。不足のものがあれば現地で調達すれば良いと考えていたものの。どうやら想定以上の田舎に着いてしまったらしい。

無人の改札を通り、コンビニの一つも見当たらない駅前ロータリーを歩く。

 造りが広いだけの何も無い場所だ。夏空だけが果てしなく遠くまで広がるだけの場所。

 蝉すら鳴かない酷暑だからだろうか、じんわりと汗が滲む。いかにもサラリーマンといった風貌の私はたまらずネクタイを緩め、上着を脇に抱え自動販売機を探した。

 まさかド田舎とはいえ駅前に自動販売機が無いことはあるまい。


 歩くこと十秒ほど。

 私は安堵のため息と共に、電子マネーの使えない自動販売機を見つけた。

 長財布を取り出し千円札を抜きとり、――ふと視線を近くのベンチに向けると。

 背中の曲がった老婆と目が合い、かるく頭を下げる。

 私の会釈をどう感じたのかは不明だが、異物をみるような目つきではなかった。

 ガコンと落ちて来たミネラルウォーターの冷たさを有難く思いつつ喉を潤す。


「バスなら向こうだよ」


 眩い太陽が雲に隠れたタイミングで、老婆の声が耳に届いた。老婆のか細い指の先を見れば、錆びた時刻表が立っている。


「なぜ、私がバスに乗るとわかったのです?」

「祭りじゃ」

「祭り?」


 老婆は遠く山の向こうを見つめ、唄う。


「ゆーぐれに、きをつけろ。やーまぁに、揺れるかげ。わぁかぁき、巫女の目が。おーまえをつかまえる……」


 民謡だろうか。私は真夏の日差しの中、なぜか背筋が寒くなった。


「鬼の宴には、若く美しい男が招かれる。ほほ、今回は逃げおおせるのか見物よな」


 老婆の一瞥で私は唾を飲み込む。


「そういう類のお祭り、という事でしょうか。鬼役の誰かに追いかけられる、みたいな」

「ほほ」


 老婆が震える指をどこかに向けると、ブロロロロ、とバスの排気音が近づいてきた。


「お迎えじゃ」

「……」

 

 私は軽く頭を下げ、バス停の方へと向かった。

 ここまで来て、老婆の言葉を理由に帰るというのも気持ちがわるい。


「……」


 不愛想な運転手に出迎えられ、当然のように無人の車内に乗り込む。


「あの。悼観いたみ村には――」


 不安だったからだろうか。

 私の口から質問が飛び出そうになるが、その質問は運転手のゴツゴツとした指に遮られる。その指は車内に取り付けられた運行表を左から流れるようにさし、一番右の場所でピタリと止まった。

 終点、悼観村。

 私の目的地だ。


・・・


「あー。ったく、おい、桃井。桃井くん、ちょっと来い」


 エアコンの効いたオフィス内で頭をぼりぼりと書く編集長に呼び出される。


「ちょっとさ。行ってきて欲しい場所があるんだけど」


 私は編集長の中年太りした丸いお腹とチラチラと覗く頭皮に視線を彷徨わせながら、意図を探る。


「取材、ですか?」

「んー、まあ、そうなるな」


 編集長は机の上にポンと封筒を置いた。あまりの達筆になんと書いてあるのか正確には読み取れなかったが、おそらく編集長の名前が書かれている。


「まえに。この雑誌のスポンサーに会わせたことがあるだろう」

「はぁ、確か、古い名家の」


 天若津あまわかつ

 和服を着こなした四十代ほどの女性と、そのご息女に会った記憶が蘇る。ご息女の方は随分と雑誌の編集に興味があるようで、私は小一時間ほど彼女の相手をしたのだ。


「そんとき、ちょいと頼まれごとをしたんだが」


 編集長の視線が封筒に移る。


「催促して来やがった。本家に来いってさ」

「私が行けと?」


 コクリと編集長が頷く。


「私はこれから仕事が」

「あー、悪いがお前さんをご指名でな。拒否権は無しだ」

「……」


 なぜ私が。

 編集長が行けばよろしいのでは。

 そう言いたいところだが……。

 私は編集長の足元をチラリと覗き見る。

 白いギプスでがっちりと固定された右足。

 階段から足を踏み外し、つい先日退院したばかりの編集長の足では移動もままならない。


「……」


 ……ご指名、か。

 なにか粗相をした憶えは無いが。


「しかたありませんね。それで、私はどこに行けば」

「ああ。ここから随分と離れた山奥でな。実はここは昔から奇妙な祭りがあると有名――」


 編集長の言葉の途中。急に視界が揺れオフィスから――――。

 

 ズキズキと、後頭部が痛む。目の前が真っ暗になり。

 意識が――浮上する。


「っ」


 ここは……。

 私は、いつのまにか気を失っていたらしい。

 そして、何者かによって両腕を後ろで縛られ、地面に跪いた状態で置かれている。

既に日が暮れたらしく、暗い地面を炎の橙色だけが照らす。


 ドン、ドドド、ドンッ、ドッドッドッ!


 和太鼓の音が鳴り響き。

 ざ、ざ、と複数の足音が聞こえる。


「な、な……」


 何をされるんだ私は。

 恐ろしさで周囲を伺うことも出来ないが、炎で照らされた地面には私を囲むような円が描かれており……まるで私は儀式に捧げられる贄のようだ。


「はぁ、はぁ」


 思い出せ、気を失う直前を。

 駅からバスに乗って、それから……それから。確か。


「――目が覚めましたか?」


 ぬっと、地面を見つめていた私の左側から女の声が聞こえた。若く、上品な声色だ。

 恐怖心と好奇心がせめぎ合い、私の視線が左側に向かう。


「こちらも準備が整いました」


 若い女と目が合う。以前会ったことのある、名家『天若津』のご息女だ。名前は確か――。


「天若津、乙姫……」

「まぁ、覚えていて下さったのですねっ」


 巫女装束に身を包んだ、艶やかな黒髪の女が微笑む。十代半ばにみえる容姿だが、私を見る目は……まるで捕食者のようだ。


「いったい何なんだ。私を、私をどうするつもりだ」


 ドン、ドドド、ドンッ、ドッドッドッ!


 太鼓の音が強く鳴り響き、呼応するように私の心臓も激しく脈打つ。


「なにって。イヤですわ。こちらについた時に説明したではありませんか。それとも、もう一度わたくしの口からお聞きになりたいのかしら?」


 乙姫の視線を受け――。気を失う前。この村に来て天若津家の応接間で聞かされた話がフラッシュバックする。

 そうだ。

 だから私は逃げ出して――後頭部を殴られ、気絶したのだ。


「では。もういちど。貴方はこれから私と子作りをして、捧げものとなるのです」


 ふふふ、と妖しく乙姫は嗤うと、手に持っていた小刀をヒュンと振り――私の頬を切った。


「っぅ、なにを」

「強い子を産むのが、我が天若津家の当主の責務。血を流し、痛みに震え、命の危機に瀕した時に、断末魔の叫びと共に最も強い子種が出るのです」


 スッと、私の腕を縛っていたヒモが、私の腕共々切られる。


「そんなもの迷信だ」

「伝統ですの」


 ドンと背中を押され、私は倒れ込むが。

 ――命の危機に瀕しているからか、自分でも驚くほどに素早く立ち上がることが出来た。


「まぁ素敵っ。まだまだお元気ねっ」

「なぜ私なんだ」

「前にお見かけした時に。とてもお顔が、好みだったのです」

「そ……それだけか?」

「それだけですわ」


 乙姫の笑みに言葉を失う。


「母に頼みこんだのです。そしたら、うふふ。母も同じように亡き父を見繕ったのだとか。血は争えませんね」


 立ち上がり、周囲を見渡せばキョトンとした様子の乙姫と。私を取り囲む大勢の――鬼がいた。

 白装束に、鬼のお面。

 皆一様に弓矢を持ち、私を取り囲んでいる。


「なんなんだ、この村は」

「強い子を、産み、育てる。うふふ、今からとても楽しみですわ。名前はもう決めていますのよ。乙姫の姫に、あなたのお名前から桃をいただきまして、プリンセスピーチちゃんと――」


 乙姫が恍惚の表情を浮かべた瞬間。

 頭上から、ヒュン、という音が聞こえ――。


 ズ、ドンッッッ!!!!


 爆発を思わせるほどの『何か』が私の背後で炸裂した。


 木々も、鬼も、私も吹き飛ばされ――。天高く打ち上げられた私はドスン、と巨大なワニ皮のような感触のモノの上に叩きつけられる。


「っ、げほっ、げほっ、なん、だ、いったい」


 不安定な足場に必死に捕まる。


「……温かい?」


 目を凝らすと『足場』が大きく動き――その威容が姿を現した。


「ひっ」


 息を飲む。視界に収まらぬその姿は幻想の類。周囲の紛い物の鬼などではない本物の脅威。

 ……そしてよりにもよって私は、どうやらソレの『頭』に掴まっているらしい。


「な……、なんなのですかお前は! わたしの、子作りですのよっ!」


 吹き飛ばされる事無く立つ乙姫から怒号が響き、恐ろしき翼がその眼光を光らせる。


『――我が名はくそでかドラゴン。夜に飛ぶ鳥に驚き、地上に墜落せし者なり――』


 翼幅十キロメートルほどのバケモノから声が伝わる。


「くそでかドラゴンさん、ですわね。あなた、その身の不幸を呪いなさい。天若津の女に恥をかかせた罪、その命で贖いなさい! 頭上の! わたくしの旦那をお返しなさい!」


 恐れを知らぬ乙姫の怒りがくそでかドラゴンに向かい、くそでかドラゴンはその宝玉のごとき無機質な瞳で乙姫を見下ろす。


『――どうやらタイミングが悪かったようですまぬ。詫びと言ってはなんだが。年の瀬に披露する予定の我が秘技を見て怒りを鎮めてはくれぬか――』

「子種袋を返せと言ってるでしょう!」


 くそでかドラゴンは乙姫の返事を聞く前に、ブワッと翼を広げ村の全てを薙ぎ倒し宙へと舞い上がり。


『――見よ、闇夜に現れる恒星を――――あ、まず』


 キュイン、と。

 くそでかドラゴンの口元に光の玉が現れたかと思うと、光の玉がポロリと落下し――。

 眼下の村および周囲一帯の山が消し飛んだ。


『――はわっ。……許せ人間、まだ練習途中だったのだ。お前の同胞を我が未熟により消し飛ばしてしまった――』


 頭に乗る私の存在に気がついていたらしい。くそでかドラゴンは気まずそうな声で謝罪を口にした。


「……たぶん、あなたに助けられました」

『――え? ……ふぅん。……じつはそう、おぬしが困っているのではないかと思い駆けつけたのだ――』


 こうして私は竜に乗り、眩い月光を見上げ――完。

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因習村VSくそでかドラゴン 光川 @misogi-mitukawa

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