第13話 エピローグ 莉子と翔太

 サッカー部の部活が終わっての帰り道、俺は江ノ本、土屋と同じ電車に乗り合わせた。

「あれ? 翔太君、こっち方面だったっけ?」

「いや全然。俺、自転車通学だし」

「どっか寄り道?」

「うん……莉子ん家に授業のノート渡しがてら様子を見に行ってんだ」

「莉子ってこっち方面だったんだ」

「そうみたいだな」

 だから江ノ本、土屋2人がいっしょにいるところを見かけたんだろう。俺も最近になって気が付いた。江ノ本たちも同じことを考えたらしい。目配せして黙り込んだ。

「莉子の様子はどう?」

 あれから莉子はずっと学校に来ていない。

「あんまりしゃべってくれないんだけど、ノート渡すだけじゃなくてちょっとでも話するようにしてるよ」

「ササっちがね、莉子が会ってくれないっていって泣きそうな顔してたよ。でも翔太君とは会ってるんだね」

「まあ俺にはノートを渡すっていう大義名分が一応あるからな」

「そうか…… そうだね」

 お互い言うべきことはあるが、どう言ったらいいか、言っていいものかどうか、逡巡して重い空気が流れる。結局「じゃ、また明日」とだけ言って土屋、江ノ本の順で降りて行って、俺だけが残った。

 その日も莉子はほとんど口をきかず、俺が一方的に授業の内容や今日の出来事なんかをしゃべった。ずっと俯いて目は合わせないけど、時々は頷いてくれるから俺の話を聞いてくれているのは分かる。

 俺たちは莉子の部屋ではなく応接間で話をしている。莉子のお母さんも学校に行かない娘を心配しているのが分かる。何があったのかきっと知りたいのだろう。でも事を表沙汰にしていいかどうか俺は判断できないでいた。莉子から事情を聞くことはできないだろうし、たぶん莉子に気兼ねして尋ねてもいないのではないかと思われる。

 

 莉子が学校に行かなくなって1週間が過ぎようとしていた。俺はいつものように部活帰り、駅に自転車を留め、授業のノートを渡すという名目で電車に乗って莉子の家を訪れた。

 授業のノートの説明をひと通り終えたところで、

「翔太君、聞いて欲しいことがあるんだけど……」

 莉子が口をひらいた。

「何?なんでも聞くぜ!」

 久しぶりに莉子の声を聞いたのでうれしくて、そしてちょっと驚いて声が上ずってしまった。

「私、学校を辞めようと思う」

「え!?」

「もちろん別の学校の編入試験は受けるよ。不登校になるって意味じゃないんだ」

「ご両親には話したのか?」

 莉子は首を横に振った。

「そうか……」

 でもそうなると何があったのか話さなくてはいけなくなるだろう。

「もう、決めたのか?」

 莉子は黙って俯いたまま、ぼろぼろと涙をこぼした。別の学校になんか行きたくないに決まってる。笹川と分かれてしまうし、俺とだっていっしょにいられなくなる。

 莉子がそこまで思い詰めているとは正直思っていなくて、俺もどう言葉をかけたらいいか分からなかった。でも、逃げて欲しくない。こんな状態でよその学校に編入しても楽しい学校生活が送れるとは思えない。でも今そんなことを言えば莉子を追い詰めてしまうことになるだろう。

「莉子の考えは分かったよ。俺もどうするのが一番いいか考えてみる。少し時間をくれないか?」

 莉子は黙ってうなずいた。

 

 帰り際、玄関を出たところで俺は莉子のお母さんに呼び止められた。

「翔太君、莉子に何があったのか教えてくれないかな。親なんだから本人に聞くのが当たり前なのは分かってるんだけど、それを聞いたらきっと莉子が傷つくような気がして…… あなたもきっと辛い思いをしてるんだと思う。だから先に謝っとく。ごめんなさい。お願い! 教えてもらえないかな」

 こんなときが来るだろうと予想はしてた。俺はカバンの中から封筒を取り出してお母さんに渡した。

「これに全部書いてあります。俺、しゃべるのがあまり得意じゃないからきちんと説明できる自信がなくて。そこに俺の連絡先も書いてあります。もし、俺でも役に立つことがあったら連絡して下さい」

「ありがとう!」 そう言うお母さんはちょっと涙ぐんでいた。


 俺はその夜、笹川に電話した。そして今日莉子が学校を辞めたいって言ったこと、お母さんにすべて話したことを告げた。

「分かった。ありがとう、翔太君。全部君に背負わせちゃってごめんね」

「笹川、頼みがあるんだけど」

「何?なんでも聞くよ」

「莉子を学校に連れ出して欲しいんだ」

「でも、莉子は私に会ってくれるかな……」

「分からない。でもこれはお前にしか頼めない」

「学校に連れ出してどうするの?」

「俺、やっぱり莉子に逃げて欲しくないんだ。だから莉子のやったこと全部清算させてやりたいんだ。そしたら莉子はまた学校に来れるようになるんじゃないかって思うんだ」

「清算させるって……どうするつもり?」

「俺を信じて任せてくれないか?」

「……分かった。莉子を連れ出せばいいんだね。やってみるよ。また連絡するね」

「よろしく頼む」


 そんなやりとりをした2日後、笹川から連絡があった。

「明日、放課後でよかったら学校に行くって莉子、言ってるんだけど、どうかな?」

「分かった。体育館の前で待ってる」



 放課後、6月に入ったこの頃は昼間の時間が長くなって、5時というこの時刻ではまだ太陽が空に残っていて明るい。グラウンドや体育館で部活を行っている生徒の声やボールの音が響いてくる。今日は体育館ではバレーボール部が活動しているらしい。その日、俺は部活を休んで体育館の前に立っていた。

 莉子が笹川に付き沿われるようにしてやって来た。莉子の制服姿をもうずいぶん長く見ていなかった気がする。夕日に映える莉子の姿が眩しくて、俺はちょっと目を細めた。

「莉子、そこに座ってくれ」

 体育館横の階段を指し示す。あの時、江ノ本が背中を蹴られて転げ落ちた階段だ。莉子は言われるままに足を揃えてちょこんと座った。

「あれからよく考えたんだけどさ、莉子、俺やっぱり莉子に逃げて欲しくないんだ。だから学校を辞めるっていうことには反対だ」

 莉子はじっと俺を見つめている。

「そんなこと言うために、ここに呼び出したん?」

「そうだ」

「そんなの私の勝手でしょ!翔太君に私の気持なんか分からない!」

 ぱん!っと音が鳴った。俺が莉子の頬を平手で殴ったのだ。殴られた莉子の顔は後方に捩れ、殴られた勢いで体制をくずして倒れそうになった。その莉子の体を笹川が慌てて支える。

「ちょっと!翔太君、何するの!?」 笹川が叫ぶ。

「もう一回言う。俺は転校には反対だ。逃げたってその先で楽しい学校生活なんて送れるはずないだろ?」

 体制を立て直した莉子がきっとした目で俺を睨んでくる。思ったとおり、莉子って実はすごく気が強いんだ。

「そんなことやってみないと分からないじゃない!どうして決めつけるの!?」

 ぱん! 今度は反対側の頬を平手で殴った。今度は笹川がいなかったから莉子はコンクリートの床に勢いよく倒れた。俺は莉子に近づくと彼女の腹を蹴り上げた。

「ごほっ!」

「翔太君!」

 笹川が莉子を庇うように俺たちの間に飛び込んだ。

「莉子、甘えるのもいい加減にしろよ! 殴られて、蹴られて、痛いだろ? 江ノ本はあの時お前に殴られても蹴られてもお前の言うことを聞こうとしなかった。あれはお前を止めたかったからだ。自分が怪我してでもお前にあんなことやめさせたかったんだよ!」

 

 ぱあん! その時、俺は後ろから頭をしたたか殴られた。

「痛って……」

 痛さで顔をしかめ、頭を抱えて振り向くと江ノ本と土屋がいた。江ノ本は剣道の防具を付けたままの姿だ。手に持った竹刀で俺の頭を思いっきり殴りやがった。

 振り返って「何する!」って言い終わらないうちに、俺の腹を竹刀の突きが容赦なく襲う。俺は後方に吹っ飛んで背中から地面に倒れた。

「翔太。いくらお前でも莉子に暴力を振るうなんて許さん!」

「くそ!」 俺は立ち上がるとその場から走り去った。



「莉子、大丈夫?」

 加江ちゃんが私を抱き起して、ハンカチで頬を拭ってくれた。そのハンカチが赤く染まっている。どうやら鼻血が出ているらしい。

「あのやろー、莉子にこんなことするなんて見損なった!」

「本当に酷いよね。なに考えてんだろ」

 みんなが私を囲んで翔太君のことを悪しざまに罵る。

「保健室に行こう。莉子、立てる?」

 私は3人に抱えられる様にして立ち上がった。部活中でそんな異常な様子に気づいた生徒たちが興味深げに遠巻きにしてこちらを見ているのが分かる。

 加江ちゃんが突然私に抱きついた。

「莉子、ごめんね。まさか翔太がこんなことするなんて思わなくて。あいつ莉子がやったこと清算させるって言ったんだ。まさかこんなことするって意味だとは思わなくて…… ごめんね、ごめんね……」

 加江ちゃんは私を抱き締めたまま泣き出した。

「翔太のやつ、最低なやつだな。莉子、災難だったな」と江ノ本さんが言う。

「翔太のアホ、見損なったよ。莉子、あんなやつのことなんてもう忘れなよ」と土屋さんが言う。

「みんな、ありがとう…… あのときのこと、ごめんね」

 言葉足らずだけど、やっと面と向かって謝ることができた。

「いいんだよ。もう忘れた」と江ノ本さんが言う。「うん」と土屋さんも頷いてくれる。


 私は加江ちゃんに送ってもらって家に帰った。加江ちゃんと2人でこんな風に歩くのって本当に久しぶりだ。

「本当に、翔太のやつ、絶対に許さない!」

 加江ちゃんは何度もその言葉を繰り返していた。

 

 翌日、私は学校に行った。ちゃんと朝から。

 教室に入ってみるとクラスメイトがしばらく休んでいた私を気遣って声をかけてくれた。あのことは誰も知らないらしい。

 休み時間には加江ちゃんも来てくれた。加江ちゃんは「よかったー」って言って大泣きし、クラス中の注目を浴びていた。

 お昼休み、私と加江ちゃん、江ノ本さん、土屋さんの4人で校舎の屋上でお弁当を食べた。

 江ノ本さんが「うーん」と伸びをして、

「もう6月かあ。私たちもがんばらないとね!」

「だね!」 加江ちゃんと土屋さんが声を揃える。

「何に?」 私だけ何のことか分からなくて首を傾げる。

「インターハイの予選が始まるんだよ」

 加江ちゃんが説明してくれた。

 


 あの時、翔太君に暴力を振るわれた私を囲んで加江ちゃん、江ノ本さん、土屋さんが優しい言葉をかけてくれた時、私は翔太君の気持ちが分かってしまった。バカだなあ、翔太君。自分が悪ものになって、全部背負いこんで……

 私がやったことを清算させるって、私が江ノ本さんに振るった暴力を自分が受けて痛みを知るってことだけで許してくれたんだ。それもだいぶ手加減してくれたことも分かる。

 あのとき、あの場に江ノ本さんと土屋さんが偶然居合わせたのも不自然だ。たぶん翔太君が事前に声をかけていたんだろう。2人が翔太君に対して言った悪しざまな悪口も、今にして思えばわざとらしいって気づく。みんなが私を許して、それを私が受け入れられるようにしてくれたんだ。

 おそらく加江ちゃんは何も知らない。加江ちゃんはあれ以来、翔太君に会うたびに凄い目つきで睨みつけている。いつかタイミングを見て加江ちゃんにもちゃんと伝えよう。

 

 あれから翔太君は私に近づかないし、目も合わせないようにしている。

 放課後、私はサッカー部が練習しているグラウンドの脇に立って大声で叫んだ。

「本当に大バカ!翔太、大好き!」

 聞こえるはずないと思っていたのに、翔太君が急に立ち止まってこっちを見た。一瞬、目が合った。でもすぐに先輩に怒られ、慌ててボールを追って駈け出して行った。



 = おわり =


◆━━━━━━━━━━━━

最後までお読みいただきありがとうございます。

これでこの物語は終わりです。他の拙作もお読みいただけますと嬉しいです。

2024年11月5日 

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