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帰りの電車の中、まだそこまで遅い時間ではないせいか、車両にはそれなりの数の人が乗っている。俺達と同じように飲み会帰りの人。土曜日なのにスーツを着ている人、そして一人でぼーっと窓の外を眺めている人。
結局あの後、木村さんは田所に連れられて一足先に帰って行き、佐々木さんも念のためそれに付いて店を後にした。
残された俺達三人は、店の人に謝りながら一緒にその場を掃除して、その後飲み直すという空気でもなかったため、足早に店を出てきた。
そして今、その三人が無言で電車に揺られている。
「木村はさ……」
最初に口を開いたのは、意外にも影山君だった。
「VTuberって知ってる? あいつ、VTuberやってて、ネット配信してるんだよ」
影山君は淡々とした口調で、ゆっくりと言葉を続ける。
「そんで、おれはその視聴者でさ。会社入る前から知ってたんだけど、なんか声似てるなって思ってて、ある日たまたまゲームの話したんだけど、その時聞いてみたら当たりで、こんなことあるんだなって思って。それから一緒にゲームするようになったんだよ」
とりとめのない話し方だが、つまり影山君は、会社に入る前から木村さんの配信を見ており、たまたま同じ会社になった木村さんがその配信者だと知って一緒にゲームをする仲になったわけだろう。
「おかしいと思ったんだ。木村さんって普通にアパート暮らしじゃん? なのに兄と住んでるって言ってて、最近、男の声がたまに配信に乗ってたんだよ。それを兄だって言ってたの」
木村さんは兄と住んでいる事にして、その実、田所と付き合ってた訳か。俺もネットでそう噂を見たことがあるけど、まさか本当にあるとは……。
「俺、実は木村さんと結構出かけたりしてたんだよね」
あれ、なんだか空気が変わったぞ?
「いや、もちろんそう言う事はしてないよ? ただ、映画見に行ったり、買い物したりとかしてただけで……」
そう言って、影山君は黙ってしまった。
なるほど、彼は木村さんと自分が付き合ってたと思っていた分けか。
そして、電車はゆっくりとスピードを緩め、窓の外には駅のホームが映し出される。
「……じゃ、また来週」
影山君はボソリとそう言って、ドアの前に立つ。やがて電車が完全に止まると、そのドアが音を立てて開き、影山君と数人の人間が外に出て行った。
その影山君の背中には、なんとも言えない哀愁が漂っていた。
電車のドアが閉まると、電車がすぐに動き出し、アナウンスが次の駅を告げる。
次第にスピードを上げた電車は、間もなく一定の心地いいリズムを奏で始めた。
今日はすごい日だったな。
「今日はすごかったね」
俺が思った事と全く同じことを新藤君が口にしたものだから、俺は少し驚いてしまった。
「噂には少し聞いてたんだけど、まさかあそこまでだとは思わなかったよ」
それは木村さんの事だろうか? 俺は会社で彼女の噂をあまり聞いたことが無かった。たまに胸がでかいとかそういう事を言う先輩は居た気がするが……。
「木村さんってさ、よくブランドのバッグを職場に持って来てたでしょ? それも、結構な頻度で銘柄がコロコロ変わってたしさ」
俺は、彼みたいにブランドの事は良く分からないし、他人の持ち物についてそんな気にしたことが無い。
「それと、あの時は言わなかったけど、田所君との事は薄々感づいてて、しかも田所君以外の男と歩いてるところが、職場の人間に度々目撃されてたんだよね」
電車は再び速度を緩め、車輪が刻むリズムがどんどん遅くなる。
「田所君以外にも、うちの会社で何人か噂があったんだけど……」
一体どこで仕入れるのか、俺は誰が誰と付き合ってるとかあまり興味が無いためか、人と話していてそんな話になる事がそもそも無かった。
「まさか同期だけでも三股をかけてるとは……」
車窓にはまた、電車のホームが流れる。
「じゃ、また会社で」
そう言って、新藤君は電車の出口に立つ。
そういえば、同じ部署なのにあまり新藤君と会社で話したことが無いな。今度思い切って話しかけてみようかな。
電車のドアが開く。
彼はこちらをちらりと見ると、軽く手を上げて、そのまま駅のホームに踏み出した。俺はその背中を窓越しのボーっと見つめながら、先ほど聞いた彼の言葉を思い出していた。
聞き間違えだろうか。彼はさっき、同期で三股と言っていたような気がする。
俺の駅は次の駅だ。
ブザーの後、車両のドアが音を立てて閉まる。
電車はものの数分で、次の駅に着くだろう。
俺は彼の言葉が引っかかって、その日は一睡もできなかった。
翌月曜日の朝、総務に用事があって向かうと、変わらぬ木村さんの姿がそこにあった。
影山君は欠勤したらしい。
からあげにレモン 倉井典太 @tenta-kurai
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