3
六人が唖然としてその声の主である木村さんを見ている。
気付くと、隣の席の人まで驚いて固まっている。
「ご、ごめん……木村さんのお父さんだなんて、全然知らなくて……」
新藤君が申し訳なさそうに、木村さんに謝罪する。
「ごめんね木村さん。私も全然知らなくて……。いや、知らなかったとか、そう言う事じゃないよね。本当にごめんなさい」
続いて佐々木さんも謝罪の言葉を口にする。
「ゴメン。ちょっと調子に乗り過ぎたわ。まさか木村のオヤジだとは夢にも思わなかった」
俺が何て謝ろうか考えている間に、田所にすら先を越される。俺はまたしても言葉が出てこず、気づくと自分の頭を掻いていた。
「えっと、本当に――」
「違う」
俺が何かを言いかけた時、突然木村さんが「違う」と一言だけ口にした。
「ち、違う? 違うって、どういう事かな? 木村さん?」
新藤君が恐る恐る、木村さんに言葉の意味を尋ねる。
「違う。お父さんじゃない」
全く意味が分からない。
それは他の人も同様なようで、全員が全員、各々の顔を見比べながら目を泳がしている。
「お父さんじゃないの? えっと、ゴメン。どういう意味かな?」
何にか複雑な家庭事情があるのだろうか。そもそも、木村さんと熊谷とでは苗字が違うので、その辺の――
「お父さんじゃない!! パパ!!」
また急に叫ぶ木村さん、俺は再度、隣の席に目を移すが、今度は特に気にかけていなさそうだった。
それにしても、意味が分からない。お父さんとパパって、何かのなぞかけだろうか。
「パパ? パパってまさか……」
木村さんがはっとして口をつぐむ。俺も彼女の言葉でハッとする。
パパってそういう意味か!?
俺は恐る恐る他のメンバーの様子を伺うが、今度はバツの悪そうな顔をして、先ほどと同様に目を泳がせる。おそらく全員同じ考えに至ったのだろう。
「あ……えっと……」
新藤君が何か言おうとしているが、言いかけたまま目を横の壁に向けた。
「若鳥の唐揚げお持ちしました」
店員が気まずそうに唐揚げを運んでくる。今度はさっきよりも
とりあえずそれを佐々木さんが受け取り、そっとテーブルに置く。
気付くと、全員の視線がその唐揚げに行っている。
レモン……。
「じゃあオレ、食べるわ」
そう言って、田所が今来たばかりの唐揚げに手を付ける。動揺しているのか、取箸を忘れて直箸で行っている。
「こっちのも冷めちゃわないうちに食べよう。レモン大丈夫な人……」
新藤さんがそう言うが、誰も何のアクションも起こさない。
え? まさかみんなレモン苦手なのか?
そう思った瞬間、下を向いていた木村さんが突然顔を上げると、物凄いスピードで新たに来た唐揚げに手を伸ばす。そして、櫛切りのレモンを鷲掴みにすると、両手で力いっぱいにレモンを絞り始めた。
彼女の手の間から、レモン汁がしたたり落ちる。ピンクネイルがその行動のヤバさを無駄に強調した。
あまりの事態に、俺達は唖然とするほかなく、無言でその一部始終を眺めていた。
「からあげにはレモンがいいの!! からあげにはレモンがいいの!!」
木村さんはそう叫びながら、絞り終えたレモンをテーブルに直接叩きつけた。叩きつけられたレモンと木村さんの手から、レモン汁の飛沫が舞う。
「からあげにはレモンがいいの!! からあげにはレモンがいいの!!」
壊れたレコードのように同じ言葉を口にする木村さん。もう俺にはどうしようもできないので、誰かが何とかするか、木村さんが言い終えるのを待つほかない。
「からあげにはレモンがいいの!! からあげには――」
「いいかげんにしろよこのノンデリ女!!!!」
突然、今度は俺のすぐ右隣から大声が聞こえた。驚いてそちらを見ると、影山君がプルプル震えながら、テーブルの上の自分のおしぼりを睨んでいた。
「お前はさ!! いつもいつもそうなんだよ!! 何度説明してもヒーラーなのに突っ込んで行ってファーストダウンするわ、珍しく焚いた壁もオーブも完全に利敵だし!!」
下を向いたまま怒鳴り出した影山君は、恐らくネットゲームか何かの話をしている。
「ちょっと声がカワイイとか言われただけで調子に乗んなよ!? 社交辞令ってわかるか?? お前なんか量産型のアニメ声だよ!! 同接ギリ二桁が勘違いしてんじゃねえよ!!」
彼はありったけの悪口を吐き捨て、なおもそれは収まらない。
「一体今までどうやって生きて来たんだよ!! さんざん周りから甘やかされたか!? よかったな女で!! 胸がでかければ何でも許されるんだな!!」
「ちょっと影山君! 言い過ぎだよ!?」
佐々木さんが慌てて止めに入ろうとするが、
「じゃあお前らはどう思ったんだよ!? たかがレモンを注意されただけでこんなことする女だぞ?? こいつは自分を中心に世界が回ってると思ってるの!! 自分の行動で他人が迷惑するなんて夢にも思ってないの!!」
「落ち着こう影山君! 俺達も悪かったんだよ、その……パパ? のことを悪く言ったし……。それに、君も言っている様に、レモン何て些細な問題じゃないか。死ぬわけじゃないんだし」
「俺は柑橘アレルギーなんだよ!!」
そう言われてしまうと、新藤君も返す言葉が無い。
気が付くと、今度は隣のテーブルだけでなく、周囲の殆どが俺達の様子を伺っている。その空気に、新藤君と佐々木さんがものすごく居心地の悪そうな顔をして顔を伏せる。
「とりあえず……。とりあえず落ち着こう。お店の迷惑だし」
新藤君が両手でなだめる様なジェスチャーをしながらそう切り出した。
だが、その後に続く言葉は無かった。
俺達はしばらく無言だったが、周りは徐々に喧騒を回復しつつある。
「ぶぅううう……」
木村さんから声が漏れた。オナラとかではなく、確実に木村さんの声だ。
「ぶぅぅううううぐう……うぶうぅうぐううんんん……」
一瞬何事かと思ったが、どうやらそれは泣き声の様だった。
「うぐううぅううぅうう……! ぶうううぅううぅうぅん……!」
泣き声というよりは鳴き声。俺は吹き出しそうになるのを必死に抑え、自分の座っている座布団と畳の境界を見ている。
「木村さん? ちょっと外行こうか?」
佐々木さんが木村さんの肩を抱きながら問いかけるが、彼女の反応はない。
「豚女……」
「ぶうううぅぅうううううう!! ぐううんうううううぶうううぅ!!」
「ちょっと影山君!」
「ぶはぁ!!」
俺は思わず吹き出してしまう。
視線を感じて「ゴメン、ゴメン」と唱えるが、声が笑ってしまって取り繕いようがない。
「はあ……」
右隣からため息が聞こえ、唐突に田所が立ち上がる。
「もうコイツ、俺が連れて帰るわ」
そう口にした田所に、木村さん以外の全員がポカンと彼を眺める。今日はこんな事ばかりで、頭の回転が全く追いつかない。
「ほら”モエ”。立て」
モエとは木村さんの下の名前だったはずだ。田所は佐々木さんの前から木村さんに手を回し、彼女の二の腕を掴んで引っ張ろうとする。そのあまりに堂々とした行動に、佐々木さんもそれを止めようとはしていない。
「田所君は木村さんの家、分かるの?」
新藤君が疑問に思って彼に質問する。
「うん。まあ、おれコイツと付き合ってるし」
「「えっ!?」」
また全員の声がハモった。
「まあ、もう今更隠してもしょうがないし。とりあえずコイツ立たせるの手伝ってくれる?」
言われるがまま、新藤君がのっそりと立ち上がり、木村さんの肩を掴む。佐々木さんも立ち上がって、邪魔にならない位置に避けている。
そして一人、絶望の表情でそれを眺める影山君。
二人に両サイドから掴まれた格好の木村さんだが、それでも頑なに立ち上がろうとはしない。
「おい。いいかげんにしろよ。ガキじゃねんだから」
田所はそう言って木村さんの腕と脇の間に手を入れて、グイグイと引っ張って行こうとする」
「田所君……ちょっと乱暴じゃない?」
佐々木さんがそう言いながら、田所に手を伸ばした瞬間――
「あっ!?」
「うおっ!?」
二人を振りほどいた木村さんが、目の前の唐揚げに手を伸ばすと、一皿分の唐揚げを両手で救い上げて自らの口へと運んだ。
「ぶごぉっ! くぼぉ! むもむもむお!」
手からあふれた唐揚げがボトボトと床に落ちる。
「ちょっ!? 木村さん!?」
新藤君と佐々木さんが彼女を止めようとするが、何もできずにオロオロとその様子を見守っている。
「うぐぅ……ごぼっ……ぐぼぉっ……」
両手で口を押え、強引に咀嚼しようとする木村さん。
「木村さん危ないよ。のどに詰まるよ」
新藤君の心配をよそに、やはり木村さんはそれを止めようとはしない。
「うぅ!? ごぶっ!! ごおぉぉぉ」
案の定、唐揚げをのどに詰まらせたらしい木村さんの肩が何度も跳ね上がる。
「ちょ、ちょっと木村さん大丈夫!?」
佐々木さんが空になった唐揚げの皿を、木村さんの口元に急いで持って行く。
「ごぶぅ!? ごぼっ!! ごぼっ!?」
「木村さん、ここに出して! 木村さん!」
新藤君が木村さんの背中を叩く。
「ぐっ!?」
木村さんの体が、ビクンとひと際大きく跳ねた。
「あっ!?」
「ひぃっ!?」
「「うわあああああああああああああ!!!!」」
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