「やっと来た!」


 田所が嬉しそうに言いながら、空いた皿を店員に渡している。


「誰か新しい飲み物いる人!」


 俺はすかさず、皆に飲み物を聞いて行く。最近はタッチパネルが増えたが、この居酒屋は未だ店員が直接オーダーを取るシステムをしている。


「ビール三つに、カルーアミルク一つとモスコミュール一つ、黒霞島のロックが一つでお間違えないですか?」


 店員が確認すると、新藤君が「はい」と返事を返した。それを聞いて店員は空いた食器を持って去っていく。佐々木さんがその間に新しい取り皿を全員に配っていく。


 さて、俺が何から食べようかと思った時、一人の白い腕が、唐揚げの元にぬっと伸びた。


 その腕の主は木村さんだった。

 木村さんは唐揚げの脇にそれられたレモンをおもむろに掴むと、何の躊躇もなく唐揚げの上に振りかけた。

 ああ、やったぞこの子……。


 俺は目だけを上げて他のメンバーの様子を確認する。

 新藤君は変わらず笑顔だが、木村さんの行動を見て少し戸惑っているようにも見える。対照的に佐々木さんは明らかに苦々しい顔をしてその一部始終を眺めている。影山君はそれを見てはいるが、何を思っているのかは分からない。最後に田所は、何も気にしていないように、鳥軟骨を自分の取り皿に運んでいた。

 まあ、かけてしまったものは仕方ない。個人的にレモンはかけない派だが、別に嫌いなわけでは無い。他はどう思っているのか分からないが、俺はなんとなくその唐揚げを取るのがはばかられて、もう一つの梅しそささみへと手を伸ばす。


「ちょっと木村さん?」


 佐々木さんが口を開く。

 その言葉に、俺は身構えて、顔は上げずにそっと目線だけを二人に向けて様子を伺う。


「あのそれ、あんまり勝手にやらない方がいいと思うよ?」


 ああ、言ってしまったか。

 個人的に、ここは気になっても無言で場を収めるところだと思っていたが、真面目な佐々木さんにはそれが許せなかったのだろう。

 そして俺は木村さんにそっと目を向ける。しかし、彼女はいまいち何のことだかピンと来ていない様子で、佐々木さんの方を向いて大げさに首を傾げた。


「その……私は良いんだけど、そのレモンかけるの、もしかしたら苦手な人とか居るかもしれないから、一応周りに聞いてからにした方がいいと思うよ?」


 佐々木さんはそう言うが、実際にかけていいかと言われたら否定しづらいため、俺はそもそも聞くこと自体がナンセンスだと思っている。


「? でも、レモンかけた方がおいしいよぉ~?」


 木村さんの反応的に、彼女は何が問題なのか分かっていない。


「あのね木村さん? あなたはそうかもしれないけど、レモンをかけない方が好きな人もいるの。だから、かけるときは一応みんなに確認するか、自分のお皿に取った後にかけるようにした方がいいんじゃないかな?」


 佐々木さんが木村さんに分かってもらおうと、必死に説明している。流石の田所も、その様子を箸を止めて眺めている。


「……でも、レモンをかけた方が絶対美味しいよぉ?」


 その言葉に、佐々木さんが引きつった顔で硬直する。俺も実際、木村さんがここまでの人だとは思っていなかった。


「うーん……あのね木村さん……えっと……」


 佐々木さんが目をつむっておでこに手を当て、どうしたものか悩んでいる。


「まあまあ、いいじゃないかこのくらい。今回は僕らしかいないわけだし、もし苦手な人が居たらもう一皿頼もう」


 たまらず新藤君がフォローするが、それは吉と出るか凶と出るか。


「でも新藤君。今後の事を考えたら、ここでちゃんと木村さんに理解してもらった方がいいと思うの。そりゃ、私達同期だけだったらいいけど、今後は上司とか先輩とかとも飲み会の機会があるかもじゃない? そういう時困るのは木村さんだと思うの」


 ちょっとの事でパワハラだセクハラだと言われるこのご時世に、そう言う細かい事でキレる上司はいるだろうか。いや、うちの会社にはいるな。

 俺の頭に、何人かの人間が頭に浮かんだ。

 新藤君は、「確かにそうかもしれないけど」と、次に続けるべき言葉を考えているようだった。

 そしてその様子を見た佐々木さんは、


「そうでしょ? ねえ木村さん? 今までも勝手にレモンをかけてたの?」


 その佐々木さんの質問に、木村さんは。


「うん! うちの家族もぉ~。フレンドもぉ~。みんな大好きだよぉ~」


 そこ回答に、再び佐々木さんが頭を抱える。


「うーん……あのね、それは多分……いや、あなたのお友達の事は良く分からないけど、普通はね、こんな事しないんだよ?」


 雲行きが怪しくなってきた。

 木村さんもようやく自分が攻められている事を感じ取ったようで、先ほどまでの笑顔が一転して無表情に変わっていた。

 それを見た新藤君が、ちょっと苦い顔をしながら、


「まあまあ、とりあえず冷める前に食べようよ? 佐々木さんも彼女の事を思って言ってるって事は分かるけど、常識って人によって違うものだしさ。それと、木村さんも自分と常識が違う人がいるってことを理解してほしいかな? レモンをかけていいか聞くだけなんだし、難しい事じゃないと思うんだ」


 新藤君はその場を収めようと、そう言いながら取り箸を手に取ると、鳥軟骨を自分の皿に移す。そこは唐揚げじゃないのかと思ったが、流石に口に出して突っ込む雰囲気ではない。佐々木さんは、腑に落ちない表情をしながらも、少しだけ残っていたジントニックを一気に飲み干した。


「でも……」


 木村さんの口が、ボソっと動いた。


 そこに、タイミング良く新しい飲み物を持った店員が現れる。田所が全員の空いたグラスを端に除け、佐々木さんが店員から飲み物を受け取る。それを全員の目の前に配り終え、店員が空のグラスを拾っている。


「あっ。すんません。唐揚げ一つ追加で」


 突如として田所がそんな言葉を発した。

 全員の視線が田所に集まる。


「んえっ!? あれ、もう一個頼むんじゃなかったの?」


 誰もが唖然としている中、店員が困っていたのを見た新藤君が「一応追加でお願いします」と小声で言った。


 かなり気まずい時間が流れる。木村さんは明らかに気分を害した表情をしている。


「あっ! そういやさあ!」


 その空気を吹き飛ばすように、田所が大きな声を出した。


「人事の熊谷っているじゃん? あいつヤバくね?」


 出た、飲み会名物嫌な上司の悪口大会。まあ、俺も社会人になってから初めての飲み会で、熊谷は誰の直属の上司でもないのだが、まあその辺はどうでもいいか。


「わかるー! あのデブマジでやばいよな? 髪はギトギトだし、すれ違うたびに変な臭いするし、ぜってー風呂入ってねえよな?」


 俺はここぞとばかりに熊谷の悪口を言う。ちなみに、俺と田所は普段からよく熊谷の悪口を言い合っていたりする。


「私ら経理の人間なんて、あいつの事”キモ谷”って呼んでるよ! 経理って全員女子でしょ? だからか知らないけど、うちに何の用事もないのに意味わからない説教しにきたり、先輩なんか制服が乱れてるとか言われてどさくさで胸触られたって言ってたよ!」


 佐々木さんも先ほどの反動からか、めちゃくちゃ早口で話に乗っかってきた。


「俺もあの人ちょっと苦手だな。この前、熊谷さんに急に呼び出されたんだけど、全く関係ないはずなのに書類のフォーマットがおかしいとか、レジメの文法がおかしいとか言われて、しょうがないから言われた通り直したら、違うって課長から俺が怒られたんだよね……」


 意外にも新藤君も話に加わって来る。


「俺それ見たかも! しかも新藤が怒られてるとき、熊谷後ろにいたくない? 営業部に何しに来たか知んないけど、なんかアイツがチラチラ見てた気がしたのそう言う事なんか!」


「それそれ! 多分それ!」


 田所の話に、新藤君が指を指しながら肯定する。やはり、悪口と言うのはすごい。あの空気からここまで盛り上がるとは思いもよらなかった。


「しかもさ、あいつ会議中居眠りするらしいんだよ。そんでイビキかいて本部長にどやされたらしいぜ」


「なんかあれ病気らしいよ? いっつもフーフー言ってるし、息もめちゃくちゃ臭いし。あんまりそうの悪く言いたくないけど、でもあの体型見ると絶対不摂生が原因だよね?」


「そもそも、明らかに風呂入ってないのヤバイだろ? 結婚とかしてねーのかな? てかあいつって何なの? 人事部なのは知ってるけど、何やってる人なの?」


「平社員らしいよ。なんか親会社の偉い人の親戚なんだってさ。課長が言ってた」


「うっそ!? 俺らといっしょじゃん! なのにあんな偉そうな感じなのあいつ?」


 出てくるわ出てくるわ、どれだけ嫌われてるんだってくらい出てくる悪口。正直、こういうのは人として褒められたものでないのは分かっているが、こういう同期の飲み会の席ぐらい、神様も許してくれるだろう。


「結婚とか、絶対無理だろあれ。っていうかそもそも――」


「パパのことを悪くゆうな!!!!」


 突然の大声に、その場が一瞬で凍り付いた。

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