その言葉たちは未来で芽吹く

西沢きさと

その言葉たちは未来で芽吹く


「先生、オレとイケナイコトする関係になってよ」


 話したいことがある、他の誰にも聞かれたくないから、と空き教室に誘われた俺は、自分が担任をしているクラスの生徒にそう告げられた。

 念の為、教室の外に他の人間の気配がないか探るも、近くに誰かが潜んでいる様子はない。何らかの罰ゲームといった線はなさそうだ。ならば、こいつ──均整の取れた長身を少しだけかがませてこちらを覗き込んでくる一色いっしきはじめは、一人でこれを行っているということだ。

 ただ教師をからかいたいだけか、それとも本気か。まぁ、どちらでもいいか。


「却下」

「えっ、なんで」


 明るく染めたふわふわの髪やネクタイをゆるく結ぶといった制服の着こなし方のせいで生活指導の先生によく小言を食らっている一色だが、見目の良さと物怖じしない素直な性格のおかげか、男女関係なく他人に愛されやすい人気者でもあった。クラス内でも、なんなら校内でも上位のモテ男である彼が、一体なにを考えて特筆するところのない七つも年上の俺にこんなことを仕掛けてきたのか。

 断られたことにショックを受けた様子の一色の額を、俺は軽く指で弾く。


「なんでもなにもあるか。俺は教師でお前は生徒。そもそも、未成年のお前を大人の俺がどうこうしたら犯罪だろ」

「ドラマとか漫画では結構ほいほい付き合ってるし、やることもやってる感じなのに?」

「あんなもん、本来なら全部アウトだ。未成年の生徒に手を出す輩なんて、職業倫理と法に反した最悪の大人だぞ」

「あっ、オレは先生に手出しされたいんじゃなくて手を出したいんだけど、それでもダメなの?」


 そういう具体的な話を気軽にするんじゃない、と思わずツッコミかけて慌てて口を閉じる。いや、まずもって、そういう話ではない。

 

「同じことだ。大人は未成年と性的な行為をしたら犯罪だし、教師と生徒で恋愛関係を結ぶとか、俺からすれば教師辞めちまえ案件でしかない」


 なるほど、と説明内容は素直に理解したものの納得までは至らないのか、一色は憮然としたまま黙り込む。やれやれ、という気持ちで俺は言葉を続けた。


「そもそも、告白の仕方からして駄目だろ、あれは」

「うっ……。いやだって、好き、だけだと恋愛感情じゃないって流されそうだし。あの言い方なら、ちゃんとそういう対象として見てるんだって伝わるかなって」


 一応、頭を捻った末の告白ではあったのか。浅はかではあるものの、相手に自分の意図が伝わるように言い回しを考えること自体はとても良いことだ。国語教師としての俺が、少しだけ一色を褒めている。愛の告白を考えろ、という問題に点数をつけるなら、かなり低くはなるだろうが。


「でも、オレ、ほんとに本気で先生のこと好きなんだよ。どうしたらいい?」


 軽い口調とは裏腹に思い詰めた顔で問うてくる一色に、自然と眉間にシワが寄る。困ったな、というのが本音だった。好奇心や軽い勘違いなどではなさそうな雰囲気に、どう対応するのが適切なのかを必死で考える。

 応えてやることはできない。絶対に、だ。

 けれど、このままただ正論だけで突っぱねたり、適当な誤魔化しで流したりするのは、一色をいたずらに傷つけるだけだろう。

 俺の教師としての立場を理解してもらい、同時に可愛い生徒を深く傷つけることなく穏便に俺以外へと視線を向けさせる方法……。

 思いついたのは、我ながら小狡く、けれどこれ以上はないと思う解決法だった。


「なら、俺宛に手紙を書いてみろ」

「手紙?」

「そう。今のお前の俺への気持ちを手紙に綴って、それを読ませてほしい」

「えぇ……?」


 案の定、一色は困惑している。それはそうだろう。

 今のこのご時世、手書きでラブレターを書こうなどと考える学生はいないはずだ。そもそも、手紙や封筒の書き方すら知らない者もいるだろう。国語教師としては由々しき事態だし悲しむ気持ちはあるものの、スマホさえあれば相手にすぐに伝えられる便利さを自分も享受しているのだから、なんとも複雑な心境だった。


「オレ、手紙なんか書いたことないよ。せめて、メールとかになんない?」

「便箋と封筒を用意して手紙を書く、その労力を惜しむほどの気持ちしかないってことだな?」

「っ、違うし! オレ、ほんとにごっちゃんのこと好きなんだって……っ」


 お前、普段は俺のことごっちゃんって呼んでんのか。

 後藤ごとう直行なおゆきが俺のフルネームなので、後藤という姓からの渾名なのだろう。気安い呼び方は親しみからきているのだろうが、教師としての威厳はないなぁ、と溜息を吐く。

 うー、と小さく唸っていた相手は、どこか途方に暮れたような顔で俺を見下ろしてきた。


「手紙、書いたらオレと付き合ってくれんの?」

「だから、それは無理だって。理由はさっき説明したとおりだ。……でも、ひとつの可能性を提示してやることはできる」


 どういうこと? と首を傾げながらも、一色は可能性があるなら、と渋々納得して教室を飛び出していった。今から、文具店に駆け込むらしい。


「まぁ、お前が期待するような可能性じゃないかもしれないけどな」


 少しだけ苦い気持ちになりながら、俺も教室をあとにした。



 翌日、一色は封筒を手に俺の前に現れた。

 手紙に書かれていたのは、一色による飾らない言葉たち。文章としての美しさがないかわりにとにかく勢いがあり、手紙を書き慣れていない者が懸命に想いを綴ったのだとわかる代物だった。溢れてくる感情を、四苦八苦しながらもそのまま文字にした……そんな彼の昨夜の様子が目に浮かび、微笑ましい気持ちになる。

 読み終えた俺は、便箋を再び封筒に戻す。そして、それを一色に返した。


「ありがとな、一色」

「……ダメってこと?」


 封筒を受け取りながら不安そうに瞳を揺らす相手に、俺は否定も肯定もせず曖昧に微笑む。

 初めて書いた手紙、しかもラブレターを目の前で本人に読まれるなんて相当恥ずかしかっただろうに、耐えて待ってくれていたことをまずはちゃんと労いたかった。


「手紙はなんにも駄目じゃない。俺のこといっぱい考えて、時間かけて書いてくれたんだろ? それについては本当に嬉しいよ。……本当に」


 本心からそう伝えると、一色は照れと喜びが混ざった、それでいて次に何を言われるのか緊張しているような、随分と複雑な表情でこちらをじっ、と見つめてきた。ほんとに、タッパがあるだけの素直で可愛い少年なんだよなぁ、と俺は内心で苦笑する。


「でも、やっぱり今の俺は、お前に可能性しか示してやれないんだよ」


 できることなら、生徒には笑っていてほしいのだけれど。今回は、できないことだから仕方がない。


「お前が二十歳になってもまだ俺を想ってくれてたら、その手紙を持って会いに来てくれ。その時、今と同じ気持ちで手紙を読み上げられれば、お前のことちゃんと考えてやる」

「は? ……いや、ええと、待って、なんで二十歳なの?」


 混乱している一色の聞きたいことを汲み取り、補足する言葉を付け足す。


「確かに、今の成人は十八歳だが、俺は酒が飲めない年齢のやつと恋愛する気はないんだよ」

「えええ……。今オレ十七だから、あと三年もあるじゃん」


 そう、俺が思いついたのは、ていの良い断り方ランキングで上位に食い込んでくるであろう方法。とにかく時間をおいて相手の心変わりを待とう作戦、である。

 子供特有の勘違いだろう、と決めつけて誤魔化すのは真剣な相手に失礼な態度だし、既に恋人がいるから、などと嘘をつくのは単純に俺が嫌だった。男同士だから、と断るのもかなりセンシティブな問題に足を突っ込むことになるし、これについてはバイである俺としても口にしたくない言い訳だ。

 だからこそ、ひとまず待て、を実行することにした。


「本当に本気だっていうなら、その気持ちを三年後の俺に届けにこいよ」


 一色にとってはかなりひどいことを提案している自覚はある。だが、俺としては最大限の譲歩だった。

 彼が自分の生徒である限り絶対に恋愛対象として見ることはできないし、改正された法では成人として認められることになったとしても、酒も飲めない二十歳未満の少年を大人として扱うことにはどうしても抵抗がある。

 俺が教師で、こいつよりも七歳も年上の大人だからこそ、この境界線は譲れなかった。なので、こちらとしては、境界線を越えた先で待つ、としか言えないのだ。

 俺の言葉を反芻しているのか、なにかを考える様子で沈黙していた一色は、少しして視線をこちらに戻してきた。予想していたよりも不満や動揺が見られないことに、驚きと同時に安堵を覚える。


「……ねぇ、ごっちゃん」

「後藤先生、な」

「後藤せんせー。要するに、オレが生徒で酒も飲めない未成年だから、恋愛対象にできないって話なんだよね?」

「ああ」


 うーん、うん……、と納得したような納得していないような微妙な頷きをしてから、彼は質問という名の願いを投げてきた。


「三年、待つってオレが決めたら、先生はその間、恋人作らずにいてくれる?」


 約束はできない。そう返そうとしたものの、さすがに一色に対して不平等すぎるか、と思い直す。どうせ仕事が忙しくて恋愛相手を探す暇も気力もないだろうし、まぁ大丈夫だろう。

 相手を待たせるなら、自分もちゃんと待ってやらないと。たとえそれが無駄になったとしても、俺としてはなにも問題がなかった。


「そうだな。約束する」

「……わかった。じゃあオレ、二十歳の誕生日まで待つよ」


 決意の表情でこちらの言い分を承諾した一色は、自分の誕生日を言い残してその場から去っていった。

 彼の背中を見送ったあと、どっ、と疲れが出た俺は近くにあった椅子によろよろと座り込む。内心、ずっとハラハラしていたのだ。うまくいって、本当に良かった。

 明日から、とにかく不自然にはならないように接する、という難題は残っている。まだあと二ヶ月は、彼の担任だ。それに、学年が上がってからも国語の授業は受け持つことになるかもしれない。新米枠である俺は受験生となる一色のクラス担任からは外れるだろうが、顔を合わせる頻度が低くなるだけで会わなくなるわけではないのだから。


「でもまぁ、これで大丈夫だろ」


 教師と生徒は、絶対に恋人同士にはなれない。これは、まっとうな大人であれば当たり前の感覚だ。己の感情に向き合うまでもなく、答えは拒否一択となる。けれど、その正論だけで恋心を制御しろというのは、十代の学生にはなかなかに酷なことだろう。

 だから、現時点で絶対に無理な理由が無理ではなくなる瞬間まで返答期限を延ばしたのだ。


「ずるい大人でごめんな、一色」


 これが教師である自分にできる最善の方法だったと信じているが、さすがに心は痛む。結局、誤魔化しているのと同じようなものだ。

 どうせ、三年も経ったら目が覚める。俺はそう思っているんだから。

 今は本気で俺のことを想ってくれていたとしても、高校を卒業して自分の世界が広がれば何かしらの心の変化は訪れるだろう。進学するにしろ就職するにしろ、俺より魅力的な人間に出会う機会は山ほどある。

 今は、家族以外の頼れる大人が教師しかいないから、強い感情の矛先がこちらに向いているだけだろう。さすがに彼の気持ちを、錯覚や勘違いだとは思わない。けれど、より魅力のある者に心はうつろうものだ。

 子供だから見縊っている、というわけではないが、大人だからこそわかることもある。

 それに、一番熱をあげているときに書き記した激情を、年を重ねてから同じ気持ちで読み上げることはかなり難しい。むしろ、苦痛を伴う行為だろう。三年も経たずに破り捨てられてしまうかもしれない。


「……あの手紙、ほんとに良かったなぁ」


 拙くて、青くて、愚直で、でもキラキラしていた。

 もう二度と読むことはできないかもしれない言葉たちを脳裏に思い浮かべる。いっそ、コピーでも取ればよかった。

 二十歳になった一色が、その頃には二十七歳のアラサーになっている俺のところにわざわざ会いにくることはないだろう。三年後、彼と再会する可能性は極めて低い。そう考えながらも、一応約束は約束だから、とスマホ内のカレンダーアプリを開いて一色の誕生日を書き加える。

 当日は酒でも飲みながら、そんなこともあったなぁ、とひとり懐かしむ心積もりで、俺は一色が卒業するまで一貫して教師として接し続けた。



 なのに、三年後の誕生日。一色は手紙を持って現れ、俺の前で堂々と内容を読み上げたのだ。


「”オレは後藤先生のことが大好きです! ダメなことをちゃんとわかりやすくしかってくれるところも、良いとこをめちゃくちゃほめてくれるところも、うれしいことは一緒になって喜んでくれるところも、オレがバカなことして落ち込んでた時にずっとそばにいてくれたところも、もう全部全部好きで、そんな先生のこと、オレがひとりじめしたくてもうムリだなって思ったから告白しました! 先生の笑うとかわいくなる顔を誰でもないオレが一番近くで見ていたいし、デートも他のいろんなことも、先生と一緒にしたいです! どうかオレの恋人になってください!!” ……どう?」


 届けられた変わらぬ熱量に圧倒され、俺は唇を震わすことしかできないでいた。嘘だろ、マジか。そんな言葉ばかりが脳裏を埋め尽くす。

 くらくらと目眩がするほどの激情をぶつけられてしまった。三年前、微笑ましく読んだ言葉たちに感情たっぷりの声がついたことで、相手の想いが一気に俺に襲いかかってくる。

 見縊っていないつもりだったが、俺は一色のことをめちゃくちゃ見縊っていたらしい。三年も経って、この内容を恥じらうことなく読めてしまうほどの重い感情だったなんて、本気で思っていなかった。

 心の奥までダイレクトに届いた一色の恋心が、鼓動の度に全身を満たしていく。


「ちゃんと会いに来て、手紙も読んだよ。オレ、まだ全然これと同じ気持ちでいるし、なんなら卒業してから全く会えてなかった分、もういろいろパンクしそうなんだけど」


 ほんの少しだけ大人びた顔をするようになった一色が、左の頬にそっと右手を添えてくる。今の俺は、それを拒むことができなかった。


「好きだよ、ごっちゃん。約束どおり、オレのこと考えて?」


 至近距離で花が開くように微笑む一色に、なにも返す言葉が見つからない。頬を包む温もりを感じながら、俺の脳は勝手に彼の担任だったときのことを思い浮かべていた。

 あの年、教師二年目にして初めてクラスを担当することになり内心ではかなりテンパっていた俺に、一色はいつも率先して協力を申し出てくれていた。周りのクラスメイトに軽くフォローを入れながら、俺には全身で懐いてくれていたことを覚えている。人気者の生徒が教師の言い分を受け入れ中心となって動いてくれると、クラス全体がかなりまとまりやすくなる。正直、何度有り難いと感謝したことか。

 それでも、担任だったときは本当にただただ可愛い弟分のような存在で、思いやりと笑顔が印象的ないち生徒でしかなかったのだ。告白されたときも、こんなに心が揺れることはなかった。

 それなのに、今、久しぶりに浴びた満面の笑みに、心臓が早鐘を打ち始める。

 自分の三年前の予想が全部外れ軽くパニックになっている俺を見て、一色は少しだけからかうように両目を細めてみせた。

 そうして、再び告げられた言葉が。


「先生、オレとイイコトする関係になってよ」

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