第16話 三島由紀夫

 本日は森はお休み。三島由紀夫デーでした。


 比較対象ができたことで、新たにハルキ文体に対する仮説ができました。


 そもそも、人の心はどうやって把握するのか。


 音楽や絵画もあるけれど、それらを日常的、四六時中とはいかないし、上手くやろうと思うと自分の心の把握には意識がいかない。


 つまり、やっぱり言語に頼ることが多いだろう。その際、ハルキ文体と三島文体を使うならどちらが使いやすいか。


 三島文体を立ち上げて自身の内心を表現できるなら、その人はもう作家だ。二択なら、現代人はハルキ文体を選だろう。


 さらにハルキ自身が「その文体をどう使えば、人間がどう見えて、どう把握できるか」の例を小説で教えてくれる。


 ハルキ文体が、読む人の”自分の心”の理解と把握を容易にする。その状態で”登場人物の心理”に触れさせるから、わかるし流行るのではないか。


 たとえるなら、ハルキ文体は自分の心を見るための顕微鏡。その顕微鏡は”一般の人”にとって安価で使い方が簡単だった。だから流行った。もちろん、顕微鏡自体は高性能。


 他の作家は自分用の複雑な顕微鏡を持ってるから、あえて他人のを使う必要がない。


 と、そんなことを考えながら川縁を歩いていました。

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読書感想文2『ノルウェイの森』 千織 @katokaikou

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