存在しない暴力団による被害について

ぴのこ

存在しない暴力団による被害について

「暴力団に脅迫を受けて困っている…というお話ですか?」


 私が話し出すと、霊能相談所の所長を務める男は困惑の表情を浮かべた。それはそうだろう。話の切り出し方が悪かった。暴力団被害であれば、霊能相談所ではなく警察に行くべきだと思うのは当然だ。


「いえ…違うんです。暴力団から被害を受けているというのは間違いありません。夜中にドアを叩かれたり、暴言が聞こえたり…けれど、おかしいんですよ。


「落ち着いて。落ち着いてください。貴方がなぜそう思ったのか、初めから順序立てて教えてください」


 所長は私を宥めるように言った。私はおかげでいくらかの冷静さを取り戻すと、事の発端に意識を戻した。


「数か月前から、私はある小説を書いていました。それはSNSで交流をしている方をモデルにした小説です。その方は藤堂とうどうさんと言うのですが、もし藤堂さんが暴力団の組長だったら、という話です」


「実際の藤堂さんは大阪に住んでいる会社員で、とても紳士的な方です。だからこそ、小説の中での藤堂さんを、実際の彼を反転させたような存在として描いたら面白くなるのではないかと思いました。そうして生まれたのが暴力団の藤堂組長です」


「藤堂組長は、関西全域を支配する指定暴力団“藤堂組”の組長です。その性格は、端的に言えば外道。悪逆非道の限りを尽くす、倫理観の欠片も無い極道として描きました」


「そんな小説を書いて本人に怒られなかったのかとお思いでしょうが、実際の藤堂さんは心の広い方でして、私の小説を面白いと言ってくださいました。それで私も調子に乗って、ここ数か月と何十本も、藤堂組長が悪事を働く小説を書き続けてきました」


 私はそこで一度言葉を止め、息を呑んだ。


「様子がおかしくなったのは、一週間ほど前からです。深夜に、私のアパートのドアを叩かれました。かなり強い叩かれ方でした。私は一体何事かと思い、音が収まるのを待ってからおそるおそるドアスコープから外を覗きましたが…誰もいませんでした」


「酔っぱらいか何かのイタズラだったのかもしれない。音が止んだのだから、誰もいないのは当然だ。そう考えて無理矢理に自分を納得させ、その夜は眠りにつきました。しかし次の日の夜も、ドアを叩く音が聞こえました。同時に…ガラの悪い男の声で、罵声のようなものが。内容はよく聞こえませんでしたが…」


「私は恐ろしくなり、睡眠薬を飲んで眠ることにしました。記憶にある限り、私が眠りに落ちる時までドアを叩く音は聞こえていたと思います。誰かの恨みを買ったのかもしれないと思い、目が覚めてもその日は仕事に行くことも恐ろしく感じました」


「ですがおかしいんです。朝、隣人のおばさんに出会ったのですが、昨日の夜は変な音が聞こえませんでしたかと聞いてみても…彼女は聞こえなかったと言いました。あれだけの音なら、隣の部屋にも響いたはずなのに」


 記憶を振り返って言葉にするたび、恐怖が蘇り、声が震えていくのが自分でもわかった。所長に差し出されたお茶を飲む手も、震えていた。


「仕事を終え、外食をして帰宅した時…午後8時くらいでした。電話がかかってきました。知らない番号からです。何かのセールスといった迷惑電話かもしれないと思いましたが、仕事の連絡だったら大変ですから、電話に出ました」


「恐ろしい声でした。借金を早く返せと、怒鳴り散らす声が電話口から響きました。当然、私に借金などありません。ですから、間違いではないですかと答えたんです。けれど電話相手の男は、確かに言いました」


「ぶち殺すぞ■■と…私の名前を」


 あの恐怖が鮮明に浮かび上がってきた。そのまま数分間、言葉を紡ぐことができなかったが、怯える私を所長が宥めてくれたことで、ようやく続きを話すことができた。


「それで…ですね。電話の男は言ったんです。藤堂組ナメとんじゃねえぞ」


「確かにそう言ったんです。だけど…さっきもお話しした通り、藤堂組というのは私の創作なんです!現実には無いんです!いくらインターネットで検索しても、やはり出なかった…そんな相手から電話がかかってくること自体、おかしいんです!」


「私は恐ろしくなり、荷物をまとめてアパートから逃げました。しばらくの間、ビジネスホテルで暮らすことにしました。その晩もまた例の、ドアを叩く音が聞こえるかもしれない。そう思うと、アパートで寝ることなんて到底できませんでした」


「けれど、駄目でした。ビジネスホテルに部屋を取っても…その晩も、ドアを叩く音がしました。私はもう何がなんだかわからなくて。この音は幻聴だ。仕事のストレスのせいだ。でも電話は実際にあったじゃないか。じゃあ何だと言うんだ。もう誰の仕業か確かめてやろうじゃないか。そんな風にパニックになって、半狂乱のまま、ドアを開けに行きました」


「誰も、いませんでした」


 私はもう、話しながら涙が止まらなくなっていた。蘇る恐怖と、この話をようやく誰かに打ち明けられた安堵とで、精神が滅茶苦茶になっていた。


「ドアを叩く音はそれからも毎日続いて…電話も3回ありました。でもね、所長さん。一番怖かったのは…あの…昨日ね、昨日の夜…」


「上野のアメ横の居酒屋で飲んで、ビジネスホテルに帰ろうと歩いていた時、誰かに突き飛ばされたんです。人混みで肩がぶつかったとかじゃない。明確に、突き飛ばされた。そういう転び方をしました」


「声が、したんです。聞き覚えのある声」


 オイ■■。オマエ覚悟せえよ。ブチ殺してやるで。


「それは藤堂さんの声でした。私は藤堂さんの姿は知りません。ですが声だけは、SNSで聞いたことがありました」


「立ち上がって周囲を見回しても、誰が、どこから発した声だったのかわかりませんでした。まさか藤堂さんが私に危害を加えるために東京に来たのではないか。ありえないとは思いつつ、私はSNSにログインして藤堂さんのアカウントを開きました」


「藤堂さん、大阪にいたんです。基本的にオフ会はしない人なんですけど、昨日は自費出版の本を作るための打ち合わせがあったらしくて。複数のフォロワーと会っていたので、確かです」


「所長さん…教えてください。私はいったい、何をしてしまったんですか?どうして、藤堂組に、藤堂組長に襲われているんですか?」



「…霊能者として、それが心霊現象であると仮定してお話しします。何をしてしまったのかと言うのなら、貴方がしたことは要するに、藤堂組長という存在の創造です」


「チベット密教に、タルパという秘儀があります。これはつまり、無から霊体を作り出す術です。創造するものの容姿、性格を詳細に設定し、それと対話し続ける。そうしているうちに、霊体が生まれてしまう。そう。貴方が書いた小説がそれです」


「貴方は小説を書く上で、藤堂組長の性格を細部まで設定したでしょう。こう話しかけられたら、藤堂組長はどう答えるか。それが容易に想像できるほど、藤堂組長という人物について考えてきたでしょう。その行為が、藤堂組長という存在しない人物に命を吹き込んでしまったのです」


「組長であるならば、組が無ければ組長たりえない。厄介なことに、創造した霊体が組長という設定であったために藤堂組の組員までもが生まれてしまったのでしょう。霊体はコントロールできなければ霊障を引き起こします。意図せずに生み出された霊体であることに加え、暴力団という凶暴な性格の設定…これらの要因が、最悪な状況を引き起こしてしまったのです」


「霊体を消す方法は、忘れることです。貴方が今までに書いた小説を全て消し、SNSのアカウントも消し、ひたすらに別のことを考える。藤堂組長という存在を、頭から追い出す。それしかありません」


 所長がぼそりと呟き、慌てて訂正した言葉を、私は聞き逃さなかった。


「もう、手遅れかもしれませんが」




 ビジネスホテルの部屋に戻るまでに、所長に言われたとおり今までの小説を全て削除し、アカウントも消した。

 私はひたすら酒を飲むと、イヤホンをつけて音楽を流した。目をつぶる。別のことを考える。藤堂組長という存在を忘れる。頭から追い出す。だが意識して他のことを考えようとしても、藤堂組長のことが頭の片隅に引っかかって離れなかった。所長に言われた言葉を思い出す。

 もう、手遅れかもしれませんが。


「手遅れやで」


 声が響いた。いや、幻聴だ。気のせいだ。


「オマエが書いたから、俺はここにいるんや。オマエが死なん限り、俺は消えんで」


 なにかが、肩に触れた。それは私のイヤホンを外すと、腕を肩に回してきた。


「俺が殺した連中も、結局はオマエを恨んでるで。どうして書いた。どうして殺したってな」


 違う。幻聴だ。だが所長が言っていた。霊体はコントロールできなければ霊障を引き起こす。これは。


「オマエの小説では、俺に狙われた奴はみーんな無惨に殺されるなあ。なあ■■クン。作者クン。オマエは書いてるだけやから知らんやろ」


 ちらりと目を開けた。筋肉質な肉体。私が思い描いていたそのままの、藤堂組長の肉体がそこにあった。


「拷問されて死ぬのってな、苦しいらしいで」


 冷徹な目が、私を覗き込んでいた。

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