粉ミルクメイカー
加藤那由多
粉ミルクメイカー
わたしが頑張らなきゃ娘が死ぬ。それが事実としてわたしの両肩にのしかかる。
可愛い娘の寝顔を見ながら、ひとときも油断できない苦しみを味わう。
始まりは一年前、見知らぬイケメンの口車に乗ったことだった。
それからはすべてが速かったように感じる。いつのまにか妊娠して、いつのまにか退学して、いつのまにかシングルマザーになっていた。
辛いこともあったけど、嬉しいこともあった。だけどやっぱり辛いことが多くて、何度も放棄したくなった。
それでもやめなかったのは、母が弱音を吐くわたしを叱ってくれたからだと思う。彼女は間違いなくいい母である。
そういえば、あの道具をわたしにくれたのも母だった。
その日、母は一つの箱を持ち帰った。駅前で男性が売っていたのを見つけて買ったらしい。
「なんか、発明家の見習いって人が売っててさ。話を聞いたら、まだ目立った発明ができてなくてお金も稼げないから、友達が欲しがったものを作って生計を立ててるんだって。これはそのあまりで、使えそうだったからあげるね」
箱には『粉ミルクメイカー』と簡素なフォントで書かれ、側面に使い方が書いてある。
要約すると、熱い粉ミルクを赤ちゃんの飲める温度にして保温してくれる道具らしい。
また変なものを……と思ったけど、もし使えるのなら便利だと思い半信半疑で使ってみることにした。
粉ミルクを作るのには手間と時間がかかる。わたしの他にもう一人家にいればいいが、誰もいなければ面倒が増える。
粉ミルクを作る間にその消費者が泣き出したなら、未完成の熱い粉ミルクのまま飲ませてやろうかと思う。
だからこそ、この道具は画期的だった。
粉ミルクを作って入れたら、わたしは娘の面倒を見れる。忘れた頃に取り出すと、ちょうどいい温度のものが手に入る。
ストレスも減ったし、娘も前より美味しそうに飲んでいてなんだか救われたような気分だった。
実際わたしの役には立ったが、これは世間の多くに役立つものではない。わたしのような少数のための発明品だ。だからだろうか、わたしはこれを作った人に少し興味が湧いたのだ。
幸い、箱の側面に彼の電話番号が書いてあったので、連絡はすぐについた。
一週間後、直接お礼を言うために母と彼が出会った駅でわたしも彼と会うことになった。
「初めまして。
「はい。初めまして」
「本日お子さんは?」
「母に預けています」
「あぁ、お母さん。『粉ミルクメイカー』を買っていただいた方ですよね」
「はい」
そんな短い会話を繰り返すうちに、目的の喫茶店まで着いていた。
適当に飲み物と軽食を頼み、テーブル席に向かい合わせで座った。
「今日はお礼が言いたくて……『粉ミルクメイカー』はすごい発明品です。あれのおかげで少し楽できるようになりました。ありがとうございます」
「いえ、こちらこそお買い上げいただきありがとうございます。お母さんから聞いているかもしれませんが、あれは僕の友達が欲しいと言ったものでして。多くの人の役には立ちませんが、あなたの役に立てたなら何よりです」
「あなたはきっと、立派な発明家になれると思います。少なくともわたしはあなたの粉ミルクメイカーに助けられました。これからもそうやって多くの人を助けてあげてください」
わたしがそう言うと、彼は首を横に振る。
「ですが、このアイディアは僕のじゃありません。友達が粉ミルクを適温にしてくれる機械がほしいって言ったから、作っただけです」
「でも、それを形にして実現させたのはあなたでしょ? 絵に描いた餅も机上の空論も価値はありません。わたしがあなたを評価しているところは、それらを道具として完成させる力です」
彼はしばらく悩んだ後、メモ帳に何かを書き込んだ。
「そうですね……ありがとうございます、元気出ました。評価されるのって気持ちいいですね。そうだ、よかったら連絡先教えてください。連絡してくれたら、その時は光莉さんのほしいものを作ります。もう友達ですから」
その笑顔に胸が痛む。昔にもあった『好き』の感情だ。一年前のわたしはこれを信じて苦しんだ。
「ありがとうございます」
ほしいものはある。簡単に思いつく。
「それなら、わたしを助けてくれるロボットを発明してほしいです。それが無理なら、あなたでもいい。いやむしろ、あなたに助けてもらいたい」
彼はわたしの意図に気づいたようで、そっと目を逸らす。
「僕にはまだ早いと思います。だから……それを作るのは、あなたを支えられるだけのお金を稼げる発明をしてからでいいですか?」
もちろんいいと頷いた。それはそう遠い未来の話ではないと、確信しているから。
粉ミルクメイカー 加藤那由多 @Tanakayuuto
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