母、ヨシコ

エッセイを書き始めるにあたり、とにもかくにも実母、ヨシコの事を書こうと思う。


というのも、私の母ヨシコは、28の時に私を産んで以来、少なくとも子の目にはノリで生きてきたようにしか見えなかった。ノリで生きてきたが故に、一般人では考えられない間違いをしたまま母親になってしまった。そしてそれらの間違いの数々が、私が成長するに従って小出し小出しにお披露目されてきた。つまり、意図せずエッセイの話題を提供してくれる数少ない人なのだ。そろそろ欲しいな、と思ったときに供給してくれる様は、さながら冷蔵庫の勝手に氷が作られるやつなのだ。


あれは私が中学生くらいの時だっただろうか。いつものように家族で夜の食卓を囲んでいたときのことだ。ふいにヨシコは「今日ハルマゲポンがさあ……」と喋りはじめた。僕はカレーライスを口に運びながら、何やらスパイシーな名詞が飛び出したな、と思った。けれど、思っただけで顔をあげて母を注視するわけでもなかったので、彼女はそのまま話を進めた。父も兄も妹も、特に母の話の腰を折るわけでもなく、カレーライスを咀嚼しながら耳を傾けた。


「きょう職場の人と、ハルマゲポンがとんできたら大変だねぇ、なんて話をしててね……」


大変なのはこちらだった。

ハルマゲポンなるものがとんできたら、一体どうしたらいいのだろうか。ハルマゲポンが何かも分かっていないのに、とんできた時の対処法など考えられるはずがない。両手で受け止めたらいいのか、それとも全速力で逃げたらいいのか。そもそもハルマゲポンの大きさ、とんでくるスピードも知らない。

私は咄嗟に字面からそのものが何かを考えた。まず似た言葉にハルマゲドンがある。これは新約聖書に出てくる世界の終わりを意味している。しかし、当時の我が家には、そのようなキリスト教の教えに通ずる知識といえばクリスマス以外は入ってこなかったので、誰一人として「ハルマゲドンの言い間違い?」などとは聞かなかった。『ポン』とつくあたり、少し可愛げがあるから、おそらく手のひらサイズなのではないだろうか。では『ハルマゲ』とはいったい何をさすのだろう。一瞬、春巻き的な何かを想像してすぐに消した。そんなわけがあるまい。さすがのヨシコでも春巻きの事をハルマゲポンなどといい間違えるわけがない。それはヨシコを見くびっている。しかし、ハルマゲポンとは、どこかで聞いたことのある言葉だった。

と、その時、頭にひとつの映像がフラッシュバックした。それはオレンジ色の服に身を包んだ男たちが、地球に迫ってくる隕石を爆破しようと奮闘する映画だった。母は名作映画『アルマゲドン』のことを言っているのではないだろうか。それならば飛んできたら大変という話題にも矛盾がない。正確にはアルマゲドンは映画のタイトルなので、飛んでくるのは隕石になるが。ちなみに、その頃のテレビでは、金曜、土曜、日曜と夜の9時から映画がやっていた。中学生の私でも何度か観る機会はあった。あれだけの大ヒットした映画なのだから、母にしても何度も目にしていたはずなのに、二文字変えただけで、あろうことかハルマゲポンなどと手のひらサイズに収めてしまうのだから、エアロスミスもびっくりだ。かくいう私も危うくブルース・ウィリスに春巻きの掘削をさせるところだったことは謝罪しなければならないだろう。

頭の中でそんな考察が繰り広げられたかどうかはさておき、ここはヨシコを泳がせずに伝えたほうが親切だろう。


「それ、アルマゲドンの間違いじゃないの?ほら映画の。」


しかし母は照れる様子ではなかった。


「アルマゲドンって何?」


ブルース・ウィリスは泣いたことだろう。決死の覚悟で隕石を爆破させておきながら、これである。


「いや、隕石爆破させるやつ。知らない?」


「あんまり観たことないかも。」


スティーヴン・タイラーは声を枯らして叫んだだろう。


母がアルマゲドンを観たことがあるかはこの際どうでもよい。進行形の問題はハルマゲポンがアルマゲドンではなかったということだ。

かなり自信があったので、その正体がますます分からなくなった。頭の中のブルース・ウィリスが、隕石とともに小さくなってポンと消えた。

相変わらず食卓の中央にはハルマゲポンが浮遊している。母の口から投げられたそれは、誰もキャッチすることができず、かといって母は、何故誰もこの話題に乗って来ないのだと不思議がってすらいた。


「ハルマゲポンって、何かの言い間違いだと思うんだけど。」


妹が呟いた。

そうなのだ。言い間違いなのだ。なのだが、ハルマゲドンでもアルマゲドンでも、ましてや春巻きでもないその謎の言葉によって話が止まってしまった。父は塩辛をアテに日本酒をちびちびと呑んでいる。一方、兄は我関せずというスタンスでテレビの方に顔を向けている。

彼はいつもそうだ。家族でありながら、時にまるで他人であるかのような素振りを見せる。その実、きっと恥ずかしがり屋で馴れ合うのが苦手なだけだと思う。それに当時は高校生という多感な時期だったことも重なり、基本的には最低限の返答しかしなかった。いま思うと仕方ないと言える。

そんな彼は、いっぱしの大人かの様にニュースを見ていた。何やら国際情勢だとかアジア諸国の治安部隊がどうのという事をやっていた。


「ほら、これ!」


母が半ば叫ぶように指をさしたのはその瞬間だった。不意を突かれた家族は自然とそのニュースを見た。


「今日未明、北朝鮮より発射された大陸間弾道ミサイル『テポドン』は日本の領海から外れ着水しました。」


テポドン、テポドン、ポン、ハルマゲポン。なるほど、とは思えなかった。納得するにはかなり無理がある。けれど、ヨシコがテレビ画面を指差して「これだ、これだ。」と言っている以上、もうハルマゲポンはテポドンなのだ。


「母さん、ハルマゲポンじゃないよ。テポドンだよ。」


妹が冷静に言った。私は感心した。妹よ、よくそんな冷静に言えたものだな。


「テドポン?デコ……、なんて?」


春巻きの次はデコポンでも登場させる気だろうか。ブルース・ウィリスはさっき春巻きを爆破させたからもういない。


それにしても、テポドンがとんできたら大変だねえ、なんて世界情勢に興味があるはずもないヨシコがよく職場で話せたなぁと思う。そりゃあ上っ面だけで会話しているのだからハルマゲポンなんて間違えるわけだ。きっと職場の同僚は必死に笑うのを堪えていたのだろう。母の頭の中では一体、何をキャッチしようとしていたのだろうか。


ちなみにその後、同じ食卓でクロマニヨン人のことをゲルマニヨン人と言っていた。

このように、絶妙に世界史の知識がなければ説明できない間違いを多々するので、大半のことは家族から指摘をされても説明をされずに終わる。そして繰り返すのだ。

けれど、今となってはそれでよかったのかもしれないとも思う。

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