【あとがき――という名の簡単な解説】



 はじめましての方ははじめまして、そうではない方はいつもお世話になっております。

 吹井賢です。


 ……という挨拶はお決まりのものですけど、依頼者さんははじめましてではないので、代わりに「いつもありがとうございます」という言葉を書いておきます。

 ご依頼いただき、ありがとうございました。

 改めまして、吹井賢です。


 こちらの『遍在と偏在』は、Skebの依頼を元に書かれた作品です。お題は「『犯罪社会学者・椥辻霖雨の憂鬱』の主人公・椥辻霖雨と『破滅の刑死者』に登場する鳥辺野弦一郎、二人がメインで登場する小説を書いてはいただけないでしょうか…?」でした。……出会っても、あまり物語っぽい話にはなりませんでしたね。ごめんなさい。

 世界観は同じなんですけど、『鳥辺野弦一郎』という存在と、椥辻霖雨の価値観が決定的に合わない為に、何処かちぐはぐな会話劇になっていると思います。鳥辺野は、明らかに怪しいし、その雰囲気を隠していないんですけど、椥辻霖雨は「人を見かけで判断しない」という良識を持っている為に、そのギャップに苦しんだ挙句に、「多分、俺はこの男が苦手なんだな」という落としどころを作っているのが面白いですね。実際はご存知の通り、鳥辺野が邪悪なだけです。

 二人共、『悪』がテーマ性のキャラクターではあるので、作中では『悪』についての話をしてもらいました。そうして、最期には失楽園の話になるのですが、蛇≒鳥辺野であって(勿論、椥辻霖雨はそんなことを思っていませんが)、これは、「『破滅の刑死者』二巻や四巻で鳥辺野に唆されて重罪を犯した人間が出てくるけれど、誰が悪かったと思う?」を比喩的に話している感じですね。そして、椥辻霖雨的には、「どちらも悪いが、唆された人間がより悪いだろう」「人間はきっと弱いから悪いことをするんだ」という回答を出しています。しかし、この「弱いから悪いことをする」という理屈は、悪の権化みたいな鳥辺野弦一郎にはそのまま、「お前は弱いから悪を為しているんだろう?」という、意図せぬカウンターになってしまった。だから、二人の話はそこで終わり。強いて付け加えるならば、他人を操る自分を強者だと思っていたのに、「弱い」と言われてしまった鳥辺野弦一郎もまた、椥辻霖雨に苦手意識を抱くようになってしまった。まあ、そんなお話でした。

 なお、タイトルにある「遍在」と「偏在」は、どちらも“ヘンザイ”と読むのですが、片方は「普遍的に存在する」という意味で、他方は「存在が偏っている」という意味なので、音は同じなのに意味は真逆で、面白くて、好きな言葉です。鳥辺野弦一郎が言ってた“ヘンザイ”ってどっちだったっけ……?と時折、悩んだりします。でも多分、どちらもなんですよね。悪は誰の中にも等しくあるけれど、鳥辺野弦一郎は特に邪悪だった。遍在しているし、でも同時に、偏在しているのです。


 この作品が、あなたの一時の楽しみになれば、それが作者にとって最高の喜びです。

 それでは、吹井賢でした。


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遍在と偏在 吹井賢(ふくいけん) @sohe-1010

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