追憶のアナスタシア
秋月未希
第1章
第1話 悲劇
その日は雨だった。雨粒がアスファルトの色を変えていく。最初のうちは斑模様だったが、次第に辺り一面が濃くなる。
そんな様子を、テオは宿の一室の窓から眺めていた。今日は夕方から夜にかけて激しい雨が降るらしく、外を出歩いている人はほとんどいない。
湿気のせいで、いつもはサラサラな焦げ茶の髪の毛も所々うねっている。おまけに寝不足で、目の下にはクマができている。
しかし、そんな見た目のことを気にしている余裕は、彼にはなかった。
「やっぱり、心配ですか?」
気付いたら、後ろにコゼットが立っていた。彼女はテオよりも三つ年下の魔女で、長く艶やかな姫カットの黒髪と、気だるそうな紫色の瞳が特徴的だ。
「だって、アナスタシアがどっか行ってから一週間も経つんだぜ。そりゃあ心配になるだろ」
「そうですよね」
コゼットはそう言いながら、テオと一緒に外を見た。
アナスタシアは、優秀な魔女であり、薬師でもあった。おまけに街を歩けば誰もが振り向く美人だ。豊富な薬草の知識や優れた治癒魔法を使い、各国を旅して多くの病める人々を救っていた。
テオはアナスタシアの助手をしつつ薬草について学び、コゼットは魔法を教わるために彼女に弟子入りしていた。
三人での旅の道中、アナスタシアはこの街に来て早々、一人でどこかへ行ってしまった。行先も告げず、忽然と姿を消してから一週間が経つ。彼女が帰ってくる気配は全くない。
「あいつ、どこへ何しに行くか俺たちに言わなかった。ったく、どういうことだよ。帰って来ないなら連絡くらい寄越せよ」
テオは苛立ちながら髪を掻きむしった。そしてその手を止め、ハッとする。
「俺たちって、そんなに信用されてないのか?」
「俺たちって……信用されてないのはテオだけですよ。一緒にしないでください」
彼女は淡々とした調子で続ける。
「テオに愛想つかして出ていっただけなんじゃないですか?」
テオは目を細めた。
コゼットはわざとらしく口元に手を当てる。
「すみません、図星をついてしまって」
「なわけないだろ! アナスタシアは俺のこと、多分……嫌いではないはずだから……」
「なんで途中で自信無くなるんですか?」
テオはほんの少しだけ顔を赤らめた。
「だって……分かんねぇじゃん。アナスタシアが俺のことどう思ってるかなんて。知りたいような知りたくないような」
テオはアナスタシアに命を救われてから、彼女に思いを寄せていた。薬草についてはさほど興味が無かったが、どうにか彼女と一緒に居られる口実はないかと探し、助手という肩書きを獲得して、彼女の旅について回っていた。
しかし、なかなか踏ん切りがつかず、彼女に出会ってからもう五年ほど経つというのに、告白は未だできていない。長いこと一緒に過ごすにつれて、彼女への思いは日に日に募っていったが、振られて離れ離れになるくらいなら、この思いは秘めたままでよかった。
そんな意気地のないテオを見て、コゼットは呆れたように首を振る。
「さっさと告白して、砕け散ればいいのに」
「なんで振られる前提なんだよ」
テオはコゼットの頭をコツンと叩いた。
「女の子に暴力振るうなんて、最低です」
「お前の方こそ、言葉の暴力で俺をボコボコにしてくるくせに」
しばらく睨み合った後、コゼットはため息をついた。
「喧嘩してても仕方ありませんね。やめておきましょう」
喧嘩ふっかけてきたのはどっちだよ、とテオは心の中で文句を言った。
雨はどんどん強くなってくる。アナスタシアはちゃんと傘は持っているだろうか。そんな余計な心配をする。
そして、重々しく口を開いた。
「……なあ、雨の中一週間行方知れずの片思いの相手を探しに行くのは、流石に重いか?」
「奇遇ですね。私もそろそろ探しに行こうと思っていたところです」
コゼットは流れるようにそう答えたあと、少し考えてから再び口を開く。
「片思いの相手っていう言い方が嫌ですね。一週間行方知れずの旅の仲間くらいにしておきましょう」
「分かった。じゃあ、そういう体で行こうか」
テオはくすんだグレーのロングコートを羽織り、コゼットは華奢な体には少しばかり大きすぎるローブに身を包む。二人は傘を持って宿を出た。遠くの方でゴロゴロと雷が鳴っている。
「どこにいると思うか?」
「この街に行きたいと言い出したのはアナスタシア先生です。だから、この街のどこかには必ずいると思います」
「だよな」
傘をさしていても、横殴りな強い雨のせいで、服はあっという間にびしょ濡れになった。聞き込みをしようにも、この雨の中好んで外を出歩く人はいない。そもそも、こんな日に探しに行こうとする方が間違っている。
だが、テオは胸騒ぎを覚えていた。今日は朝から、運が悪かった。朝食のパンを床に落とし、長年使っていたお気に入りのマグカップが割れ、階段でつまずき転げ落ちそうになった。全部彼の注意力が散漫しているのが原因だが、とにかく悪いことが起きるようで気が気でなかった。
歩きながら、コゼットは言った。
「アナスタシア先生は、私たちに内緒で一体何をしているのでしょうか? だってほら、前にも何度かあったでしょ? 夜中に一人でこっそり出かけては何事もなかったかのように戻ってきたり、私が先生が書いている手記を見ようとしたら血相変えて頑なに隠したり。これはやっぱり……」
テオはゴクリと唾を飲み込んだ。
「絶対男が絡んでますね」
「は?」
「冗談です」
コゼットは表情一つ変えずに続けた。
「とにかく、アナスタシア先生は私たちに言えない何か……極秘の研究のようなものをしていたんじゃないですかね?」
「極秘の研究……」
自分たちに言えないような極秘の研究とはなんだろう。身に危険が及ぶような、とんでもないものに手を出しているのではなかろうか。テオは考えを巡らせた。
その時だった。鉄のような嫌な臭いが鼻の奥を突いた。いつ嗅いでも不快に思うこの独特な臭い。この臭いをテオは知っている。
「コゼット、血の匂いがする……」
「それ、本当ですか?」
「ああ。俺の鼻はよく利くから、間違いない」
テオとコゼットは顔を見合わせた。二人とも、考えていることは同じだった。嫌な予感が当たっていないことを願うばかりだ。
「急ごう! こっちだ!」
テオは臭いを頼りに走り出す。臭いは路地の向こうからしている。二人は狭い路地を息を切らしながら走り抜けていく。ずぶ濡れになろうが、彼らにとっては関係なかった。
頼む、どうか杞憂であってくれ。心の底からそう思った。
血の臭いはどんどん強くなってくる。
路地を抜けると、開けた場所に出た。そこには、廃墟となった工場のような建物があった。薄暗く不気味だ。
臭いはこの廃工場の中からだ。テオは激しく脈を打つ心臓を抑えながら中に入っていく。コゼットは先端に紫色の水晶がついた、木でできた魔法の杖を取り出し、警戒しつつその後に続いた。
荒れ果てた廃工場の中央に、横たわる人の姿が見えた。二人は急いでかけよった。
「っ!」
彼らは足を止め、絶句した。
そこに横たわる人の正体は、もうすでに息絶えたアナスタシアであった。
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追憶のアナスタシア 秋月未希 @aki_kiki
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