魔女の生贄に選ばれた話(11)

 目覚めました。窓から見える景色は暗く、ぼんやりとした頭でまだ夜だということを認識しました。

 ノアはまだ寝ています。


「……すごいな」


 美しい寝相でした。まるで一本の線のように、手もピッタリと体に添えて、居心地の良さそうな寝息を立てています。

 私は音を立てないようにゆっくりと起き上がり、予め目をつけていた火明りを手に取りました。


「えっと……どうやってつけるんでしたっけ?」


 普段は明かりなんてものは、ボタンをポチりと押せば点くものです。ああ、電気が恋しい。


「魔女に迷惑をかけられているにも関わらず、魔女の作ったものが恋しくなるだなんて……これが火種ですね」


 とまあ小声ブツブツいいつつ準備完了。家の外に出ます。

 足元だけを照らすおぼつかない火。けれどいまはこれに頼るほかありません。


「と言っても、どうしましょうか」


 さっきまで見ていた夢のことは鮮明に覚えています。というより、夢という感覚があまりにもなくもはや現実に近いものでした。おかげで眠った気がしません。

 大きな欠伸をして、考えます。

 ヒントは魔女の言っていた一言だけ。


『彼女は昼と夜を切り替えている。そこにいけば会えるさ』


 とのことです。全然わかりません。もっと具体的に言え。

 ハイハイそうですよーだ。私が喚き散らして時間を無駄にしたせいですよーだ。


「夜はどこから来るのか……お日様はどこから登るのか……」


 まるで子供の頃の疑問みたいです。この疑問が生まれた時、私はただ空をじーっと眺めていたことを思い出しました。

 あまり活動的ではなかったので、ただその様子を見ていました。そしてすぐに首が痛くなってやめました。

 それから15年以上の月日が流れて、いま私は夜を追いかけているのです。

 いえ、いまは夜ですから朝を追いかけている。朝がどこから来るかを探さなければいけません。


「わかるかい」


 と、毒づいて立ち止まっていたところでなににもなりません。とりあえず歩くことにします。

 と言ってもいつ朝になるかわかりませんし、あたりはつけなくてはいけません。

 たとえば……まだ一度も立ち寄ってないところ。

 そんなに広くはない街ですし、一通りは見回ったはず。なにかを見逃していないかと言われたら自信はありませんが、考え始めるとキリがありません。

 天気を変える場所。魔女のいる場所。私がまだ行ったことのないような場所……。


「あ、街の外」


 いま初めてその考えにたどり着いたのが不思議です。これも魔女の影響、というやつなのでしょうか。

 整備された街道、それをぐるりと囲むように家々が建っています。それはまるで壁のよう。

 ……考えすぎでしょうか。しかし、他に可能性らしきものもないのです。

 たとえ外側に、あの魔の森のような死に直結するなにかがうじゃうじゃいたとしても――いや、さすがにそれは困りますけど。

 しかしもしそうなら、ノアはともかくトペがきっと忠告してくれている、はず。

 万全を期す時間は恐らく私にはありません。

 意を決して、家々の隙間を見つけて裏手に回り、そのまま街から背を向けて歩き始めます。

 街から離れるとさすがに地面は歩きにくくなりましたが、それだけで他に大きな異変はありませんでした。

 歩きながら、私は考えます。魔女……夢の中で喋った偉そうな人の言ったことを。

 寂しいから。

 この街を作った魔女は寂しいから、寂しい人を集めて街を作っている。

 全員が繋がっていて悲しいことなんてない人の輪の街を。

 それが本当にそうなのかは今は確かめようがありませんが、私は一つ思い出したことがあります。

 トペ、トペ・マークシア。

 私は彼女のことをほとんど知りません。ただ同級生だっただけ。深く喋ったことなど一度もない。

 それこそ顔を見てしばらく喋ってようやく思い出したほどです。

 そんな私がこんなことを言うのもおかしいでしょうが、私は彼女が特定の誰かと一緒にいたところを見たことがありません。彼女が街からいなくなった時も……いえ、つまりはそういうことなのでしょう。

 街では定期的に魔女から手紙が届いて、人が消えていく。

 昔から続いている街の現象のはずなのに、そこまでの騒ぎになることはない。

 魔女の仕業なら仕方がない。魔女の力が影響している。そういったことが理由ではあるのでしょう。ただもう一つ、大きな理由があるとしたらそれは……いなくなっても困ったり悲しんだりする人が少ないから。

 魔女は寂しい人を街に呼び寄せている。たとえばノアは両親を失ってこの街にたどり着いたと言っていました。

 あの街にいた人は、程度の差はあれどそういう孤独な人達ばかりなのでしょう。

 ……でも私は? 私は確かに友達なんて1人もいません。いなくなったところで悲しむのは両親ぐらい。けれど両親は悲しみます。私は父も母も愛していますし、私も2人から愛されています。

 私は孤独な人間ではないはずです。私の世界は家族3人、そこになんの不満もなかったはずなのです。

 けれど私はこの街に呼ばれた。気味が悪いと思っていたこの街に次第に居心地の良さを感じてしまっている。

 つまり私は――……


「……あ、ここが」


 そうこうしているうちに、私はたどり着いたようです。この世界の端と呼べる場所に、そう時間はかからず。

 なぜそれがわかったかって? だってもう目の前が、超断崖絶壁なんですもの。

 なんて言えばいいんでしょうね、これ。ほんとうにここで世界が終わっているような、雑に切り取られているような。

 空は蓋がされたように真っ黒で、世界の端の向こうは眩しいぐらいに白い。

 横にズラーっと広がる切り取らたような崖の下には、ピカピカの白。それがどんどん迫って……くる?


「わ、わぁーーー?!」


 世界の端に沈んでいたものが勢いよく私に襲いかかってきました。当然、逃げられるものではありません。無意味に手を掲げて頭を守ります。そのまま手に持っていた火灯が地面に落ちて消えてしまいました。

 そしてしばらく固まったまま、自分の意識と体が無事であることを確認すると同時に景色の変化に気がつきます。


「朝だ……」


 朝でした。まごうことなき朝。空は真っ黒なのに周りの景色は陽の光に照らされ、心地の良い温かさが体を包んでいます。

 つまり時間が来て一瞬で夜から朝へ切り替わったということです。


「ということは……」


 私は身を乗り出して崖を覗き込みました。そして予想通り、さっきまで白が広がっていた崖下には淡く濃い青……つまりは夜が広がっていました。


「早まっちゃだめよぉ!!」

「うわっ、うわわ、うわぁ?!?!」


 突然、何者かに後ろから羽交い締めにされました。そしてそのままズルズルと後ろに引っ張られます。


「ち、力強っ?! なに?! 誰?! だ、誰かー!」

「レリィダメよ! そこに落ちたら死んじゃう……ことはないけどすごく怖いのよ! 私は落ちたことないからわからないけど、でも多分きっとすごく怖いのよ! 不安なのはわかるけど早まっちゃだめぇーー!」

「ちょ、離して……い、痛い! 足が、足が地面と擦れて……!」


 私をいきなり襲ってきたのはトペでした。酷く動揺してらっしゃいます。おまけにとんでもない勘違いもされてらっしゃいます。

 そもそも、なぜここに?


「あ、わっ、力強かったわ、ごめんなさい!」

「うべぇ?!」


 急に離されて、そのまま勢いよく背中から地面に倒れ込みました。痛ってぇ……。


「あ、ごめんなさい! あのね、あのね……夜にふと家の外を見たら動く明かりが見えて、こんな時間に誰だろうと思って確認したらレリィで……それで声をかけようと外に出たらあなたずんずん街の外へ言っちゃうじゃない? そっちは危ないわよって声をかけても聞こえてないみたいで……そしたら朝になってその途端すごく崖から身を乗り出して……」


 とてつもなくパニックになっている様子のトペ。うん、これは私が悪いです。迂闊でした……けれど私は言い訳も謝罪もできませんでした。

 驚いていたのです。目の前の光景に。トペの表情に。


「あなた……顔が笑ってない……」

「あ、当たり前でしょう?! 友達が大変かもしれない時に笑うわけ……あら、やだ私ったら。ほんとだわ、笑顔じゃない。この街にいるんだから笑顔以外になる必要なんてないのに……。でも私すごく心配して……レリィはなんで笑ってるの?」

「え?」


 指摘されて、自分が笑顔になってることに気がつきました。なんででしょう。

 なんだかあまりにも必死なトペを見て、少し嬉しくなってしまいました。


「いやあその、心配かけてごめんなさい」

「もう、ほんとよ。ふふ」

「あはは」

「あははじゃないでしょ」

「ご、ごめんなさい」


 そして私たちは、友人のように笑い合いました。友人のように……いいえ、友人です。私はきっと生まれて初めて友人が出来たのです。この急に引きずり込まれたこの街で、2人も。


「あの、違うんですトペ。私は自暴自棄になったわけではなくて、手がかりを見つけにきたんです。魔女に会って、この街から出るための」

「……そう、やっぱりレリィはこの街には残らないのね」

「はい、帰ります」

「そう――。手がかりはあったのかしら」

「はい」


 私はトペに魔女との夢での会話とここにたどり着いて見たものを話しました。

 魔女のいる場所は恐らくこの崖の下……なんですけど。


「どうやって行けと? どこかに降りられる場所とかは」

「ないわね……。えっと飛び降りる、とか」

「正気ですか?!」

「で、でもママロアさんは落ちたことがあるけど普通に帰って来てたわ」


 そういえば、さっき私を羽交い締めにしながら落ちても死なないとは言ってた気がします。

 でもこれは……


「……」


 はるか下に広がる闇の色。さすがに無理です。それにあともしこれで魔女がいなかったら骨折り損もいいところです。


「そうだわレリィ。端にあなたが立って私が思いっきり背中をえいって押すとかどうかしら」

「どうかしら、じゃないですよ。そういうのなら一緒に着いてきてくれるとかはないんですか……」

「えっと…怖くて……」


 出来たてホヤホヤの友情は脆いです。

 とは言ってもこのまま無駄な時間を過ごすわけにもいきません。なにかこう、穏便に行く方法はないものかともう一度身を乗り出して崖下を覗き込みました。


「あっ」


 崖下からは見覚えのあるものが迫って来ていました。忘れるはずありません。3日前私をこの街に引きずりこんだあの手です。

 まさか向こうからお迎えが来るとは……。掴まれました。顔を。

 角度的に今この状況は後ろで見守っているトペには見えていないことでしょう。

 怯える間も、覚悟を決めるまもなく、私の体を掴む腕の数は増えていきます。

 そしてそのまま私は力任せに引っ張られ、奈落へと急降下していくのでした。


「い、いやあああああああああ!!」


 果たしてこのありったけの悲鳴は、トペの耳には届いたのでしょうか。

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森の奥の魔女さん、いま私が来ましたよ 林きつね @kitanaimtona

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