魔女の生贄に選ばれた話(10)

 家の中の作りは、昨日泊まったトペの家とまるで一緒でした。

 違いを強いてあげるのなら、彼女の家より整理整頓がされているぐらい。いえ、決してトペの家が汚かったというわけではないのですがなんというか、ノアの家はとても整理整頓されています。

 物がキチッとしているというか、角に合わさってるといいますか。

 彼女の言動からは想像できない几帳面さです。

 これなら私も快適に眠れそうです。床ですけど。


「レリィ、お腹はすいてる?」

「すいてません」

「わたしはすいた」

「そうでしょうとも」


 慣れたやり取りをこなしたところで、部屋をぐるりと見回します。

 ありました、トペも持っていた火灯りです。これが確認できれば大丈夫。

 さあ、寝床を整えましょう。


「ノア、一応布だかなんだかを貸して貰えるとありがたいのですが」

「?」

「いえ、キョトンではなくて。寝ないといけないでしょう、私もあなたも」

「ここ」

「はい?」

「ここで寝れる」


 ぺちペちと叩かれる一つしかない木組みのベッド。ノアはそこに腰かけてじっと私を見ています。

 彼女は私にそこで眠れとおっしゃっているようです。


「……あなたが床で眠るんですか?」

「きちく?」

「冗談ですよ」


 笑顔で鬼畜生と言われるのはなかなか来るものがあります。

 確かに、ノアの体の小ささならまあ頑張って二人眠れないことはないですが。いやでもやはり狭い。


「……この街に来た時、わたしもやってもやったから。不安がやわらぐよ。レリィ、不安みたいだからここで寝よう」

「なるほど、ちゃんと理屈があったのですね」


 ほんと、いい人です。トペもノアも。

 きっと他の人もみんなこれぐらいいい人なんでしょうね。

 今まで人付き合いのまるでなかった私が、たった2日で2人の家に泊まるだなんて。

 いっそこのまま――……


「……ってそんなわけ、ないですよね?」


 今また私は何を考えようとしたのでしょう。


「そんなわけない……」


 もう一度口に出して、頭の中の雑念をとっぱらいます。これは危うい。非常に危ういと思いました。1度深みにハマってしまうと出てこられないような。

 自分の胸に手を当てて、胸の鼓動が早くなっていることを確認します。


「どしたの?」


 純粋な目が私にそう答えました。きっとそんなわけはないのでしょうけど、私はこう返すしかありませんでした。


「……なんでもないですよ。寝ましょうか」


 ベッドに体を預けます。私の後に、小さな体が同じ場所に入ってきました。その体は折れた膝を手で抱え込み、小さな体をさらに小さく丸めていました。


「えっと……やっぱり私床で眠った方が……」

「え、どうして?」

「いやだってあなたそんな狭そうに」

「? わたしはいつもこう」

「さいですか」


 それなら、まあ、いいでしょう。

 それから私はノアが眠るのを待ちました。お互いなにを喋ることもなく、ただ黙って同じベッドの上で。

 しばらくすると胸からお腹にかけて温かみを感じました。ノアがころころと転がって私に引っ付いて来たようです。

 そんなに嫌ではなかったので、そのままにして起きます。


「いい匂い。すごく落ち着く。明日もここでねるといい」


 むにゃむにゃとした声で言われました。悪い気はしません。

 そしてやはり、私も疲れが溜まっていたのでしょう。直ぐに抗い難い眠気がやって来ました。

 眠るわけにはいきません。なぜなら私は今日、ノアが眠ったのを見計らって外に出るつもりだからです。

 昼に成果が得られなかったのなら夜。

 幼い頃、早く寝ないとお化けが出るぞとよく脅されたものです。それと一緒にするのもどうかと思うのですが、現実離れしているという点においてはお化けと魔女にそう違いはないでしょう。

 やれることはやるつもりです。成果があれば吉。なければ……まあ、また明日。

 やっぱり少し……いえ、結構不安で、気分を落ち着けるためにノアの髪を撫でました。


「おわあ〜」


 彼女はまだ眠っていませんでした。その小さな頭を撫でる手に、だんだん力が入らなくなっていきます。

 ああ、これはもうダメですね。眠いです。ちょっとだけ……ほんのちょっとだけ……。


「レリィは……寂しくないの?」


 突如投げかけられたその質問に答える前に、私は夢の中へと誘われていくのでした。


 気がついたら私はどこに座っていました。

 簡素なテーブルの上には派手な色の布のが敷かれており、なんだか趣味が悪いなと思いました。

 椅子も固い。

 にしてもこの感じ、どこかで見たことあるような……。


『あまり人の家でキョロキョロするんじゃない。まるで教養のなさが滲み出ているようだ』


 気がつけば私の対面に見覚えのある人影が座っていました。その出で立ちを見るのは3度目。どこをどう見ても魔女の方です。


「これは……夢?」


 景色も聞こえてくる声もなんだかふわふわしていて現実感がありません。これは昨日の夢の続き。また口の悪い魔女としばらく過ごすのでしょうか。けれど昨日と違うことは、その空間には私と魔女の2人がしっかり存在しており、まるで客人として招かれているかのようです。


『なに? お茶でも出して貰えると思ってる? 嫌よ。どうせ夢なんだし飲む必要はないからね。まあ、あたしは飲むけど。あたしにとっては夢も現実もそう変わりないの。あなた達にとっての超常と技術の違いが魔女にはないように』


 と、なにも聞いていないのに饒舌に喋りはじめました。

 私はさりとて喋ることもないので黙ったまま。まあ、言いたい文句は色々ありますが。思わせぶりなことだけ言われて具体的なことはなにも言われてないことであったりとか、知っているくせになにも教えてくれないことだとか。

 けれどそれを言うとさらなる嫌味を返されそうなので言いません。

 ああ、なぜでしょう。ほとんど関わりのない相手なのに少し彼女という人物を理解してしまっている私がいます。


「あの……、眠ってしまった私が言うのもなんですが目覚めたいんですけど……。夜に出かけるつもりだったので」

『知らないよ。眠ったお前が悪いじゃないか』


 嫌な奴です。

 昨日から続くこの夢ですが、これを明確に悪夢としましょう。

 魔女は私の対面に座り、カップに入れたスープだか茶だかをゆっくり飲んでいます。

 私のことをろくに見ないまま、魔女はまた喋り始めます。まるで飲み物がメインで私がついでのように。


『聞くまでもないけど、魔女探しは上手くいってないみたいだね』

「聞くまでもないことを言わないでください」

『まあそう言うなよ。あれだけ関わりたくないとは言ったけれどね、1日経って少し感傷に浸ってしまった。要するに、古い知り合いに文句の1つを言いたくなったのさ』

「あの街の魔女ですか?」

『聞くまでもないことを聞くなよ』


 ああ私、生まれて初めて嫌いになる相手が出来そうです。

 魔女はその不遜な態度を一切崩さないまま、指先で私を指して聞いてきました。


『そういえばなんだけど、お前街ではなにも口にしてないのか?』

「え? あ、そうですね。食べ物はなにも」

『うん、偶然だろうが懸命だよ。その世界の物を口にすると急速に馴染んでしまう。まあつまり食べれば食べるほど戻りにくくなるってことさ。常識だよ』


 知らない常識でした。


『まあ、よく知らないけど』


 ……なんなんですか、この人。

 ふんぞり返る魔女は、笑顔の欠片もありません。なんなら笑顔というものの存在を知らないのではないかと感じさせるほどでした。


『ようする に、場に馴染むのがよくないということだよ。食べ物でも、家でも、人でも、そこに親近感を覚えてしまうとそこから人は離れられなくなる。お前はどうだい? なにも食べてないとしてもあの魔女の街で住処は見つけたかい? 友人はできたかい? どれくらいあの街に留まりたいと思うようになった?』


 魔女の目が、初めて私をとらえました。吸い込まれそうなほど真っ黒なその目には確かな異質を感じました。

 なにを考えているのか、なにが目的なのかまるでわからない。

 魔女とはなんなのでしょう。あの街で眠っていたはずの私はなぜこんなところにいるのでしょう。


「わ、私を見透かさないでください」


 思わず漏れたその懇願に、自分でも驚きました。

 魔女の瞳に写った私の姿がたまらなく恐ろしい。なぜこんなにもこの少女は弱々しく見えるのでしょう。


『まあそう怖がるなよ。お前が知りたがったあの街のことを教えてやると言っているんだ。嬉しそうにすればいい。それとも、もう帰りたいという感情は消えているのかな?』

「そんなことはないです! それは、それだけは絶対に」


 声が震えていました。

 そもそもあの街に留まりたいという感情が表れはじめていたとしても、それは私のものではないはずです。

 あの街を支配する魔女の力がそうさせている。そうでなければおかしい。

 帰りたいという気持ちを思い起こすことも無く、歳を取らず、なんの疑問も抱かず常に笑顔で溢れている不気味で優しい街。

 輪の街をとりまくすべては魔女の力によるもので、私は次第にそれに取り込まれはじめている。

 そう頭ではわかっているのです。だからこそ、自分の中で次第に大きくなるものが恐ろしいのです。

 あの街でずっといられたら――という感情が。


『別にあたしはお前を脅かしてるわけじゃない。最初から言ってる通り、お前がどうなろうが私には一切興味もない。けれど、けれどだ、なんの偶然かお前はあたしの前に現れて、夢にまで出てきて妙なことを思い出させてくれた。だからこれは気まぐれ。お遣いを頼まれてくれるならついでにできる範囲で手助けしてやろうっていうんだ。つまりだ、お前がもう元に戻りたくないのならこの話はおしまいなんだよ。それだけの単純な話さ』

「戻りたい……戻りたいです……」

『泣きそうになるなよ、人の夢で』


 私はこんなにも精神的に脆い人間だったでしょうか。でも怖いじゃないですか。急に巻き込まれて、たった数日で自分の感情が変わっていくだなんて。挙句の果てにそれを真正面から突きつけられて。

 これで泣かないなら人ではないと、私は思います。


「……私、わからないんです」


 気がつけばそうこぼしていました。トペの目の前で泣いたときのように。

 この女はそんな私を見てきっと追い討ちをかけてくるだろうと思いましたが、でも止まりません。

 流れた涙が手にあたる感触がしました。

 一瞬、これは本当に夢なのかどうか疑いましたが、これ以上わけのわからないことを増やしくたくないと頭の隅に押し込みました。

 そして押し込んだ分、すでにパンパンだったものがこぼれ出てきてしまうのは当然です。


「私……考えましたよ! ここはなんなのかとか、どうやったら帰れるんだろうとか……でもわかるわけないじゃないですか! 何回も同じこと言わせないでくださいよ! そんな状況なんですから、変でも気味が悪くても人に優しくされたらそりゃ心だって揺れますよ当たり前でしょう! なんならあんなに他人と喋ったのだって初めてですよ! 仲良くなれそうになるのも初めてですよ! 唯一なにか知ってそうなあなたはずっとなにも教えてくれないし!」

『……だから教えるって言ってるじゃないか』

「最後だけ拾わないでくださいもっと色々言ったでしょう! なんなんですか性格悪いですね! そもそも魔女が多いんですよ! おとぎ話の存在みたいなのが急に2人も私に関わってくるなんてややこしいんですよ! あなた誰ですか名前ぐらい言ったらどうですか!」

『お前だって名前言ってないだろう』

「レリィ・カルナベルですよ!」

『……はぁ』


 というわけで散々喚き散らしました。途中から一切の相槌をやめた魔女は、立ち上がって飲み物のおかわりなどを入れていましたが、それでも私はかまわず叫び続けました。

 同じことを2度、3度繰り返し続けてたと思います。

 さてどれくらい時間が経ったのか、そもそも夢だから時間が経っているのか。

 ようやく落ち着きました。叫んでいる途中に盛大に咳き込んで。

 私が床に倒れ込んで苦しんでる間、魔女は酷く冷たい顔で私のことを見下ろしていました。

 さすがに私が悪いとは思いますが、腹が立ちます。

 肩で息をしながら、私は椅子に座りなおしました。


『……全然聞いてなかったんだけど、とりあえず一ついいか?』

「知ってますけど、なんですか?」

『せっかく色々丁寧に教えてやろうと思ったのに、お前が、喋りすぎたせいであまり時間がない。なあ、教えて欲しいんだが、これはあたしが悪いのか?』


 なんて底意地の悪い性格なのでしょう。これだけ醜態を晒した私をさらに正論で責め立てるだなんて。

 唇を噛んだまま、なにも言い返せません。

 今どれくらいでしょう。もう朝なんでしょうか。私の夜に街を散策する予定が……。


『……なにか言ったらどうだ?』

「私が悪いので是非時間の許すかぎり色々教えてください」

『お前は、人を睨みながら物を頼むのか』

「人じゃなくて魔女じゃないですか」


 あ、やば。口が滑った。

 沈黙の後、魔女は不機嫌そうに私に語りはじめました。


『……魔女も人さ。人の癖に分不相応な力を持つから歪むんだ。お前の言う街を作ったのもそんな歪んだ1人でね。自分の作った街から世界を眺めては、選んだ人間に招待状を送る』

「あの手紙……」

『お前は生贄だとか言ってたっけ? 招待状だよ。それも身勝手な。あれを読んだ人間を無意識に森に誘い込んだ。アイツが好き放題弄り倒した森にね』


 私がさまよったあの人喰らいの森。わかってはいたことですが、私は自分の意志ではなく魔女の力によってあの森に向かわされたのです。


『で、まああの森は普通に入ったら死んで終わりだが、アイツに影響されてる、アイツの選んだ人間だけは街にたどり着ける。これはどうでもいいが、お前はたまたま、あの森でなににも襲われることなくさまよい続けて私の家にたどり着いた訳だが……結局は落ちたわけだ』

「む、無理矢理引きずり込まれまして……」

『はん、なんだそれ。せっかくあたしが……まあいい。あとはなにを言えばいいんだっけな。あの魔女が街に人を集める理由だけれど』


 急に確信に迫るような内容です。


『ただ寂しいからだ。アイツは自分が寂しいから、同じような寂しい人間に目をつけてあの街に無理矢理誘ってずっとそこに住まわせてるのさ。気色が悪いだろう』

「……寂しいから。――私は」


 顔を上げると、さっきまで対面に座っていた魔女が酷く遠くにいました。それどころか机と、私がさっきまで座っていた椅子も遠くへ。

 それがどんどん離れていきます。

 そんな中で、声だけが鮮明に聞こえました。


『思ったより早起きできたようじゃない。じゃあ続きは別の魔女に聞いてくれ』

「は、ちょ、まだ全然途中じゃないですか?!」

『だからそれはお前が無駄にうるさかったせいじゃないか。じゃあ森をもう少し静かにしろとだけ伝えておいてくれ。ああでも人が私のところまで入り込めない程度には残しておいてくれていいってね』


 その要件を最後に、魔女の姿は米粒のようになって消えていきます。目覚めの感覚なのか、私自身も曖昧になって、体を動かすことも喋ることもできなくなってしまいます。

 視界が消えて意識が溶けそうな最後の時、また声が聞こえました。


『忘れていた。きっとあの魔女は昼と夜を切り替えてる。だから、そこにいけば会えるさ』

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森の奥の魔女さん、いま私が来ましたよ 林きつね @kitanaimtona

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