聴こえないメロディー

シロイユキ

聴こえないメロディー

 今日は所属する大学の吹奏楽サークルの卒業演奏会。

 私はこの場をもって、この気持ちに終止符を打つために参加をしています。


 そう決めたのは1週間前。

 演奏会が近づいてきてピリピリとした空気が流れる中、個人練習をしようと空き教室に行った時のことでした。

 教室には先客がいて、その先客は私が大学の3年間、想いを寄せ続けた先輩だったのです。

 一気に早くなる鼓動と顔が火照っていくのを感じながらも、恋にうつつを抜かさずに集中しないといけない時期なので、深呼吸をし気持ちを落ち着けて教室に足を踏み入れました。


「こんにちは、先輩。ご一緒しても良いですか?」


「もちろん、どうぞ」


 その一言を聞いただけで身体中に電流が走ったような、空をも飛べそうなくらいフワフワとした、そんな幸せな感覚に満ちていく。

 特別仲良い訳でもなく私が一方的に想いを寄せているだけなので、たった一言話せるだけでその日の日記を埋め尽くせるほどの喜びを感じていました。


 その後は言葉以外を交わすこともなく、2つの音だけが教室に響き渡りました。

 ああ、このまま先輩と一緒にいられる時間が、2人きりの空間が、永遠に続けば良いのに。

 

 1時間ほど経った頃、教室のドアが開いて私の幸せな時間も、気持ちも全て終わりを迎えることになりました。


「先輩!帰るので送ってってくださいよー!」


 入ってきたのは同期の友人。先輩とは仲も良くて、一緒に話しているのをよく目にしている子でした。


「もうそんな時間?片付けるからちょっと待って」


「はーい!あ、花香もいたんだ。ちゃんと練習しててえらいね!」


「先輩方の最後の演奏会だからね。良い演奏がしたくて」


「さすがだけど、根詰めすぎちゃダメだよ。明日も合奏あるし」

 

「ありがとう。もう少しだけやったら帰るね」


「そうしな。じゃ、お先に」


 そう言いながら友人は教室を後にします。先輩に腕を絡ませながら。

 

 仲が良いとは言っても友達のような距離感で、お互いに恋愛対象としてはないと話しているのを何度も聞いていました。

 この3年間ずっとその様子だったし、それが変わるとは誰も思っていなかったことでしょう。

 でも、さっきの距離感と表情は確実に、そうとしか考えられないものでした。


 彼女が先輩にかける声のトーンも、それに返事をする時の先輩の声も。

 私が知らない、2人だけの世界にあるものにしか感じられなかったのです。


 一体いつから?何をきっかけに?

 みんな、このことを知っていたのですか?


 色々な想いが錯綜して何も集中できないでいると、あっという間に1週間が経ち演奏会の日になっていたのです。


 前日、身体中の水分を出し切ってしまうほど思いきり泣き、気持ちを諦める覚悟と共に会場に足を運びました。


 切り替えられたはずなのに、先輩の音色が、声が聞こえるたびに胸が苦しくなり、枯らしたはずの涙が溢れそうになります。

 リハーサルが進むにつれて複雑な気持ちが舞い戻って来ていまいち舞台に集中できないまま本番を迎え、この日一番楽しみにしていた私が降り番で先輩の長いソロがある曲の順番が回ってきてしまいました。


 この曲だけは舞台袖で先輩の最後の勇姿を思う存分聴くことができると思っていたのですが、気持ちがそれを許さず、体調が悪くなってしまったと周りに伝えて楽屋に行くことにしました。


 シーンと静まり返る楽屋には舞台上を映したモニターだけが付いていて、私はその前に楽器を置いて腰を下ろします。

 じっとモニターを見つめていると、指揮者のタクトが上がるのに合わせて舞台全体が音楽を奏で始めた様子が伝わってきました。


 しばらくすると1人の男性がフルートを持って立ち上がり、こちらを向いてソロを吹き始め、見たくないと思っていたはずなのに、その姿に釘付けになってしまいます。

 

 癖のある身体の動かし方、丁寧に音をなぞる指の動き、ところどころブレスで楽器から離れる口。

 ずっと見つめていたからか、その一つひとつを見ているだけで聞こえていないはずのメロディが私の耳に届いてきます。


 やっぱり先輩の音色は、柔らかくて優しくて、聞き惚れてしまいますね。


 次第に耐えられなくなりモニターから目を離し、自分の嗚咽の音だけが楽屋に響き渡っていきます。

 こんなことになるなら、玉砕覚悟で想いを伝えておけばよかった。


 後悔で胸が苦しくなり、時が戻ればどんなに良いか…なんて思いながら舞台袖に戻れなくなっていると、心配した仲間が私を呼びに楽屋へとやってきました。

 その子の方を向くために顔を上げると、視線の隅にモニター上でやり切った表情でお辞儀をする先輩の姿が入ってきて、それがあまりに幸せそうで、素敵で、大好きな表情だったので、私は両手で頬を強く叩き気合を入れ直しました。


 せめてあと3曲、最後の1音が終わるその瞬間まで。

 私に片想いを続けさせてください。


 聴こえなかった先輩の最後のソロに想いを馳せながら、私はこの演奏会を完成させるために舞台へと戻ったのでした。

 

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