走馬灯とかき氷

キトリ

走馬灯とかき氷

 カコン、カコン、と下駄の足音が聞こえた。暗かった視界に、ぽつりぽつりと光が灯り始める。一瞬、昔ながらの赤提灯と砂利道が見えた気がしたが、目に映るのは街灯と屋台の電飾に照らされた大通りで、下駄の足音もいつしか雑踏に紛れた。喧騒、興奮、熱気……懐かしい感覚が語感を襲う。なぜか足元がふわふわとしていて、現実味がない。頭もまるで霧がかっているかのようにぼんやりとしている。しかし、不思議と不安は感じない。よく知っている場面にいる気がするのだ。


「じいちゃん、かき氷ちょうだい。イチゴ味」

 話しかけられて、ハッと爺の頭は覚醒した。朝顔の柄の浴衣を着た女の子が、百円玉を握りしめて爺を見上げていた。横には女の子よりは少し年上の、絣模様の甚平を着た男の子が立っている。

「あぁ、はいよ。ちょっと待ってね」

「オレも。ブルーハワイください」

「はーい。そこの缶に百円入れてね」

「あたしも。レモン味」

「メローン」

 爺は自分の状況を把握した。近隣地区で行われる花火大会に合わせた、町内会主催の夏祭りに参加しているのだ。日はとっくに暮れているにも関わらず蒸し暑く、アロハシャツを着た爺の屋台には涼を取ろうとかき氷を求めて小さな子供たちが駆け寄ってくる。というのも、他にもかき氷の屋台はあるのだが、爺の担当するかき氷屋は町内会所有のものであるため他の店より安く、一カップ百円で買えるのだ。

 その代わり、男のかき氷は最近人気のふわふわの氷ではなく昔ながらのザクザクとした氷で、シロップもイチゴ、レモン、メロン、ブルーハワイの四種類、練乳もかかっていない。それでも小さな子供には十分らしく、嬉しそうに女の子はかき氷を受け取って、スプーンストローで小さな口に氷を運んでいく。その様子を微笑ましく思いながら爺はせっせと氷を紙カップに詰め、色とりどりのシロップをかけていく。

「じいさん、大繁盛ですねぇ」

 小さな客たちを一通り捌き終わった頃、レモン一つ、と近所に住む中年の男がやって来た。頬が赤くなっているから、ビールでも飲んでいたのだろう。

「やっぱ百円だから、小学生にはね。中学生くらいになると『ふわふわのやつがいい』って三百円払うんだろうけど」

「まぁ、最近の子は舌が肥えてますよね。うちも娘には驚かされますよ。最近のかき氷は氷に味が付いてるっていうじゃないですか」

「そりゃハイカラだな。シャーベットじゃなくて?」

「かき氷機で削ってるからかき氷なんでしょうね。いやー、でもやっぱこれがかき氷ですよ。白く輝く氷とシロップのコントラスト。そんでもってザクッとしてないと」

「そう言ってもらえると嬉しいね。上手いだろ、この三角形」

「それはもう!やっぱベテランは違いますねぇ」

 いつかも同じやり取りをしたように思うが、まぁ、年寄りと酔っ払いが同じ話を繰り返すのはいつものことである。陽気に笑いながら歩いていく男の方向を見て、爺は花火の上がり始める時間が迫ってきていることを知った。昔とは異なり高い建物が建った今は、花火がよく見える場所が屋台の並ぶ大通りから少し離れてしまっている。これから一時間ほど客足が途絶えるだろうから休憩だ。爺はポケットから百円玉を出して缶に入れ、自分用にカップに氷を詰める。シロップは贅沢に、イチゴとメロンの二種類をかけた。担当者特権である。

(今夜はきれいに見えるだろうな)

 爺はパイプ椅子に腰かけ、空を見上げた。空には雲一つなく、加えてゆるく風が吹いている。これなら煙も流れて、花火がきれいに見えるだろう。少し残念なのは、空の黒が昔の深みを失っていることだ。爺が子供の頃、夜空はもっと深い黒だった。昔は星がよく見えたように、花火ももっと鮮やかに見えた。最近の花火は様々に趣向を凝らされ進化しているだろうが、何十年も前に見た漆黒の空に咲く花火ほど美しいものはない、と爺は思っている。

 花火が上がるまで、と爺はかき氷を頬張って目を閉じる。口の中でとけたかき氷が喉を伝っていく。しばらくするとドーンという音が遠くから聞こえ、爺は目を開けた。ビルに遮られているが花火の上半分が見え、残光は星のまたたきに混ざって消えた。また花火が上がる。色が変わる花火に爺は「ほぅ……」と息を吐いた。カラン、カランと下駄の音が遠くから聞こえても爺の目は花火に釘付けで、かき氷を口に運びながら彩られる夜空を見上げ続ける。


「きれいだね」

 聞き覚えのある女の子の声が耳元で聞こえた。驚いて瞬きすると、電飾は赤提灯へと変わり、舗装された大通りは砂利道となっている。高い建物は消え、爺はパイプ椅子ではなく屋台の間に無造作に置かれた木箱に座っていた。着ているものも古ぼけた甚平だ。六十年以上前の、あの懐かしい夏祭りと状況が合致する。

 横を向くと麻の葉文様の浴衣を着た、近所に住んでいた裕福な家の女の子—確か名前は澄子—が立っていた。思わず立ち上がるといつもより目線が低くて体が軽い、というか膝の調子が良い。爺は不思議に思うが、それよりも初恋の人に会えた嬉しさが勝った。またドーンと音が鳴る。上がった花火は何にも遮られず、はっきりと全貌が見えた。

「ええと……すみちゃん、かき氷、食べる?」

 爺は若返ってもかき氷を持っていた。しかし、氷にかかっているシロップはイチゴとメロンではなく、爺の屋台にはなかったみぞれ味だ。みぞれ味は爺にとって、遠いあの夏祭りの思い出の味である。カップ半分ほどのかき氷は溶けかけで、やや水気が増していた。

「うん。ふふっ、汗かき氷」

「へ?」

「汗かき氷」

 一口かき氷を食べて、くふふっと澄子は笑う。確かあの日も澄子は同じことを言っていた。若き日の爺は意味が全くわからず、祭りから帰っても一晩中頭を悩ませたのを覚えている。何十年と経って爺になっても、澄子の独特な言葉のセンスはやはり理解できない。今どきの若い感性なら、と孫に聞いても「何それ?」と返されてしまった。

「ねぇ、汗かき氷ってどういう意味?」

「えー?ふふっ、えっとね、ちょっと待って」

 笑いが止まらないのか、澄子は肩を震わせ続ける。爺はその姿を見つめ続けるが、澄子の顔がどんどんぼやけていく。一つ、また一つと赤提灯が消えて、澄子の笑い声も、花火の音も遠ざかっていく。最後まで光っていた爺の一番近くにあった提灯も、ジッと微かな音を立てて消えた。


 翌日。自宅で爺が亡くなっているのを、デイサービスの送迎に来た介護士が発見した。爺は孫が去年ネットで見つけてプレゼントした、かき氷が汗をかいているイラストのTシャツを着てあの世へと旅立っていた。

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