あなたと月を歩きたい

京野 薫

第1話

 さっき、あの子が出て行った。


 好きな人が出来たって。

 私たちと同じ職場の男の子。

 私も知ってる後輩の男の子。


(彼を知って気付いたんです。先輩は大好きだったけど、それって『好き』じゃなくて『憧れ』で、先輩とは百合の雰囲気に浸っていただけだったって。私たち、友達で居たほうが心から笑える気がします)


 そうなんだ……

 私は恋人のほうが笑える。心から。

 だってあなたの事が好きだから。

 愛してるなら友達より恋人の方が嬉しいでしょ?


 百合の雰囲気ってなんだろね?

 愛に雰囲気ってあるの?

 あなたと居るのが幸せ。

 おばあちゃんになっても一緒にいたい。

 それってごっこ遊びだったの?


 じゃあ確かにダメだったね。

 あなたと愛し合うごっこなんて出来ないよ。


 友達じゃ気軽にキスも出来ない。

 お風呂で洗いっこも出来ないし、素肌で抱き合ったりも出来ないじゃん。

 二人のこれからの事をお話しも出来ない。

 友達は恋人の下位互換。


 困った事に職場での私のキャラは頼れるクールなお姉さん。

 泣いたりすがり付いたり、恨み言も言えないよ。

 こんなときでもキャラが邪魔をする。

 うつむいて私の許可を待つあなたに「分かった。彼とお幸せにね」なんて。

 1ミリも思っても無い嘘をつく。


「オッケー。私もちょっと違うかな、って思った。お互いいいタイミングだね」


 嘘つきな私なんて消えてしまえ。


 そう。

 あなたの唇や素肌にキスした唇で嘘をつく。

 愛をささやいた唇で嘘をつく。

 気分はサイレント映画の女優さん。

 いいでしょ、自分に酔ったって。

 酔わなきゃ綺麗にお別れ言えないもん。

 あなたの望みどおりに。

 あなたに罪悪感を与えないように。

 いくらだって酔ってやる。


「綺麗なお月様……見てたいからこれで話は終わりね」


 そう言ってわざと窓辺に寄る。


 綺麗なお月様……

 早く出て行ってくれないかな……気が変わらないうちに。

 強い私で居るうちに。


 あなたの離れる音がする。

 あなたの温度。あなたの香り。

 離れていく。消えていく。

 1秒ごとに消えていく。


 やだ……行かないで……やだ。

 鼻がつん、と痛む。

 目が熱い。


 冷蔵庫の中のアイス、一緒に食べようと思ってたのに。

 あなたの好きな入浴剤、買ったのに。

 辛くて使えない。辛くて食べれない。

 おそろいのパジャマ、どうしようね?

 捨てたくないよ……

 もっと頑張るから。

 あなたの好きな私になるから。

 お料理? お仕事? ファッション? それとも……


「行かないで……」


 ぽろっとこぼれた言葉。

 ううん、わざとこぼした言葉。

 聞こえてくれないかな?

 気付いてくれないかな?

 そして、思い直してくれないかな?


 そんな同じくサイレント映画のクライマックスみたいな展開を期待する。

 サイレント映画が好きな私たちにピッタリ……


 言葉の途中でドアが閉まる。


 恥ずかしく、照れくさくなって苦笑い。

 誰も見てないのに。


 アイスと入浴剤を捨てた後、寝室へ。


 あなたのパジャマが置きっぱなし。

 絶対返してやるもんか。

 このくらい……いいでしょ。


 服を脱いで下着も脱ぐ。

 生まれたままの姿であなたのパジャマを着る。

 洗ってないそれは、あなたの香りがした。

 自分を……あなたの香りを抱きしめて泣いた。

 子供みたいに泣いた。

 両手で身体をギュッとして。


 しゃくりあげながら窓辺に行った。

 綺麗なお月様を見上げると、そこには酷くぼやけたお月様。


 あなたと月に行きたいな。

 二人で月を歩きたい。


【終わり】



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