天麩羅の晩

野村絽麻子

 しゅわしゅわと、衣を纏った茄子が油の中で泡を吐き出す。じっと目を凝らして色味を確認しつつ、頃合いだと思ったところで再び箸をのばす。カラリと揚がった茄子は文字通りの茄子紺色の皮をつやつやと光らせながら網の上に並んだ。次、変わり種のズッキーニくん。

「なぁ、」

「ん? なぁに?」

 背中に声がかかるのをそのままにして、衣を付けたズッキーニを温度の上がった油の上にそっと乗せる。じゃぶんとやらないのは私なりのコツで、纏わせた衣が脱げないように細心の注意を払う。

「ちょっと食べる?」

「んん」

 肯定か否定か分かりにくい謙介の受け答えが把握できるのは幼馴染の妙。取り皿に乗せた大葉と椎茸を差し出して、次いで塩を手渡す。瀬戸の藻塩と書いたパッケージは輸入食品を多く扱う小売店で見つけたものだけれど、今のところ天ぷらにはこれがとても合うのだ。何というか、コクがある。

「あ、天つゆが良かった?」

「……いや、塩で」

「でしょ?」

 私の得意料理は天ぷらだ。

 海老も蓮根も舞茸もジャガイモも、私の手にかかればカラリと揚がる。要は思い切りなのだ。油跳ねを恐れない心意気。いっそ贅沢なくらいに注いだ油のプールに、薄衣を纏った具材たちを静かに滑らかす。するとたちまち取り囲む気泡の渦が、まるで歓喜のファンファーレのようにしゅわしゅわと小気味の良い賑やかしをする。

「旨い」

 謙介がぼそりと言う。

「でしょう?」

 私はふふんと得意げに鼻を鳴らす。


 天ぷらは戦いだ。何しろ跳ねる。

 海老の尻尾の水分を取り去る方法を知るまでは阿呆のようにビビり散らかして挑んだものだけど、今となってはそれも懐かしく可愛らしい過去のひとコマだ。

 更に言えば、キスの天ぷらに関しては、口に出すのも憚られる時期なんかもあったりしたけれど、それも初々しくて素敵な時間だったと、今なら振り返ることができる。

 こうして天ぷらスキルを積み重ね、揚げ続けてきた私が至ったことなのだけど、ひとつ、天ぷらには弱点がある。それはこの料理の持つ特性と合致するもので、避けようのない事実。

 天ぷらは、お腹が膨れる。それに尽きる。

 精進揚げなんて単語もあるように、大半の具材は野菜だからヘルシーに感じる。けれど、やはり油で揚げている訳だから、どうにもこうにもお腹がいっぱいになるのだ。油をたっぷり使った調理などそうそう気軽に出来るものでもないし、ならば、どうせなら色々な具材を食べたくて。そうすると例えば茄子なんかは「それじゃ一切れだけね」というのも難しい話で、だからどうしたって「根性」で食べ進めるか、もしくは一緒に食べてくれる誰かを用意するしかない。

 そこで召喚される幼馴染の謙介。三軒隣に生まれついたが最後、長らく私の「天ぷら食べたい欲」に付き合わされ続けている。哀れだか幸運だか、よく分からない表情で、謙介は今日も天ぷらをサクサクと平らげていく。


 さぁ、天ぷらも終盤。衣を使い切るべくかき揚げと行きますか。

 ニンジンのかき揚げ、ゴボウのかき揚げ、変わったところでモズクのかき揚げも美味しいんだけど今日の所はパス。沖縄の天ぷらは一風変わった衣が特徴で、少しふかりと膨らむのが良い。

 今日は珍しく葉付きのニンジンが手に入ったので、その葉と、タコと、玉ねぎスライスをかき揚げにする。これがまた偉く香りが良い。

 裏側だけに衣の付いた大葉の天ぷらも最高だけど、香り高いニンジンの葉をかき揚げに出来るのは、その季節ならではの贅沢だ。

 衣が多すぎないよう、そして少なすぎてバラけないよう、細心の注意を払って鍋の中に静かに広げていく。

 じっくりと集中。しっかりと注視。決して広がることのないように衣を重ねていくかき揚げは、祈りにも似ている。美味しく出来ますように。美味しく食べられますように。美味しいって、言って貰えますように。

「やっぱり俺ら、結婚しない?」

 不意にそんな声が聞こえたのはその時で、私はてっきり空耳だと思って「はぁい?」と気安い返事をした。その数秒後、すぐ隣に謙介が立つとも知らずに。

「なぁ、」

「うわっ! なに? ちょっと待ってすぐ揚がるから」

「うん」

 木偶の坊のように立ち尽くしたまま静かにしている謙介の前で、私はかき揚げを掬い取ると続けて忙しなく固めるテンプルを鍋の中に溶かし込む。さっきまでと打って変わってキッチンはしんと静かになる。

「……なんて?」

「いや、だから。その」

「……おかわりは出来ないよ? いま油の処理しちゃっ」

 ふわりと、謙介の腕が私の体を包み込む。菜箸を持ったままの手が硬直し、呼吸が静かになった。

「好きなんだ、天ぷら」

 私の得意料理が天ぷらになった理由なんてひとつしかない。跳ねる油も面倒な片付けも、嫌だと思わなくなったのは。それはすべて謙介が美味しそうに食べてくれたからに他ならなくて。

「君の作った天ぷらが、俺は好きなんだ」

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