埋葬惑星

宇多川 流

埋葬惑星

 赤城教授は四年ぶりの旧友からの連絡に、最初は少し驚いた。学生時代は毎日のように顔を合わせていたものの、倉橋祐介は遠方の研究所へ就職し、それ以降はたまに年賀状が来る程度の付き合いだった。

 しかし研究室のパソコン画面でeメールの文章を読むうちに、興味はまったく別のものへ移る。

『土曜日にそちらへ伺いたい。最新の形状測定機を使わせて欲しいんだ。もちろん、測定結果を君にも確認してもらいたい。きっと君もこの石板の正体に興味を持つことだろう』

 まるで見透かされているようで、教授はつい口角を上げる。

 事実、旧友の言う通りだった。

 倉橋はオホーツク海沿岸にある海洋研究所に勤めている。先週、そこに布に包まれた石板が持ち込まれたという。その石板は海岸に流れ着いた流氷の中に閉じ込められていたと伝えられていた。

 三ヶ月ほど前の爆発事故で海底が大きくえぐられ巻き上がった際に浮上したのではないか、と倉橋は予想していた。オホーツク海の北の方で起きた事故については教授もしっかり覚えている。当時、『本当に事故か? テロではないのか?』、『民間の採油施設とされているが嘘なのでは。軍事施設で、新しい兵器の実験でもしていたに違いない』などと、日本のインターネット上を大いに賑わせたものだ。

 旧友との再会ももちろんだが、教授はすぐに承諾の返事を出し、石板の到着を当日まで心待ちにするようになった。

「やあ、琢磨。変わりないな」

 トランクを脇に抱えて大学院の研究室に現われた倉橋は、むしろ本人にこそそのことばが似合っているように思われた。ただ眼鏡の縁が黒から銀に変わりグレーのスーツが昔より馴染んだというくらいだ。

「そっちも格好だけは大人になった感じだな」

「そりゃ、まだ立場は全然弱くてさ。でも、ここで引き受けてくれて助かったよ。少しは僕の顔も立つというものだ」

 倉橋は苦笑し、勧められた椅子に腰を下ろす。

「てっきり、もう使用スケジュールは一杯かと思ったよ」

「いや、まだここの皆も使うのに慣れてないから、試運転期間中といったところさ。だから、本当はまだ依頼は受けてないんだ。立派なツテだね」

「それはありがたい」

 教授がコーヒーメイカーで入れたコーヒーのカップを渡すとそれを一口すすり、倉橋はようやく落ち着いて本題に入ることにしたようだった。椅子の脇に置いていたトランクを開く。

 トランクから取り出した黒い木箱を開くと、さらに幾重にも巻かれた布を解く。

 現われたA4ノートほどの大きさの灰色で長方形の石板は、それほど汚れてはいなかった。水や氷の中にあったためだろう。角は丸みを帯び端が細かく欠けていたり、表面や裏にひび割れが走ってはいるが。

「これが例の石板だ。材質の方はそれほど珍しくもないけどね、問題は文字の方なんだ」

 彼のことば通り、石板には三列五行、大きな文字が彫り出されていた。文字は象形文字や象意文字のような意味を推測できる文字形態ではなく、角張っていて記号や図形のようなものにも似ている。細かい切込みが刻まれ、それも文字の一部か年月による欠損かも不明である。

「文字にしては十五文字と少ない……その割にひとつひとつのデザインが凝っている。類似の文字は存在するのかね?」

「今のところは、なにも。まずは正確な形状を分析しようと思ってね」

 それでは、と、二人は早速測定機へ向かう。

 搬入されて間もない勉強机に似た台を持つ装置は最先端の高度なものだが、使うために人数は必要ない。まだ三度ほどしか動かしたことはないが、使い方は頭の中に入っており、赤城教授はこの研究室内でも最もこの測定機に詳しいと自負していた。

 石板を台上に固定し測定を開始すると、レーザーが対象を測定し、モニター画面内に立体的に描写される。針の先より細い、精密な部分まで正確に。

 へえ、と感心する旧友を横目に、教授はモニターの画像を拡大する。

 そこには、一文字、と目されていた最初の群体が表示されていた。

「おお、これは」

「どうやら、これは十五文字ではなく、十五ページのようだぞ」

 拡大すると、一文字に見えていた部分が文字の連なりの集合であることがわかる。文字には何度も使用されているものもあるようで、研究すれば法則性も見出せそうだ。

「専門家に託せば似たような文字も探せそうだな」

 倉橋の目は好奇心に爛々と輝くが、教授は一瞬脳裏をよぎった別のことに気を取られていた。

「件の爆発事故でも海底がかなりえぐられたようだが……確か、『二〇年位前、海外の深い海溝で温水が噴出したときに石板らしき物も噴き上げられて調査船に回収された』というニュースをどこかのネット上の記事か書籍で見かけた気がするぞ」

「へえ、それは調べてみる価値がありそうだ」

 石板は誰が何のために作り、そこには何が書かれているのか、興味は尽きない。

 しかしいかに知識欲旺盛な二人でも古代言語は専門外であり、解読のために専門家に預けて結果を入手するまで、彼らは五週間余りも石板を手放すことになった。

 長くその話題から離れている間も、日々は興味深く忙しく過ぎていく。測定機で調べて欲しい、という依頼もいくつもこなし、その大半が事件の解決や歴史の一部を解明するといった謎を探るためのもので、教授の好奇心を刺激する。

 しかし、助手が倉橋の伝言を伝えたとき、それへの興味で頭が満たされるほどには強い印象が残されていた。

 昼休み、はやる心に引っ張られるように駆け足に近い歩調で、彼は学内のカフェテラスに向かう。

 旧友は座ったまま笑顔で迎えた。二人掛けのテーブル席でアイスティーを前に、トランクではなく黒革の鞄を抱えている。

「キミが言ってた、例の海溝の石板については読んだかい?」

 軽い挨拶を交わした後、倉橋はそう切り出した。

「ああ、あれも爆発事故の現場からそう遠い海ではなかったねえ」

 そちらで発見された鈍い金色の石板はもともとは長方形だったものが斜めに割れており、文章の全体は把握するのが困難だという。

 それでも一部を解読し意味を汲み取れたところによると、『我々は埋められる。逃げないといけない』、『海上では失敗に終わると推測された』、『調査の結果、これは繰り返されてきた出来事』、『回避できなかった時のために記録を残す』のように書かれているらしい。

「画像も見たが、文字体系は違いそうだな」

「ああ、年代も文明も違うらしい。ただ、共通点もあったんだ」

 アイスティーを脇によけ、鞄から書類を取り出してめくる。

 そこに書かれている解読結果を、彼はかいつまんで説明する。なにしろ、海溝からの石板とは文章量が違う。十五ページもあるのだ。

 序盤は、我々は埋もれてしまうかもしれないから記録を残すことにした、と耳にしたばかりのような文章が書かれている。そこには当時の人類の紹介もあり、ひとつの巨大な大陸と十近い島々に三〇億人近くが住んでいたという。

 数々の調査の末、彼らは地面のはるか下に文明の遺跡を発見した。かつて埋もれた人々が暮らしていたのかもしれない――メディアでそう話題になった少し後、自然災害が続いた。次々と火山は噴火し、隕石すら衝突し、舞い上がった粉塵や噴煙で空はもう閉ざされているに近い。

 最後の方に書かれているのは、人類存続のために考え出されたいくつかの作戦は不備が見つかり、実行されることになったのは宇宙への脱出だ、我らに幸運を。もし失敗した末にこの石板を読む新人類が現われたなら同じ轍を踏まないで欲しい、というものだ。

「宇宙へ脱出か。なかなか壮大だな」

「ああ、でも可能そうじゃないか。あんな小さな文字を彫り出せる技術があるんだ。海溝の石板よりこちらの方が古いそうだよ」

「らしいな。となると、少なくとも三つの文明が地下に埋もれた訳か」

「そうだね、クノッソスの遺跡を思い出すよ。しかし無事に脱出していて欲しいものだ、そうすればいつか地球外で彼らの子孫に会えるかもしれない」

 遠い古につながる浪漫に、倉橋は目を輝かせる。

 教授はまた、旧友とは別のことが気になっていた。

 石板の測定結果を拡大した画像、それを紙に出力したものも何度も見た。そこで感じたのは、文字の形が同じ文字らしいものでも細かい部分の角度などが完全には一致しておらず、そこに手癖のようなものを感じるのだ。

 しかし、それは年月による劣化が原因かもしれず、不確かなことは言えない。

 ただ、何度も文明が埋もれているというのなら、かつての地球は今の地球よりも小さく、その住人たちも適応した大きさであったかもしれない。

 そして最大の懸念は、文明が何度も埋もれているのなら、現代の文明がその結末に向かうこともあり得るということだ。

 近年、世界中で地震も火山活動も活発化している。防災のために過去の巨大噴火についても調べたことがあるが、教授はそれを思い返し、古い地層から何度、いつ頃噴火したのか分析可能ということは、何度も埋もれているということの査証ではないか、と気がつく。

「我々も埋もれないよう、まずは埋もれた時代についてもっと調べないとね。この石板の書き手の期待に応えるためにも」

 石板の文明の人類が難を逃れた成功例であって欲しい。決して地球人に回避不可能な災難ではない、という可能性が欲しい。倉橋とは違う理由で、教授は心からそう願った。




   〈了〉

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