エピローグ メイド、悪役令息に囚われる
人間に戻ったヴェラは、カルヴァンを抱きしめていた。彼女はシーツを巻き付け、彼は洋服を着たままだけれど、カルヴァンの重みと暖かさを感じながら、ヴェラは幸せだった。
「好きだ、好き、ヴェラ……どこにも行かないでくれ」
ちゅっちゅとヴェラの顔中にキスを落とすカルヴァンが愛しくてたまらない。
「うん……どこにも行かない」
「ずっと僕の側にいて欲しい」
「使用人でもいいからずっと側にいさせて」
カルヴァンが半身を起こして、両手で彼女の頬を包むと、そのままヴェラの瞳を覗きこむ。
「それは嫌だ。君が使用人だから許されないというのなら、僕をローレル家から外してもらう。そうやってヴェラとずっと一緒にいる。僕は絶対に離れないから覚悟して」
カルヴァンがヴェラの口の端に唇を落とした。
「いい?」
「うん、してほしい」
答えると、彼の厚みのある唇がそっと彼女のそれを覆った。二人はまるで何年も前からしてきたかのように自然にキスを交わした。
やがてカルヴァンの舌がヴェラの口腔に侵入すると、舌を絡め合うことに夢中になる。
(大好き、カルヴァン……!)
ようやくキスに満足したカルヴァンが顔をあげた頃、ヴェラの瞳は潤んでいた。
「あのね、ヴェラ」
「……うん」
「僕ね、《悪役令息》らしい」
「は?」
「きっと詳しいことを言っても信じてもらえないけど、僕、間違いなく愛が重いと思う。一旦君を手に入れたら、絶対に逃さない。《ヤンデレ悪役令息》の本気を知ってね?」
「……?」
ヤンデレ悪役令息とは?
首を傾げたヴェラを、カルヴァンがぎゅーっと抱きしめた。
「僕はこれからヴェラを溺愛する。君が万が一にも逃げたいと思わないように全部逃げ道は塞いで、それで僕のものにする!」
これには答えられる。
「うん、いいよ?」
「……? いいの?」
「いいよ、そうして」
あっさり頷くと、カルヴァンの顔にみるみる笑顔が浮かんだ。
「いいの? 君をもう逃さないように、愛でがんじがらめにするよ? それから可愛い君を他の男の目に晒さないように家に閉じ込めたりもするかもだし、子供ができたら子供と張り合っちゃうかも。君との子供だったら可愛いはずだから、なるべくしないように頑張るけど!」
早口でそう言いきったカルヴァンが、
「僕というやつは……!」
と、突然自分を責めだしたので、ヴェラは驚いた。
「ど、どうしたの?」
「ヴェラの気持ちも考えずにまた勝手に自分で結論を出した。僕はなんでこんなに未熟で独りよがりな男なんだ」
彼はとても真剣だったが、たまらずヴェラは爆笑した。ようやく笑いの発作がとまると、きょとんとしているカルヴァンの顔をつかんで、キスをした。
「かわいい、カルヴァン」
「……!??!??!?!?」
真っ赤な顔になったカルヴァンを引き寄せ、もう一度キスをした。
「これから二人に関することは決める前に話してくれたらいいわ。ちゃんと話しましょう?」
そう言うと、カルヴァンはほっとしたかのように顔を緩めると、にっこりと笑った。それに応えるようにヴェラが微笑むと、カルヴァンがはっと目を見開いた。
「僕、君のその笑顔が見たかったな、ずっと」
そういうなり、彼はヴェラを抱きしめてしばらく離さなかった。
――さて。
思いが無事に通じて、解呪が出来ました、めでたし、めでたし、のはずだったのに――何故か、黒猫の刻印がミニサイズになっていることに気づいた。
なんでだろう? とカルヴァンと顔を見合わせたが、それ以降猫になることもなく、またなったとしても事情の知っているカルヴァンが側にいるのだからそこまで心配することもないだろうと話がまとまった。
カルヴァンはようやく両親にヴェラを娶ることを告げ、苦笑した両親から祝福されていた。カルヴァンは今後は貴族の社交界に必要以上に顔を出すつもりはない、と告げたが、それはそれでいいと許容された。
「でもそれを許すのは貴方のためと言うより、ヴェラのため」
ローレル子爵夫人はヴェラの手を取って微笑みながらそう言った。ローレル子爵夫妻はいつもヴェラに優しかったが、息子の伴侶となると決まった後、更に優しくなった。
ヴェラの両親は仰天し、特にカルヴァンの乳母だった母親は恐縮しつづけたが、二人が――そしてもちろん、娘のヴェラが――あまりにも幸せそうなので最終的には心から祝福してくれた。
結婚式も大げさなものは開かず、家族や周囲の人たち内輪の人々だけであげた。それでもヴェラは十分で、幸せだった。
二人で住むのは、こじんまりとした家で――ローレル子爵の興した会社でカルヴァンも働くこととなり――身の丈に合った暮らしにヴェラは満足していた。
何より、ずっとカルヴァンが側にいてくれる。
溺愛すると宣言した通り、カルヴァンはヴェラに一身に愛情を注いでくれている。時々一人で「あっ、これは僕が勝手に決めてしまったのか、まだ未熟だな、すまないヴェラ」などと煩悶したりしているが、そんな彼を眺めるのがヴェラは楽しい。
二人はめでたく、永遠に共に暮らしていくことに疑いはないが、ハサウェイ夫人の残していった贈り物があった。
☆☆☆
寝室で、キスをすると。
そこでポン、と小さな音と小さな煙が起こった。
カルヴァンがヴェラを見下ろして微笑んだ。
「あ、ヴェラ、まただ」
「ほんと?」
「ああ」
彼の手がそっと彼女の頭の上に出現した――黒猫の耳を触った。
「あっ……だめ、触ったら。くすぐったいから……!」
「ごめんな。可愛いからつい。あ、今夜は尻尾も出てるぞ」
そうなのだ。実はハサウェイ夫人の魔法は解けたのは解けたのだが、どうしてか時々ヴェラに猫耳と尻尾が出現する。それからしばらくすると消えるものの、ハサウェイ夫人に相談してみたが、彼女は爆笑して取り合ってくれなかった。
『きっとそのうちなくなるわ、大丈夫〜〜。夫婦の間のマンネリ化が防げていいじゃないの〜』
などとあの大らかな魔女は言うのである。
そして実際それは嘘ではなく――。
「じゃあ今夜は尻尾、引っ張ってしようか?」
カルヴァンが目を期待に輝かせて尋ねた。耳も弱いが、尻尾も弱い。特に尻尾を刺激されながら彼に抱かれると、酩酊したような状態になり、ヴェラはありえないくらい乱れてしまう。
見る間に真っ赤になったヴェラは口をとがらせる。
「君が嫌だったら、止めておく」
こうしてカルヴァンはヴェラの希望を聞いてくれる。ヴェラは両手を広げると、大好きな夫に抱きついた。カルヴァンの腕がしっかり抱きしめてくれて、うっとりする。
「……ん。いっぱいして」
そう、ヴェラは彼の耳元で、おねだりしたのだった。
++FIN++
黒猫になってしまったメイドは《ヤンデレ悪役令息》の愛に囚われる 椎名さえら @saera
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