第15話 メイド、悪役令息に謝罪される
「本当に悪かった……」
人払いを済ませたカルヴァンの寝室。
床に正座したカルヴァンは、ベッドの上に黒猫姿のヴェラをちょこんと乗せた。何も正座しなくても、と思ったが、どちらにせよヴェラの言葉はにゃあにゃあとしか聞こえない。だから彼の好きにさせることにした。
「ずっとヴェラが好きだったのに、僕に意気地がないばかりに……申し訳ない」
(ああ、さっき馬車で聞いたのは夢じゃなかったんだ)
先程ハサウェイ夫人宅に向かう馬車の中でカルヴァンの独り言を聞いた気がしていた。だが疲れていて半分眠っていたから、自分の願望が見せた夢かと思っていた。
カルヴァンは、真面目な、そして言葉通り後悔が滲んだ顔つきで告白し始めた。彼の話は、ヴェラにとっては耳を疑う内容の連続だった。
(えっ、そうなの、それで私を側仕えに……? ローレルご夫妻もご存知で? ハサウェイ夫人のお宅に向かわせたのも、自分が他の女性のもとに通ってるって思われたくなかったから?)
今までのあれこれをカルヴァン目線で語られ、また彼がすることなすこと全てが裏目に出て、ヴェラが勘違いしていたことも知った。
カルヴァンは長年想いを告げずに彼女を側に置き続けたことを後悔している様子だが、実を言えばヴェラは全く気にしていなかった。もともと彼が誰かと婚約するまでは側にいたい、と考えていたのだ。とにかくヴェラはカルヴァンの側にいられたら幸せだった。
カルヴァンはヴェラに頭を下げた。
「すまない。最初から素直にヴェラに思いを告げるべきだった。両親に婚約の許可をもらうよりも前に」
「はあ!?」
大声が出た。
顔を上げた彼は困ったように眉に皺を寄せた。黒猫ヴェラとカルヴァンの視線が交わった。
「ごめんな。俺の執着が怖いだろう?」
(――怖い?)
そんなことは露ほど思わなかった。ヴェラの感情はむしろその逆だ。
普通に考えて、貴族子息であるカルヴァンと、平民で使用人であるヴェラには一緒に暮らすという未来はない。だがカルヴァンは、自分の婚約相手として認めてくれるように彼の両親を説得してくれたのだ、と言う。
身震いするほど嬉しかった。黒猫のままでよかった。人間だったら、どんな反応をしてしまったのか分からない。しかし我慢しきれず、尻尾が勝手にパタパタと揺れた。目の前にいるカルヴァンだが、そのことに気づいていない。彼の視線は床に落とされているからだ。
「先に親に話したのは……僕は……その……恋人になった後でやはり親に認められず婚約は出来ない、となったら不誠実だと考えていたからだ」
(……! 嘘じゃない、本当にカルヴァンは私との未来を考えて……?)
カルヴァンはそこで自嘲気味に笑い、前髪をかきあげた。
「などと正当化しているが、愚図愚図していたのはただ単に僕が弱いからだ。怖かったんだ、君に断られるのが。だが……」
彼は真剣な瞳で、ヴェラを捉えた。
「だが、僕のことなんて気にせず、断ってくれて構わない」
「!」
ヴェラは息を呑んだ。
カルヴァンは真剣な表情だったが、どこか泣きそうにも思えた。かつて、犬の襲撃から庇ったヴェラが目を覚ました時を思い起こさせた。
(どうか泣かないで、カルヴァン)
ヴェラの心の中には、彼への愛おしさだけがあった。
自分は使用人で平民だ。犬に噛まれても、その犬が罰せられないくらいの立場だ。そんな自分に対等に接してくれるカルヴァンこそが、この国の貴族子息の中でも珍しいだろう。
「君を失うことへの恐怖を乗り越えないで、その恐怖を引き受ける覚悟もなく、愛しているなどと軽々しく口にしてはいけないよな」
彼は言葉を一度切った。
「だからやっと言える。僕は……ヴェラを自分よりも大切にして、愛することを誓う」
ヴェラ、愛している。
カルヴァンがそっと囁いた。
ヴェラはまるで夢の中にいるかのような心持ちになった。
「君が僕を拒絶しても、僕は受け入れる。その……呪いを解く前に話したのは、僕の気持ちを伝える前になし崩しに……キスをしてはならないと思ったからだ。ハサウェイ夫人によれば、解呪はお前のことを好きな人間なら誰でもできるらしいからな――必要があれば違う人間を呼ぶ」
(あれ……?)
悲壮な面持ちのカルヴァンを前にして、ヴェラは内心首を傾げた。
(さっきハサウェイ夫人は違うことを言っていたのにな……?)
帰る直前、内緒話のように耳元にされたのはまったく違った。
『解呪はね、お互いに愛し愛されていないとできないのよ。この魔法は夫婦のためのものだからね。ね、今はもう彼の気持ちは伝わっているわよね? 彼の気持ちを信じて大丈夫よ』
チャーミングなウィンクつきだった。
(もしかしたらあのウィンクは……)
ふふふ、とヴェラは笑った。にゃにゃにゃ、と聞こえたのだろうか、うつむきがちだったカルヴァンが顔を上げた。
(そうか、そういうことなのね)
最初ハサウェイ夫人は、ヴェラ“が”好きな人にキスをしてもらわなければいけない、と言った。だからヴェラはカルヴァンに頼むしかない、と思った。
そしてどうやらカルヴァンにはヴェラのこと“が”好きな人なら誰でも解呪ができる、と言ったらしい。だからカルヴァンはあんなに必死に解呪をしようとしたのだ。
逃げようとしたヴェラの目の前で扉を閉めたとき、怒っているように見えた彼はただ焦っていただけだった。他の男性のところへ行ってしまったら困る、と考えて。
それは何よりも、彼の気持ちを雄弁に示していた。
(方法は極端だけど、素敵な人なのね、ハサウェイ夫人は)
どうやらヴェラとカルヴァンのために一肌脱いでくれたらしい。もしくは、ただ単に退屈しのぎか。だが嫌な気はしなかった。
ヴェラが彼の気持ちを信じられるための小さな嘘だったから。それにあながち嘘ではない。ヴェラ“が”好きな人で、ヴェラのこと“が”好きな人が解呪できるわけだから――それはカルヴァンでしかない。
ヴェラがすくっと立ち上がると、カルヴァンがびくっと身体を震わせた。トコトコと彼の近くまで寄ると、カルヴァンを見上げた。
カルヴァンがおそるおそるヴェラに尋ねた。
「抱き上げても?」
(そんな悲壮な顔しなくても……)
こくりと頷くと、カルヴァンの両手が彼女を抱き上げた。手をちょいちょい動かして合図を送り、彼の顔の近くまであげてもらうと、そのままカルヴァンの頬をぺろっと舐めた。
「……ヴェラ……!」
(ああもう泣きそう、カルヴァンったらほんと……)
歪む彼の顔を舐めてやりながら、ヴェラは思った。
(かわいい、大好き)
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