城ノ崎姫華

「姫華せんぱーい!一緒に中庭でお昼食べましょうよ!」


 四時間目が終わった直後、きっと急いで俺の教室にやって来たのだろう、息を切らした様子で出入り口付近で俺を呼ぶ湊に、俺は努めて柔らかく笑いかけた。


「そんなに急がなくても大丈夫だって。お昼ご飯は逃げないよ」

「でも、先輩と一緒にいられる時間は短くなっちゃうじゃないですか……」

「これからいっぱい一緒にいられるんだから、そんなに気にしなくって良いと思うけどなあ」

「……!そう、ですね!」


 ぱあ、とわかりやすく表情を明るくする彼女は確かに可愛らしい。思わず頭を撫でてあげたくなる愛らしさがある。……これで、中身がアレじゃなければ、俺も素直に彼女を恋人として扱えたんだけど。なんて、今更なことを思いながら、突き刺さるクラスメイト達の視線を無視して、揃って教室を後にする。


 当たり前だが、事情を知っている俺のクラスメイト達からの視線は酷く冷たい。冷たいというか、俺と彼女に対する嫌悪が八割、彼女だけに対する哀れみが二割だった。


「……楽しそうだね」

「?当たり前じゃないですか。先輩だって僕と一緒にいられることは楽しいでしょ」


 しかし湊は、俺の学年の教室がある廊下を歩いている限り、決してなくなることはない非好意的な視線の意味に全く気が付かず、呑気に笑っているのだから、まさに恋は盲目と言うべきか。それにしたって、男だった頃の俺と今の俺を完全に別人として扱っているその割り切りの良さは気持ち悪いけど。


 だって普通は気になるだろう、そういうの。俺はもうぐじゃぐじゃになって一年ぐらい経つから、気にせなくなっちゃったけど。


「……勿論」

「ほらあ!先輩だって僕と同じじゃないですか!」


 女の子になってからずっと、躁状態と形容しても過言ではないような、どこか病的な気配がちらつく機嫌の良さで、湊は振る舞っている。当人の自覚は置いておくとして、側から見てもわかりやすい空元気だった。それこそ、真っ当な恋人同士なら、恋人を案じるのだろうと俺にすらわかる程度には、痛々しい。

 しかし残念ながら、俺は今まで付き合ってきた女の子達にそんなことをしたことはないし、方法だって知らない。望み通りの薄っぺらい愛の言葉を囁いて、ヤるだけヤって、飽きたら捨てる。俺にとって、恋愛とはそういうものだった。


 ……まあ、流石に男だった頃と同じような恋愛は物理的に不可能だから、そのまんまの対応はしないけどさ。彼女が正気を取り戻すならばともかく、壊れていく分には手を出すつもりはないんだよな。


 当たり前だが湊は、俺がそんなことを思っているなんて考えてもいないらしい。俺を恋人にできたのが嬉しくてたまらないのだと、嫌になる程楽しそうに中身のない会話をする湊に適当に相槌を打っていても、俺を探るような言葉なんてひとつもなくて。意味のないやり取りをしているだけで、中庭に辿り着いてしまう有様だった。


「先輩、いつもコンビニ飯ですよね。やっぱり僕、先輩の分もお弁当作って来ましょうか?」

「大丈夫だよ、気にしないで。湊くんの負担になりたくないから嫌だって、いっつも言ってるでしょ?」

「でも」

「でもじゃないの。湊くん、女の子になってからまだそんなに経ってないでしょ?色んなことに慣れてく最中なんだから、自分のことだけ気にしてればいいの!」

「先輩……!」


 湊が感極まった様子でこちらを見てくるが、単に俺は湊が弁当に髪の毛とか血とか混ぜてくるのを警戒して、適当に話を逸らしただけだ。経験上、湊みたいなストーカー気質の奴はしれっとやりかねないんだよ。というか、ストーカーの男が料理を覚える動機なんてそれしかなくないか?


「ありがとうございます。でも大丈夫ですよ、僕、誰に何を言われたとしても、先輩が隣にいてくれるだけでぜーんぶどうでも良くなりますから!」


 どろりとした、嫌な執着が滲んだ目で湊は笑う。一瞬、生理的な嫌悪感に背筋が泡立ったけど、俺はどうにか引きつった愛想笑いを浮かべた。











 この通り、俺のことを執拗にストーカーし、何故断られ続けていたのか未だに理解していないド阿呆は、やっと訪れた青い春を謳歌しているつもりなのかもしれないが。現実がそう甘いはずもなく。


「ひぐっ、えぐっう、ぁ」


 突然姿を変えてしまった己の肉の器と、器の中で乱れたホルモンバランス漬けにされた脳みそに振り回されて、当人にすら原因のわからない涙をこぼし続ける羽目になっていた。


「大丈夫。大丈夫だよ、湊くん」


 その度に俺は、人気のない空き教室に彼女を連れ込んで、抱きしめて無責任な慰めの言葉をかけてやる。何気なく俺の胸に顔を埋める彼女の頭をかき抱きながら、俺はニヤリと口角を釣り上げた。



 今までろくに女と付き合ってこなかった馬鹿な童貞は、俺程度の手のひらの上でも簡単に転がってくれて助かるなあ!と。



 きっとこいつは男だった過去も忘れて、無防備に自分を懐に入れてくれている馬鹿な先輩、とか思っているんだろう。そんなわけがあるか。たかが一年過ごした程度で、男だった頃の自認が完全に吹き飛ぶ訳ねえだろ。馬鹿じゃねえの!

 つか仮に本当に心まで女になっていたとしたら、自分の事をストーカーしてきたクソ野郎がとびきり可愛い女の子になった所で受け入れる訳がない。それこそ恐怖に泣き叫んで、今頃俺は警察にでも駆け込んでいただろう。そうじゃなくたって、今だって俺のことをずっと、ずうっと熱っぽくってキモくて鳥肌が立つような目で見つめられるたびに、反射的に体が強張るってのに!


 思春期真っ只中の女の子がそんな馬鹿な生き物であるはずがないのに、の演技を心の底から信じちゃうなんて、馬鹿みたい!


「……せん、ぱい。先輩は、怖くなかったんですか?女の子になっちゃうと、自分が、自分じゃなくなっちゃうみたいじゃないですか」

「……怖かったよ。当たり前じゃん」


 最もらしく、彼女の言葉に肯定を返すが嘘である。俺が女の子になってしまった時は、正直そんなことを考えていられなかったし。お前みたいに周囲から腫れ物扱いされる程度で終わるような、平和的対応じゃ済まなかったんだよ。


 今だから言えるけど、当時の俺はそれはもう馬鹿だった。どれぐらい馬鹿だったかというと、当時付き合ってた彼女に気持ち悪いってぶん殴られてフられた足で、面白がって好奇心のままにクラスメイトの男に気があるような態度をとって遊んでいたぐらいには。

 まあ結果は語るまでもない、当然の結末として、俺は犯されかけた。とはいっても相手方も俺と同じく等しく稀代の大馬鹿野郎だったせいで、考えなしに学校内で事に及ぼうとしやがったから、普通に教師に見つかって未遂で終わったんだけどな。


 でも俺を助けた教師だって義務で助けただけだ。誘惑した俺が悪いと言って、俺を案じてくれたりはしなかった。当然だ、それが教師の仕事なんだから。俺にも非があるのはその通りだし。


 でもさ、いくら俺が悪いからって……気づいたら、男に触れられるだけ震えるようになってしまったこの体はどうすれば良いんだ?息が乱れて、頭が回らなくなって、恐怖でどうにかなってしまうのに?


 しかもトドメのように、目の前で一丁前にメンタルをヘラってるストーカー野郎が自分勝手に俺に何回も告白してきて、その度に何故断るんだ、とか言ってくるんだぜ?

 そんな状況でアイデンティティなんて気にせる訳がないだろ。お前は女なんだよって、世界の全てが俺のことを呪ってくるんだから。


「でも、受け入れなきゃ、この先やってけないよ?」

「……え?」


 だから俺は、天使みたいな笑顔で、お前にとって悪魔みたいな提案をしてやるんだ。俺を見上げ、固まった彼女を「心の底から心配しているのだ」という態度を崩さずに諭す。


「外野から見ると、性転換病患者ってめちゃくちゃ気持ち悪いんだよ?それはあなただって知ってるでしょ?それに女の子からすれば、下品で汚くて脳みそと男性器が直結してるような猿を、外見だけは同じになったから同性として扱えって言われてるんだから。気持ち悪いって思わない方がおかしいもん」

「……そう、なんです、か?」


 私を独占して有頂天になっていた彼女の頭を、常識と言う名の冷えた汚水に浸していく。まあるい瞳が、混乱に揺れる様を見て、俺は笑みを深めた。


「そうだよ。だからね、早く受け入れて、頭の中も女の子にならなくちゃいけないんだよ?じゃないと……酷い目に遭っても、文句言えないから」

「……っ」


 かつての俺を洗脳した言葉を、丁寧に優しく、じっくりと、彼女の小さな耳に口付けをするように囁いていく。お前のことを呪ってやるために。


「私ね、にはそんな目に遭ってほしくないの。ね、だから、身も心も女の子になろ?」


 あくまで善意を装って、甘美な地獄への片道切符を彼女にも握らせるために。

 たった一人で地獄に堕ちてしまったこの手を握ってもらうために。


 私は、あなたの告白を受け入れたんだから!


「せ、先輩何言ってるんですか?ぼ、僕はおとッ?!」


 未だ認めようとしない、愚かにも可愛らしい少女の、豊満に膨らんだ乳房をぎゅう、と痛めつける。反射的に顔を顰める少女に、俺は柔らかく笑って教えてあげた。


「違うよ。湊ちゃんは女の子だよ。こんなにおっきいおっぱいをぶら下げておいて、男なわけがないでしょ」

「いや、僕、は」

「僕、じゃないでしょ?湊ちゃんはとっても可愛い私の彼女なんだから、なんて言うべきか、わかるよね?」


 抵抗しようとする湊の柔らかい唇にちょこん、と人差し指を当てる。きっと女が怖いと言われる所以はこういう所なんだろうな、と他人事みたいに冷えた圧を纏わせながら笑いかけた。

 もう逃げ場なんてないのに、こんなはずじゃない、違う、と湊の目が雄弁に語っている。まだ気がついていないのか。女の子になってしまった時点で、お前はもう逃げられないんだよ。後ろ指を指されながら、否が応でも変わっていく気持ち悪い自分になるしかないんだ。


「ね?」


 甘い、甘い呪いを吹き込む。どうせ堕ちてしまった方が楽なんだ、無意味に足掻いたって、もう取り戻せないアイデンティティになんの意味もない。さあ、早く私と同じところまで堕ちてこい。 

 心身ともに女の子になったあなたは、きっと最高に可愛いんだから!



「……私、は」



 隠しようがないほど声を震わせて、白い肌から血の気をなくした少女は口にする。とうの昔に俺が堕ちてしまった、地獄への第一歩を。


 ニヤり、と最早隠しようもない程に俺の口角が釣り上がる。とはいえ流石にまだネタバラシには早いだろう。それに鞭を与えたのならば飴も与えなくては、きっと彼女は私に愛想をつかしてしまう。


「よく言えたね。その調子!流石湊ちゃん!」

「〜わっ?!」


 感極まって抱きつくようなふりをして、全身を湊の体に擦り付ける。同時にこっそり彼女の大きな乳房を堪能する。そのまま無邪気に彼女を案じる先輩のフリをして教え込む。


「これからは僕、なんて男の子みたいな可愛くない一人称は絶対に使っちゃだめだからね?ちゃ〜んと、女の子にならなくちゃなんだから!」

「……は、い」

「それに私、湊ちゃんが私って言ってくれる方が可愛くて好きだよ?」

「……そう、ですか」


 まだ可愛いと言われることには抵抗感があるらしい。さして嬉しくなさそうに、そっぽを向くだけだった。……なら次は、そこか。可愛いって言われると舞い上がって、下腹部がずくりと疼いてしまうような、ちゃんとした可愛い女の子にしてあげなくちゃ。


「……先輩は、可愛いぼ……私の方が、好きなんですか?」

「もちろん!」


 男……とは、もう言えないけど。可愛い女の子は大好きである。嗜好はそんな簡単には変わらない。自分にトラウマを植え付けてきた奴が、俺と同じように無様に女の子に堕ちてくれる、なんて痛快極まりない状況を見逃すわけがないのだ。というか、恋と性欲で目が眩んだこいつは気がついていないんだろうけど。


 お互い元々男であることを知っている上で、女として愛し合うのは狂ってるとか倒錯的とか言われたって、なんの文句も言えないような行為なんだぜ?後ろ指を指されたって何も不思議じゃないし、言い訳もできない。

 そうじゃなくたって、こんな歪な私が、まともな女の子と添い遂げられるとは思えない。だからこんな、一生に一度しか訪れないような絶好の機会を逃すわけにはいかないんだよ。


 愚かで短絡的で気持ち悪くてとってもかわいい俺のあなた。絶対に逃してなんかやらない。あなたと一緒の行く末はどう考えたって地獄だろうけど構わない。むしろ一緒に堕ちてやる。最低で最悪で女の子のことを人間とも思ってない、私のことを扱いやすいと勘違いしているであろう無様なクズだとしても。


 俺は、私だけは、そんな無様でカワイイ女の子なあなたを愛してあげる!

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『女の子』なあなたを愛してあげる 濃支あんこ @masuzushiuma

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