司馬と桜井へ

 半ドンの今日、僕と唯は校門の前で待ち合わせていた。

 校門のすぐそば、地域の掲示板の前に立つ唯。サングラスをかけ、Tシャツにデニムというシンプルな恰好。なのに人目を引く美しさがある。

 そして案の定、道行く生徒らの視線に晒されている。

 だというのにお構いなしで直立出来るのは、人に見られる仕事をしている内に鍛えられたからか。


 「もう、だから現地で良いって言ったのに」


 僕の声に反応した唯が、スマホからパッと顔を上げた。

 口角が上がっていてとても可愛い。


 「なに遥。私と一緒にいたくないの?」


 「そんなわけないでしょ。ただちょっと怖いだけ」


 「ふふっ、なにそれ」


 本人に気にしている様子が無いから言わないけど、ああして人集りの視線を一身に受けている唯を見ていると、やはりどうしても思い出してしまう。


 僕らが秘密を打ち明けあったあの日、唯にクソ無礼を働いたあの記者と、その同業の人たち。基本的に他人を慮る僕がタックルをかまさずにはいられないくらいの不快感を覚えたのは、あれが初めてだった。

 強烈に印象付いてるからか、唯と、唯を囲む人集りを見ると、否が応でもあの光景がフラッシュバックしてしまう。


 もっと早く助けに行けば良かった。とか、もっと上手く、人を傷付けずにやれたんじゃないか。なんて後悔も顔を覗かせる。


 最近は記者連中もめっきり来なくなったようで安心だけど、唯との交際がスタートした今、それまでは深く気にしていなかった暗い部分が膨れ上がっていくのを感じる。


 「遥、手」


 「……あぁ、うん」


 あったかい。

 もうすっかり半袖の季節なのに、唯の手はあったかいから不思議だ。


 この手に触れていると、さっきまでの嫌な感情は一瞬で吹き飛んでしまう。

 それでも後々また顔を出すから、僕としては早くコントロール出来るようになりたい限りだ。



 にしてもあったかいな。幸せだ。



 さて、あれから一週間。

 唯と付き合い始めてから一週間。

 唯は仕事があるから毎日ってわけにはいかないけど、暇を見つけてはこうして放課後に迎えに来てくれたり、会いに来てくれる。

 曰く、


 「少しでも一緒にいたいじゃん」


 とのこと。


 可愛い。

 無論、僕も同じ気持ちだ。

 いつの間にかに僕の腕へ絡みついている唯を見ていると、一層そう思える。


 もういっそこのまま、一つの生命体になりたい──が、今日ばっかりはそうもいかない。

 今日は人の目というか、二人の目がある。


 「アッツアツだね。私らもやる?」


 「いいよ人の目があるし」


 「照れてんのぉ?」


 「いいから!」


 夫婦漫才を繰り広げつつも、こちらへ胡乱げな視線を向け続ける二人。

 確かに彼の言う通り、この手の過度な接触は人前では控えた方がいいと思う。

 場合によっては通行の邪魔になるし、恥ずかしいとも感じる。


 でも、そういうの全部をひっくるめても、この安心感には勝てないんだ。

 目の前に時空を支配するような魔王がいても気にならないんじゃないかってくらいに気持ちが安らぐ。

 邪魔になるのは良くないから人通りのあるところでは控えるにしても、恥ずかしさなんてものはこの安心の前では塵芥レベルで不毛な存在になるんだ。


 初めて外で唯と手をつないだ日、僕は、街ゆくカップルが密着する理由を理解したのだ。



 僕らは僕らで、二人は二人で雑談をしながら、通学路から少し外れた道を歩いて行く。

 二人はまだ、僕の彼女である『唯』が、女優の『三宅唯』であることには気付いていない。

 学校まで迎えに来てくれる唯はいつもラフな格好で、サングラスをかけているだけの、変装というには随分と簡素な装いをしている。

 僕が見たら一目で唯とわかってしまうから、きっとファンの人とか、見る人が見れば一目瞭然なんだろうけど、少なくとも二人の目には「綺麗な年上のお姉さん」の枠を出なかったようだ。

 意外とバレないもんなんだな。


 なんて考えながら並木道を抜け、到着。

 もう随分と見慣れた場所になった。


 「着いたよ。ここ」


 そう、あの公園だ。


 「ベンチってあれか?」


 「あの蔦の屋根ってまだ残ってんだね。すげぇ~」


 今日はいよいよ、この二人に唯の正体を伝える。


 僕の大切な親友である、司馬と桜井に。



 「じゃあ、唯」


 「……うん」


 離れるよう促すも、唯は不安なのか、僕の手を掴んだまま一向に離そうとしない。

 僕伝手ではあるけど、この二人がどういう人間なのかは知っているから、無暗にバラしたりするようなことは無いって、わかってるはずなんだけど……

 やっぱあれかな、休業していたとは言え、女子高生の格好をして街へ繰り出していたことが後ろめたいとか、恥ずかしいとかかな。


 唯は深呼吸をし、意を決したのか、絡みついていた僕の腕から離れ、最後にぎゅっと抱き着いてきた。

 唯の匂いと、ほんのちょっぴりの煙草の匂いが鼻から脳へと侵入していく。それに加えて、長くしなやかな腕が這うように背中へと回され、ひたすらに柔らかい胸が僕の薄っぺらな胸板へと押し付けられた。

 オキシトシンとバソプレッシンが大量分泌されていくのを感じると、僕は僕で唯を力強く抱きしめ返す。


 ハグってのは凄い。なんかもう、本当に凄い。


 時間にして30秒ほどだろうか。

 唯の肩をぐっと掴んで離すと、気まずそうにこちらを見つめる二人の方へぐるりと回して、


 「大丈夫」


 そう言って、その背中を軽く、ぽんと押した。

 数歩、たたらを踏むように前に出た唯は、二人の正面に立つ。

 もう一度深く息を吸って、大きく吐いての深呼吸。

 一応僕も二人の方へ回って、唯のご尊顔を拝見することにした。

 スーハーとして落ち着いたのか、唯は徐にサングラスを取って、髪を整えて、閉じていた目を開いた。

 その瞬間、キンキラキンの眩い後光がペッカーと射したのだった。


 そう、『女優:三宅唯』が、その姿を現したのである。


 今思ったけど、サングラスという物は変装の道具ではないのかもしれない。

 唯などの選ばれし者が持つ圧倒的なオーラを封じるための、お札ような役割があるのかもしれない。

 サングラスという封を破り、解き放たれた芸能人オーラ。

 まぶしくって、唯が今取ったそのサングラスを僕がかけたいくらいだ。


 「……待って、私この顔最近どっかで見たんだけど」


 「わかる。どこでだっけ?」


 と、どうやらまだ気付いていない様子の二人。

 その反応に気が緩んだのか、唯がふっと笑った。


 「えっと、女優やってます。三宅唯って聞いたことあるかな……?」


 「みやけゆい……?」


 鳩が豆鉄砲を喰らったような顔──って、これのことなんだな。

 そんなくるっぽーな顔で唯を見つめる二人。

 唯の言っていることが理解できないのか、反芻して、ナウローディング。


 突然、爆ぜたようにハッとした。


 「──って! はっ!?」


 「ん?! え?! どゆこと?!」


 「「待って待って待って!!」」


 「あはは……えっと、遥とお付き合いしています。三宅唯です」


 「「はぁ!!?」」


 何から何まで、二人のリアクションは息がぴったりだった。



 事態をなかなか飲み込めない二人を落ち着けるのに少しの時間を要した。

 その間に俺は自販機へ飲み物を見繕いに行き、お茶やジュースを人数分抱えて戻ってくると、そのころには落ち着いたらしい二人と唯が話し込んでいた。


 ベンチに腰掛けて、桜井はタオルで口元を隠しっぱなし。

 別に唯のファンとかじゃなかったと思うけど、もはやリアコみたいになってんじゃん。

 だからか、司馬の顔色が優れないのは。


 「み、三宅さんにはお見苦しいところを……」


 「やだな、敬語なんて。

 それに、唯でいいよ」


 「ほわぁ……」


 メスの顔だな。それに比例して司馬の顔色も悪くなっていく。

 大丈夫だよ。司馬はかっこいいから。桜井もお前のことが大好きなんだし、安心しなよ。


 「あっ、二人のことはね、遥から聞いてるよ。親友だって」


 唯、そういうのは言わないでよ。こっぱずかしい。

 ……でも、緊張はしてないみたいでよかった。この二人なら大丈夫って僕の見立ては間違いじゃなかったな。


 「てかそう、それっすよ。恋人って遥でいいんすか?」


 「ねー。あいつ結構こじらせてますけど、大丈夫ですか?」


 と、二人は思い出したように言った。

 目の前に『三宅唯』がいる衝撃で忘れていたみたいだけど、今日は僕の彼女としての紹介も兼ねているってこと、やっと思い出したか。


 まあ、僕と唯に色々と差があるのは事実だから、忘れられたり、そういう風に見えないのは仕方ないんだけどさ。

 

 「こじらせてるってなんだよ」


 飲み物を差し出し、僕は唯の隣に腰を下ろした。


 「あ、おかえり。午後ティーあざまる~」


 4人掛けのベンチ。桜井が唯との間に半端に距離を開けるから、少し詰まってる。

 イコール、唯と僕の太ももが、膝が、結構しっかりと密着しているんだ。


 でも、最近はこういう接触にも慣れてきた気がする。

 気恥ずかしさとか、照れとかはまだまだ抜けないけど、手を繋いだりするのと同じで、唯がすぐそばにいる安心感が圧倒的なんだ。

 

 「サンキュ。

 いやさ、そこら辺の大学生とかなら問題ないって思ってたけど、こんな、だって……なぁ?」


 ……ああ、二人からすればそうなのか。

 確かに、友達に年上の彼女が出来たと思ったら、それが実は今をときめく若手女優で、顔面が圧倒的に美しい上に、人当たりも良くて、綺麗で、可愛くて、いい匂いもするっていうんだから、そりゃ動揺するなって方が無理か。


 まあ二人が今言ったこじらせもさ、今現在この人と改善している最中だから。安心してよ。


 「そーそー。あの遥を知ってる身からしたら、流石に聞いちゃうって」


 「”あの”ってなにさ」


 まあ、ちょっとアレな時期も確かにあったけどさ……でも、今はだいぶマシになったと思うよ。あんまりひねくれてないし、唯が僕のことを好きでいてくれているって事実のおかげで、結構、自信みたいなものがついてきてるんだ。

 

 「あ、遥、ありがと。


 ……でもこじらせで言ったら私も大概だよ。制服着て高校生と遊んでたんだから」


 コーヒーを受け取った唯は僕の擁護をしてくれた。

 詳細はまた少し複雑なんだけど……まあ、今は話さない方がいいよね。結構重いし。


 ふと唯と目が合った。

 アイコンタクトでなんとなくわかる。同じ考えだ。


 「女装と変装っすよね。そう聞くとなんか……あれ? お似合い?」


 「説ある」


 それに、話さなくても辿り着く結論は同じなんだ。ある程度の経緯は知っているわけだしな。


 詳細は多分、今後も話さないと思う。

 僕と唯の二人だけの秘密と言うか、二人だけで持つべき思い出と言うか、な。

 

 

 それからも話は弾んだ。

 最初こそ「三宅唯」に面食らっていた二人だったけど、緊張は次第に薄れていき、別れ際には連絡先を交換するまでに距離が縮まっていた。


 (こいつらやっぱ陽キャだな)


 と、僕は再認識したのだった。



 「じゃあ三宅さん、お忙しい中ありがとうございました。

 遥をよろしくお願いします」


 「お前は僕の親か」


 「こちらこそ、わざわざありがとうね。司馬くん」


 「今度、唯さん家行かせてくださいね」


 「うん。ほのかちゃんも、いつでもおいで」


 一時間ちょっとで随分と打ち解けたものだ。

 二人のことも唯のことも信用してるけど、まさかここまで砕けた調子で喋れるようになるとは。


 ……機会があれば、あの三人とも会わせたいな。きっと仲良くなれる。


 「じゃあ、行こっか」


 「うん」


 二人と別れた俺と唯は、駅へと向かって歩き出した。


 僕らの交際が始まった。そのきっかけをくれた人たち。

 彼女たちの存在が無ければ、きっと、僕と唯は今こうして手を繋いで歩けていない。



 彼女たちを迎えに、駅まで。

 



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嘘と煙草、君と夕 ──女装したらギャルと友達になった話── 桜百合 @sakura_yuri

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