天神様の前で

ハナビシトモエ

手毬

 天神様のお祭りで買った手毬。亡くなったばあちゃんはいつも身から離さずに持っていた。晩年、俺が物心ついた時には縁側で手毬を撫ぜながら座っている姿をよく見た。


 母さんによると婦人会にも町役場に手続きをしに行くときもばあちゃんは手毬を離さなかった。そればかりか、誰かが手毬に触れようとすると嚙みつかんばかりに威嚇し、手毬を取り上げたそうだ。ばあちゃんが焼き場に行く前の夜に母さんが話してくれた。


 いつも天神様のお祭りで買ったというわりにはばあちゃんの住んでいる町の近くには天神様はいない。坂を下ってバスに乗って、下の街に出ても無いので電車に乗るか、祭りなんて忘れられた天神と書かれているほこらに行くか。そのどちらかだ。


 どちらにせよ。手毬を買ってもらうくらいの年齢の女の子が一人で行ける距離では無いので、誰か大人に連れて行ってもらったのだろう。聞くことが出来れば良かったが、ご覧の通り手毬を離さない。語弊はあるが、偏屈ばばあだったので俺が聞いても答えてくれたかは定かではない。


 火葬場には霊柩車とバスで行くのだが、葬儀をした会館に霊柩車はギリギリ入ることが出来なかった。明らかな設計ミスである。町の誰それが管理していて、運ぶ距離が遠くなった。一族郎党がバケツリレーのごとく運び出し、なんとか霊柩車に乗った。


 偏屈だが、世話好きだったらしく。親戚の前で誰かをののしることが無かったと後に聞いた。


 会館の裏が墓で奥に寺院がある。寺院にはもちろん住職がいて、墓の管理をしている。足が悪くて正座が出来ないと言われたそうで、ならば寺で葬儀をすればいいだろうという話なのだが、寺の前は狭く。会館の幅員に比べたらとんでもなく狭く。原付に住職を乗せて会館に来るしか方法は無く、それでお車代を出すのだからアホらしい。


 それでも結局、その住職は最後まで付き合ってくれて初七日を済ませて家に帰ったのが二十一時半。疲れてふらふらですぐに寝たかったが、母さんにしわになるから脱いでシャワーを浴びて寝ろと言われた。飯は無いらしい。


 明日は忌引き使えないかな。こういうのは当日ではなく、次の日に疲れが来るのだ。主任はいいけど、課長代理がめんどうかもな。ハムスターが危篤で早退したと言った女の子に「ねずみ如きで早退するな」って怒鳴っていたし、主任が間に入っていなかったら、どうなっていたことか。



 何か忘れていた気がする。



「あ! 母さん。手毬」

 パタパタと駆ける音が聞こえた。


「あれ、入れ忘れ? 私はちゃんといれたわよ」


「だってそこに」


「どこ?」


「そこ」


「何もないわよ」

 そんなあそこに、無い。


「さっさと風呂入っておいで」

 風呂の中で考えた。寝たら治るか、普通の人間なら堪えるか。


 風呂失神ギリギリ回避で布団に転がった以降の記憶はない。社会人として喜ぶべきか、恨むべきか毎日の時間には起きてしまう。口からやだなー、行きたくねーが漏れた。



 外廊下に出ると少し涼しかった。雨が降ったのだろう。昼にかけて蒸しそうだ。

 何かが転がる音がした。手毬だった。俺は近づいて恐る恐る人差し指で押した。布の少しざらついた感触。勝手に転がるでも無し、上から落ちてくるでなし、ただそこにある。


 ばあちゃんの亡霊とかではないだろう。祟る理由がないからだ。いや、棺桶に入れ忘れたというのは立派な祟る理由になるのか。気味の悪さとささやかな恐怖で俺は台所に向かった。



「ちゃんといれたんねよ」


「でもさっきも廊下で」


「変ね。住職さんに聞いてみたら?」

 足が悪くて原付で現れた住職である。頭が禿げた恰幅のいい男性だ。よく原付で持ってくることが出来たと葬儀では感心した。


 結局、その日は行くことが出来なかった。課長代理が無理難題を押し付けてきた。主任は電話対応中で帰って来たのは二十三時。このばあちゃんの家も明日で引き払いだ。母さんは掃除と維持で定期的に通うだろう。主任が上手く言ってくれて休みを一日貰った。


 朝に俺は車に乗って家につけた。家の中は母さんがちゃんと準備してくれたおかげで少し荷物を運ぶだけだった。布団の片づけまでさせたのは申し訳なかったと謝ったら、本当にもう。と、叱られた。


 手毬は外廊下にあった。指先で少し強く押した。少し転がった。試しに持ってみようとして、手毬を持とうとした。上がらない。どう力を入れても上がらないのだ。


「母さん、手毬」

 母さんは気づかない。おかしい、これはどう考えてもおかしい。


 手毬から逃げるように俺は寺に駆け込んだ。


「住職さん、住職さん」


「なんかね。比澤の坊主か」


「手毬が、手毬が家に」


「入れて無かったんか」


「母さんは入れたって」


「行くぞ」

 右足が悪いらしく添えをして、ばあちゃんの家に着いた。


「昔、この町にも天神さんがいてな。ここの守護は私らやなくて、天神さんやったんよ。うちは新参もん」


 話によれば半世紀以上前に祟ると聞いた先代の住職が焚き上げをして、この地を収めた。そして天神を封印し、天神のお祭りを廃止し、住職が一か月に一回お清めに行くことになっていた。


 ところが今の住職が足を痛めて、お清めに行けなくなった。一族でお清めの方法を知るのは住職と遠くの企業に勤めている息子さんだけ、清めなかったので、霊障が出たのだろうと聞かされた。



「まぁまぁ、住職さん。足悪いのにどして」


「軽いトレーニングです。ちょっと見て回りますね」

 住職は手毬の前に行き、念仏を唱えた。


「持ってみ」

 軽く持ち上がった。


「奥さん、なんか杖ないか?」


「お義母さんが使っていたのなら」


「それでええ。貸しておくれ」


「もう住職さん。はりきってどうしたん」


「ええ天気や。墓を見まわろうと思ってな」


「足悪いから、寺におってください」

 はいはいと言って住職は寺の方に消えた。



 数日後、住職から連絡があった。


 あの手毬に使われた布は荒神信仰で用いられた布の一部だった。持ち主を守護するのが目的で契りを交わした相手を生涯守り、その生涯が問題だったらしく。人間の方ではなく、手毬の一生だった。要は燃やしても砕いても埋めても、手毬がかけらさえ残っていれば、何度も持ち主のいた場所に帰って来る。


 ただ住職がお清めさえすれば、気味が悪いだけで障ることはないそうだ。お清めに行け無くなったら最後。家を燃やして自分も死ぬかもしれないという恐ろしい展開になる可能性もあるということだ。



 二十年経った今もばあちゃんの家は燃えていない。

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天神様の前で ハナビシトモエ @sikasann

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