第8話 草原での出会い

 雨上がりの朝。

 泥濘ぬかるんだ道をひたすらに歩く。

 町から逃げ出して二日目。広がっていた草原は少しずつ景色を変えて、視線の奥には小高い丘と森が見えてきた。道はどうやら森を中をいく道と迂回する道とで続いているらしい。

 左手には小川が流れ、今は濁った水が勢いを増して流れている。もちろん飲めるわけないが、全くないよりは泥水でもあったほうが良いに決まっている。

 足取りは重い。

 朝の爽快な空気なんてものはなく、今はただ空高い太陽に照らされ、湿気を含んだ空気がまとわりついてくる不快さにどうしようもなく気分が下がる。それでも昨日の夜に大木の下で野宿していたのが功を奏し、雨が降ってもほとんど濡れなかったのは助かった。

 野宿も隠密スキルがあれば幾分安心して過ごせたので、なんとか旅が出来ているというところ。

 それでも準備もろくにしていない状態で歩き続けていることには変わらない。


「やっぱり食べ物だよね」


 道すがら薬草がたまに生えているので採取してバッグにいくつか入れてある。生のままでも多少の効果はあったはずだ。

 けれどお腹が減ったからといって食べるには苦すぎる。草だし。

 遠くに見える森まで行けば何か果物でもあるかもしれないが、危険と隣り合わせではある。

 そう、この世界には動物だけじゃなく魔物がいるのだ。

 始まりの町では薬草採取しかしていなかったのでしっかりと見たことはないのだが、たまに出店の軒先にオークの耳がぶら下がって干してあったりと、魔物は確かに存在する。

 それに魔物以外でも腕の太さほどもあるヒルもいるわけだから、もしかしたら動物だって想像しているような大きさ以上かもしれない。

 そう考えると無理して食べ物を探すよりかは、できるだけ保存食で粘って南の町まで急いだほうが良いと考えた。


「・・・車輪の跡だ」


 荷馬車が通った跡だろうか、泥が盛り上がり二本の線が見え始める。

 形がはっきりと見えるそれは真新しさを感じさせ、朝まで降っていたの雨の中でも移動し続けたのだろうか。それなら少し急げば追いつけるかも知れない。

 それが行商であるなら食料を売ってくれるかも知れないのだ。それに一人で旅をするよりかは複数人で行動したほうが安全のはず。

 もっとも、護衛費用を請求されたら払えるものはないんだけど。


「何やるにしてもお金お金って。世知辛い世界だよ・・・」


 安定した職業というものがどれほど尊いものか、異世界に来てから身に染みて実感する。

 だからといって冒険者をやめて教会専属の治癒士として働こうなんて、あの男神の狂気を考えれば露とも思わない。

 せめてヒール以外のスキルであるクリーンやキュアが使えれば他にも働き口は見つかるかも知れないけど、と視線をバッグに落とす。

 バッグの中にはサグ婆のお店から拝借してきた本、治癒士のためのスキル教本が入っていた。

 たまたま拝借してきたこれがクリーンとキュアを覚えられる本だと分かった時は狂喜乱舞したのだけど、歩きながら読んでもこれがまったくのちんぷんかんぷんである。


「清潔な心を思い描き、魔力を込め、それを手に重ねればクリーンが発動する・・・って抽象的すぎてわかんないよー」


 清潔な心ってなんだ。

 清らかな心?それとも掃除をし終えた後のスッキリした心?滝壺で修行でもすればいいの?

 わけが分からないまま今に至る。

 そしてさらに唐突なソレとの邂逅が私をいっそう、この世界という概念を混乱させた。

 それは何故か道端にあった大きな石と石の間からひょっこり顔を覗かせている。


「──大根?」


 そう、大根。アブラナ科ダイコン属のダイコン。

 少しとがった緑の葉を広げ、隙間の奥には白くて太い根っこが見えている。

 周りを見回しても近くに大根が生えているなんてことはなく、なぜか一本だけ、それも辺鄙な隙間に生えているのだ。

 まるでいつぞやに話題になったど根性大根のような──。


「まさか、ね?」


 いや、何もいうまい。異世界に日本円を普及させる男神なのだ。ど根性大根があっても不思議でもなんともない。

 どことなく罪悪感を感じながら私は大根を引き抜き、ヒールをかけて鮮度を維持したらバッグに詰め込み、歩いていく。

 今日のお昼は保存食と大根とで、昨日よりは豪華な内容になりそうだ。

 生だけど。


 * * *


 ダンはため息一つ、手にもつ金槌を振り下ろしてはそこそこに太い枝をと枝とを釘で繋げていく。枝なので当然真っ直ぐに繋がるわけはないのだが、町まで保てばいいのだ。

 視線の隅、河原には今もまだ横転した状態で荷台が転がっていた。周囲には砕け散った木材も散乱しており、荷台が転がった時の衝撃を物語っている。

 ダン、ユイ、モグの三人は始まりの町から南にあるハマナの町に向かっていた。

 昨日の朝にちょうど護衛を求めていた商人のネルトと知り合い、ユイが旅費が浮いたと喜んで引き受けたのだ。

 結果、こうして足止めを喰らっている。


「ユイ、ネルトのおっさんはどうだ」

「ダメね。捨てるしかないのに『独り立ちした時からの愛馬なんだ』って言って聞かないわ」


 そうか、とダンはそれだけ聞いてまた金槌を振るう。

 元を正せばネルトが「森を抜けるのは避けたい」と言い出したのが最初だ。

 ダンは森を抜けたほうが近いと言ったのだが、泥濘んだ状況では森の中で立ち往生した時の危険もあると言って迂回路を選んだ。

 問題は川から少し高さがある土手を進んでいた時に起きた。

 狭い土手だ。

 小さいとはいえ商人の荷馬車はそこそこ幅をとる。ネルトが繰る荷馬車は道を踏み外し河原に真っ逆さま。

 幸い積荷は無事であったが荷台は砕け、頑丈なフレームだけが残った。車輪が壊れなかったのは奇跡だろう。

 また荷台を引いていたネルトの愛馬も怪我を負った。

 見たところ両前足が折れており荷台を引く役目としても、馬としても致命的である。


「森から離れているとはいえ、フォレストウルフにでもこられたら厄介だな。モグはどうしてる?」

「道沿いの枝を集めに行かせたわ」

「大丈夫なのか?あいつ、E+ランクになったばかりじゃないか」

「これでも私がしごいたからね。フォレストウルフと出会っても逃げて帰ってくるくらいは出来るわよ」

「まったく無茶な指導をして。誰に似たんだか」

「鏡を持ってきてあげましょうか?」


 「いらん」とダンは持っていた金槌と枝をユイに押し付け、馬に寄り添って泣き崩れているネルトに声を掛ける。


「ネルトさん。苦しい心中こころうちだとは思いますが、いつまでもそうしているわけにもいかないでしょう」

「放っておいてくれ・・・。こいつとはもう十年も一緒にやってきたんだ」

「放っておくもなにも我々は護衛です。貴方をハマナまで送り届ける責務がある。替えの馬が必要なら始まりの町まで誰かが戻って連れてくる必要もある」


 ここでネルトを放り出すことは簡単だが、そんなことをすれば冒険者の経歴に傷がつく。もちろん状況が状況ならそれもやむを得ないが、べつに切羽詰まっているわけでもない。

 最悪ネルトを始まりの町まで送り届けることも考えなければならないなと考え始めるダン。ハマナまではまだ徒歩五日分であるから、まだ始まりの町のほうが近い。

 それにしても彼をどう説得したものか、商人にとって馬は財産であるというのも分からなくはないが。

 そんな折「おーい」と遠くから聞こえてきたモグの声。

 振り返れば集めた枝を背負った彼と、見覚えるのある少女がついていた。彼女サナエが何故ここに?と不思議に思ったのだが、冒険者であれば色々事情もあることも多い。

 これが悪意ある者であれば別だが、先日の様子では本当に冒険者になったばかりといった様子だったので、それもないだろう。


「ダンのおっさん、枝集めてきたぜ。それとサナエ姉がいた」


 おっさんは余計だ。それとサナエは見ればわかる。

 モグは枝をユイに渡し、そのまま釘打ちを手伝い始めた。森まで行かないとなると木々は少ないはずなのに、そこそこ大きな枝をそれなりの数集めて来たので、ユイの手解きが良かったのかモグの才能が高いのか。


「えっと、こんにちは」

「どうかしたのか?」

「あ、私がここにいることですよね?まぁちょっと色々やらかしまして」


 着の身着のまま逃げて来たのだとサナエが笑う。

 低ランクの冒険者が町から逃げ出せばならないなんて、人殺しか貴族に逆らったか?なんて物騒なことを考えるのだが、ダンにはサナエを見てもそんなことするとは思えなかった。

 それくらい見抜く目は養って来た自信もある。


「面倒ごとに巻き込まれたか。それで逃げて来たのはいいが、この先の町までは歩いて五日はあるぞ。食料とか準備してあるのか?」

「うぐっ・・・」


 小脇に抱えているバッグからは薬草とどうしてか大根が顔を覗かせているが、それだけだ。そのバッグの中に大量に保存食が入っているとは思えない。


「嬢ちゃん、魔物を狩った経験は・・・なさそうだな。その顔を見るに」

「まだ冒険者になったばかりですから。薬草採取だけで生活してたので」

「逆に薬草採取でよく生活できたな。普通は討伐依頼でもこなさないと厳しいだろう?──ああ、治癒士として小銭を稼いでいたのか?」

「治癒士!?それは本当ですか!?」


 「うわっ!?」とサナエが引くほどに身を乗り出して来たのは涙で顔がぐちゃぐちゃのネルトだ。頬を引き攣らせつつもサナエが頷くとさらにネルトは迫る。


「どうか!どうかジャーグを治してはくれませんか!?」

「ジャーグ?」

「怪我を負ったネルトさんの愛馬だ。──しかし待ってくれネルトさん。確かにサナエは治癒士だが、まだ新米冒険者だ。使えるのはヒールくらいだろう」

「そ、そうです。私はまだヒールしか使えないので」

「ヒールでもなんでもいいのです!どうかジャーグをお願いします!」

「落ち着いてくださいネルトさん。ヒールじゃ癒せるのは小さな傷程度だ。骨折している怪我は治せない」

「そんなのやってみなければ分からないじゃないですか!?」


 困った。

 錯乱気味のネルトにだ。

 こういう時に一縷の望みに縋るという人はこれまでも見聞きしたものだが、大抵は無理してジャーグを治療させて、それで治らないとわかればさらに悲嘆に暮れるか逆上するかというパターンが多い。

 無理にでも止めないと面倒だ、と思った矢先。


「わかりました」

「嬢ちゃん!?」

「本当ですか!?」

「ただし条件があります。一つは私はヒールしか使えません。それでよければ全力で治療します。二つ目は食べ物に困っていて、でも南の町まで行きたいと思っています。なので治療代として食料と、南の町まで一緒に行かせてください」

「もちろんだとも!ジャーグがまた歩けるようになるならそれくらいお安い御用だ!」

「おいおい・・・」


 ダンはサナエの裏をしっかりと読み取っていた。サナエが要求したのはあくまでヒールによる治療であり、その代価として食料と南の町までの同行を条件にしたのだ。馬が実際に治るかどうかは条件としては入っていない。

 悪徳治癒士だなと苦笑いするが、しかしどこかサナエの顔はスッキリとした顔である。とてもネルトを手玉にとった者がするような顔ではない。

 そう、それはどちらかといえば誰かを助けられるといった、期待に胸を躍らせているような、そんなサナエの顔がダンの瞳に映るのであった。


 * * *


「──ヒール」


 サナエの両手から光が溢れ、側から見ても「温かい」と感じる波動がジャーグの右足に吸い込まれていく。


(・・・普通のヒールだな)


 あまりにもサナエが自信満々だったので、何か秘策でもあるのかと思ったのだが、どうやら思い込みすぎだったようだ。

 冒険者初心者にしてはたしかにヒールの発動は上手いし、ヒールの発動にもムラがないので優秀といえば優秀かもしれないが、それだけだ。これでは骨折ほどの傷は癒せまい。

 横で見守るネルトには悪いが、気が済んだら彼を担いででも町に戻るしかないだろう。


「どうですか?」

「まだ始まったばかり、です」


 とはいえヒールに癒し効果があるのは確かなわけで。それまで痛みで執拗にいなないていたジャーグもすっかり大人しくなった。

 この間に少しでもネルトの頭が冷えてもらえれば説得もしやすいだろうなんて考えいた時、ふとサナエから放出されるヒールに目が留まる。


(まて、さっきから嬢ちゃんはどれくらいヒールを掛け続けている・・・?)


 通常のヒールは怪我の程度にもよるが、十秒にも満たないうちに発動を終える。ダンはそれが普通だと思っているし、そもそもヒールですら結構な魔力を消費するのだ。

 それにヒールの質。先ほどは初心者にしては発動もスムーズでムラがないとは思ったのだが、すでに三十秒はヒールを掛け続けているというのにサナエの放出する魔力に揺らぎがない。

 それどころか徐々にコツを掴んだと言わんばかりにヒールの出力があがり、周囲には光子が溢れだす。


「おお・・・足が、足が治って・・・!」

「そんなまさか・・・」


 にわかには信じがたい光景が起きていた。

 少しずつ、とてもゆっくりだが変形したジャーグの折れ曲がった足が、本来の形へと変形していくのだ。

 常識がひっくり返る、そんな奇跡に冒険者になって十年を数えようかというダンですら興奮を隠しきれない。

 固唾を飲んで見守れば、ジャーグの足は右足は完全に元通りとなり、ヒールの光が霧散した。


「左足もこのまま行きます」

「お、おい。大丈夫なのか?さっきから相当魔力を消費しているようだが」

「今の感覚を忘れたくないんです。──ヒール」


 再現される奇跡。最初は様子見といったようでヒールの光は弱いが、サナエは大丈夫だと安心した顔をした途端、一気にサナエの両手から光が溢れ出す。魔力をだいぶ消費して疲れているだろうに、微塵も感じさせないほどに大量の光子が宙を舞う。

 見惚れていたと気づいた頃には左足も完治しており、ジャーグがゆっくりと立ち上がる。


「ジャーグ!よかった、治ったんだな!」


 サナエに何度も「ありがとう、ありがとう!」と頭を下げるネルトといきなり立ち上がった馬に何事かと駆けつけてきたユイとモグ。


「なになに、どうかしたの?──ってほんとどうしたの?なんで立てるの?」

「嬢ちゃんが治療したんだ」

「えっ、サナエ姉ちゃんってキュア使えたのか?」


 「いいや」とダンは首を振る。


「信じられないだろうが、ヒールだけで治したんだ」

「「え?」」


 こいつ、頭でもおかしいのかと言われんばかりの目で二人から睨まれるダンであったが、事実だからどうしようもない。

 ただ三人の前には小躍りしてよろこぶネルトと、やり遂げたと言った感じのいい笑顔をしたサナエが楽しげに笑っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

野良聖女はお節介で世界を救う えだまめのさや @saya_chiffon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ