満月の守り神、明笑暗涙

青時雨

満月の守り神、明笑暗涙

今日は、儀式の日だった。

村を守るために千年に一度、必ず行わなければならない大切な儀式。

儀式には贄が必要だ。

贄には決まって病に侵された人間が選ばれた。病持ちの贄の魂を捧げると、魂を得た守り神がその病を浄化してくださるのだ。浄化とは、村の人々が贄である人間と同じ病で苦しむことが二度となくなるということである。

この年、贄に選ばれた繚乱りょうらんという名の青年は、もう長くはなかった。

繚乱は止まらぬ咳をしながら儀式の間へ向かっていた。儀式の間のある寺は山の山頂近くにあり、儀式を行うためにはまず登山をしなければならなかった。付き添いさえ許されない病人にとって、それは過酷なものであった。登山の途中で命を落とせば、その年から千年もの間村には守り神が不在となってしまう。

苦しさのあまり時々足を休めては胸のあたりを鷲掴み、少し治まると一歩ずつ寺への歩みを進めた。

やっとの思いで辿り着いた儀式の間に村の人間は誰もおらず、静謐な空間に繚乱の咳だけが響く。

畳に腰を下ろすと、繚乱はひとつ深呼吸をしてから口を開いた。



「私が贄でございます」



すると、奥の襖が開かれ陰陽師が現れた。彼は繚乱の目の前に座ると、袖から取り出した木箱を並べ始めた。



「其方は死す以外の道を選べぬ。しかし、其方には其方とこの村を守ってくださる守り神を選ぶことが出来る」



陰陽師は静かにひとつの木箱を掲げて見せた。



「木箱には各々異なる妖を封じ込めてある。其方の魂を捧げることで、悪戯をする厄介な妖ではなく、この村の守り神に様変わりする」



妖は物凄い力を持っているが、それを人間を少し困らせるような悪戯にしか使わないと言う。そんな妖に贄である人間の魂を捧げることで、この村とこの村に住む人々を守る守り神に生まれ変わるのだという。



「では、僕が魂を捧げる妖を選べるということですね」


「その通りだ。其方がどのような妖を選ぶかにこの村の今後五十年がかかっていることを忘れぬよう…。選んだ木箱を開けた時、其方の魂は捧げられる」



そう告げると陰陽師は儀式の間から出て行ってしまった。

儀式の間には繚乱と、六つの木箱。



「選べ…か。君たちは人の言葉を話せるか?」



六つの沈黙する木箱の中で、二つの木箱だけが人の言葉で答えた。



『そうだな、話せる。話せるが、だからと言ってなんだというのだ』



右から三つ目の木箱はそう言った。次に言葉を発したのは左から二番目の木箱。



『学ぶことは楽しい。知らぬことを知るためであれば、何でもしてしまうのが妖さ。そこに理性も道徳もありゃしない』



話す二つの木箱を繚乱は手に取り、傍に置いた。



「死ぬ前に話がしたかったんだ。ただそれだけのことさ。病人と話をしてくれる人間はいない。同じ病に侵されたら大変だからな」


『くだらん理由だな』


『そう言ってやるなよ。か弱い人間の最期のお喋りに付き合うくらいしてやってもいいじゃないか』



繚乱はこれまでの自分の人生を振り返るように、二つの木箱に語った。時々木箱から疑問の声が上がり、時には木箱から笑い声が上がった。



「そろそろのようだ」



咳のせいで呼吸さえままならなくなり弱りきった繚乱は、話を聞いてくれた二つの木箱を静かに開けた。

すると、コトンという耳に心地よい木の蓋の開く音と共に、黒い霞と白い霞のようなものがそれぞれの箱から這い出てきた。



「陰陽師には木箱を選べとは言われていない。だからつまらない平凡な男のお喋りに付き合ってくれたお前たちに魂を捧げることに決めたよ」



すると意志を持った黒と白の霞は、各々繚乱の手の甲に接吻した。

その途端、繚乱は事切れた。




山の麓で合掌し儀式が上手くいくことを祈願していた人々。彼らは、下山し眼前に現れた守り神を見て驚愕した。



「守り神様が、お二人もいらっしゃる」




─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─




村の守り神はこれまでの歴史では贄の魂を丸ごと得ていた。しかし彼らは繚乱の魂を各々半分ずつ得ている。そんな彼らを月に見立て、村の人々は弓張月ゆみばりづき様と呼ぶようになった。



「ねえ暗涙あんるい、私は今日、芋畑の向こうに住んでいる石座殿に降りかかろうとしている病を祓いに行こうと思う」



大きな垂れ目に愛嬌のある笑顔。白の衣を纏った弓張月様を、明笑めいしょうといった。



「明笑。いつも言っているが、あまり手を差し伸べてばかりいては、いずれ人の子は自力で立っていることすら出来なくなるぞ。悲しみや悔しさや怒りといった負の思いこそが、人々を前に進ませる力になることもある」



射るような鋭いつり目に、人を寄せ付けない怜悧さ。黒の衣を纏った弓張月様を暗涙といった。

ある村人たちは守り神である二人の力を崇拝し、敬意を込めて弓張月様と呼んでいた。ある村人たちは自分たちを守ってくれる心優しい彼らを明笑、暗涙と親しみを込めて呼んでいた。

二人のこの名は、妖時代から名乗っているものである。二人はかつて妖であったが、特に接点もなければ生まれた時代も大きく異なる妖だった。しかし、同じ繚乱という人間の魂を半分ずつ分け合っているせいか双子のように似た姿見をしていた。

美しい長髪は結われ、佇まいも美しい。好きな食べ物まで蒸した芋と同じだった。



「石座殿を助けること即ち芋が無事に育つ。その芋を食べてすくすく育つ子がいる。なぁ、この村のためだろう?」


「私もこの村のために言っている。石座を見殺しにすれば、悲しむ人間はいるだろう。しかし、他に芋を作ろうと立ち上がる者が現れるはずだ。この村で石座しか芋を作れない状況を放っておく方がまずいと思うが」



二人はとことん意見が合わなかった。

今目の前の村人を助けたい明笑と、村の未来のためになることを考え行動する暗涙はよくこうして揉めた。

けれど、いつも折れるのは暗涙の方だった。



「…はぁ、そんな目で私を見るな明笑」


「ありがとう。夕餉の私の芋、ひとつ君にあげるよ」


「仕方あるまい。ではお前が石座のところへ行っている間、私は芋の作り方でも子どもたちに伝授しに行くとしよう」




─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─




ある時、大きな厄災が村を襲った。

天からは大きな雨粒が降り注ぎ、食物は全て無に還ってしまった。原因不明の病も蔓延り、村はこれまでにないほどの窮地にあった。

村の人々は寒さに身を震わせ、氾濫する川を恐れ、食べるものがなく腹をすかせていた。高熱に苦しむ我が子の頭を撫でることしか出来ない父親は、泣いていた。

それでも人々は希望を捨てなかった。自分たちには守り神弓張月様がついていると、己を鼓舞し続けた。




そんなある日、ついに村人たちの心を折る出来事が起きた。

龍の如く暴れた川の水が、村を襲わんと迫りきたのだ。

人々は暗涙の進言で、五十年に一度だけ贄だけが立ち入る儀式の間に避難することになった。

止むことのない雨を力を使って淑やかなものへと変える暗涙を筆頭に、村人たちは寺を目指して山を登り始めた。

村に誰も残っていないか確認を行っていた明笑に、ある老人が恐れ多そうに声をかけた。



「申し訳ありません弓張月様」


「どうしたんだい?、桃の木ばあや。早く逃げないとだめじゃあないか」


「その、孫の大地が見当たらないのです。どこへ行ったのか見当もつかなくて、あの子ずっと家に帰りたいと話していたのでもしかしたら…」



不安に推し潰れそうな表情をする彼女の肩に手を置き、明笑は「大丈夫だ」と優しく声をかけた。



「桃の木ばあや、安心して山を登りなさい。私が探しに行くから」



桃の木ばあやの屋敷は最も川辺に近い場所に位置している。もしもそこへ大地が向かったのなら、今すぐにでも助けに行かなければ。

突き動かされるように明笑は、迷わず迫り来る川の方へと向かおうとした。

しかし、足が動かない。



「どうしたっていうんだ……」



ふと自分はいつも暗涙と行動を共にしていたことを思い出す。



「そうかッ」



村の人々を連れて山頂に無事辿り着いた暗涙は、村人たちを寺の中へ入るよう促した。

ふと、魂越しに直接語りかけてきている小さな声に気が付く。



『暗涙大変だよ。大地の行方がわからない。恐らく川の方へ行ったんだと思う』



暗涙は人々を励ましながら、魂越しに明笑に答えた。



『どうした、不安になったか?。助けに行けるだろうお前なら』


『それが無理なんだ。私と暗涙の距離が離れすぎると、どうやら守り神としての力を使えないようなんだ』



繚乱の魂を半分ずつ持っている明笑と暗涙は、二人で一人の守り神。その為二人が離れた場所にいると、守り神としての力を使えなくなる。

その為に、二人に一定の距離が出来ると、それ以上離れられないよう見えない力が働くことに明笑は気がついたのだ。



『私は大地を助けたい。暗涙、こっちへ戻ってきて』



暗涙は儀式の間で身を寄せ合いながら怯えている人々を見回した。そこにいる村人みなが「弓張月様」「暗涙様」と自分の名を呼びながら不安な心を必死で鎮めようとしている。



『私もここへ避難した者の怪我や病の様子を逐一見てやらねばならない。雨に打たれながらの登山に高熱を出した者も多い。ここを離れれば何人もの村人が命を落とす。明笑もそれは望まないだろう?』



小さな子ども大地と、多くの村人。今、守り神弓張月である明笑と暗涙は、その天秤にかけられたどちらかしか救えない状況にあった。



『…わかった』



折れたのは、意外にも明笑の方だった。いつも自分の意見を頑として譲らなかった彼がこの局面で折れるのは意外だったが、暗涙は少しほっとしていた。



『大地のことは残念だが…』


『諦めるなんて私は言ってないよ』


『は?、それはどういう…』


『ごめんね、暗涙。これからのこと、全て君に背負わせてしまって』


『おい、どういう意味だ』



それ以降、明笑の声が聞こえることはなかった。

そして、ほんの少しだけ体が重くなった気がした。










後日、厄災は最初から何もなかったかのように去り、村には元通りの日常が訪れていた。



「暗涙、桃あげる!。ばあちゃんからのおすそ分け」


「…大地、わざわざすまないな」



あの日、大地は亡くなった祖父の墓へ向かった。危険だとわかりながら、祖母の大好きだった祖父の墓石を守るために家へ戻ってしまったと。

襲い来る龍の如く荒ぶる川に飲み込まれそうになった時、白い霞が助けてくれたそうだ。

その白い霧は明笑によく似た声で「もう大丈夫だから」と大地に言ったらしい。



「明笑のお兄ちゃんの分も、ここに置いておくね。…明笑のお兄ちゃん、僕らを助けるために死んじゃったってばあばから聞いた」


「ああ。あいつは守り神として…」



……妖の姿で厄災を祓った。

妖に人を救いたいなどという善良な心などない。贄の魂を捧げられ守り神になることで初めて人のために生きる。私のように。

それなのにあいつ…



「明笑は本当にお前たち人間のことを思ってくれていた」


「暗涙お兄ちゃんもでしょ?」



暗涙は口を噤んだ。

これまで、自分は本当に人のために守り神として生きていたのだろうか。陰陽師に捕まった後から自暴自棄になり、仕方なく守り神をやっていたのではないか。



「私は役目を果たすその時まで明笑のように生きると誓う。だから安心して生きろ大地」


「?、うん」



体が少し重く感じた理由が、明笑の得た繚乱の魂が自分の元へ来たからだとわかったのはもう少し後のことだった。

私は、もう弓張月様と呼ばれることはなかった。明笑が私に託した繚乱の半分の魂と、私が繚乱に捧げられた魂、その二つを合わせ持つこととなった私は、もう弓張月の名には相応しくなかったからだ。

この先十年、百年とこの村の人々から私はこう呼ばれるようになった。




満月の守り神、明笑暗涙




得た魂を私へ託し、妖の姿に戻っても人に心を砕いたお前のことを、私は忘れない。

人々にもお前の存在がいつまでも忘れ去られぬよう、名を借りるぞ。

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