猫又と垢嘗と隣人と

 凍てつく冬暁ふゆあかつき。夜明けの日の明かりが照らす道路を、まだ眠り足りない車たちが数台、よぼよぼと進んでいく。5時のこの時間は、そこまで車通りもなく車道が空きに空いていた。

 この街に寂しげに建っている、あるワケ有りの1LDKのマンションの一室には毎朝、毎夜、『何か』が宿主を見貫みつらいている。それが霊の類いか、あやかしの類いかは定かではないが、家主が気味悪がり、その一室だけを法外な安さで貸しているのが、唯一ゆういつ証左しょうさになるだろう。

 突如としてカーテンが開かれる。夜中に獣のうめき声が聞こえる。坊さんの念仏と共に、家の中の蝋燭ろうそくが付いたり、明かりが消されたり。諸々の怪奇現象で、この家に住んでいた住人たちは皆、精神をやられてしまい、この家に噂だけを迷子のように残し、去っていってしまったそうだ。

 そしてまた一人、若い女教師が噂の証人に……。

「ぎにゃぁぁぁぁあ!!もうっ!うんざりじゃ!」

「……朝から騒々しいぞ、アシナ。みっともなく泣きわめくんじゃない。それでも立派な妖怪様かぁ?」

 この者たちはここの住人ではない。この家に居候してる妖たちである。何を隠そう、この二体の妖、猫又ねこまた垢嘗あかなめが噂の真相なのである。

 二人の名前はアシナとネブリ。数十年前の住人が水まわりの掃除を怠ったことでネブリが産まれ、10年前の住人が死なせてしまったメスの老猫ろうびょうからアシナが産まれた。

 二体は会った頃から心を通わせ、親しくなり、お互いに誘い合っては住人に悪戯いたずらをしているのだが、2年前から住み始めた住人、この女教師には、どうやらあまり作用していないようだ。

「だって……、だってっ!何なんじゃ!あの若人わこうどは!?儂らが代わる代わる、時には同時に悪戯を仕掛けていると言うのに、何故一度たりとも気付かないのじゃ!?可笑おかしいぞ!!」

「……まあ、確かにそうだわなぁ。洗面所から出てきた途端に天井から脅しかしても全く気付かんし、念仏を唱えても、聞いてくりゃあしない。寝ている時に呻き声を上げても何も反応なし。電気チカチカも意味なかったしなぁ」

「……もう少し反応してくれたっていいではないか。これでは一人芝居をしてるようじゃ」

 アシナはさっきからくるまっているこたつに、顔をうずめて、ぐぅぅぅとくぐもった鳴き声を響かせる。

「なぁアシナお前さぁ、別に実体はないから寒くないし、こたつ入る意味なくないか?」

 その様子を不思議に思ったネブリがそう聞くと、アシナはこたつの中に入ったまま、くぐもった声で答えを返した。

「こたつの中はなんでか暖かい気がするのじゃ。それに着物がはだけてると見た目的に寒い……」

「じゃあ着込みゃあいいじゃん……」

 当然の主張を幼気な猫又(妖たちの年齢は50歳くらいで立派な一人前くらいである)にぶつけておき、ネブリはここの住人の起きる音を壁越しに感じる。

「ふわぁぁー、起きた、起きた。学校行かないと……」

「噂をすれば、だな。アシナ、起きてきたぞー」

「しゃしゃしゃー!」

 ここぞとばかりにアシナがドアの傍に身を屈め、目を細めた。

 ドアが開いた瞬間……。

「キシャー!!」

 ネブリが最大級の威嚇を披露するが、ドアも住人も華麗に体をすり抜け、何事もなかったかのように通り過ぎて行った

 もはや日常となってしまったその光景にアシナはぐったりうつむき、ネブリは呆れる。

「まあまあアシナよう、そう気に病むこたぁねえだろ?ほら、また魚を食べられると思って元気出せや」

「うぅ、不甲斐なし……!」

 そうこうしてるうちに女教師はと言うと目にも止まらぬ速さで身支度を終え、今から家を出るところだった。

「行ってきまーす……。あれ?財布どこやったっけ。あ、あった」

 ギイィー、バタン。耳障りな音が響き、扉が閉まる。その様子を恨めしそうにアシナは見送って、思い出したかのように冷蔵庫に向かった。

「魚!魚!今日は何があるかのぉ♪」

「キンメダイだぜ!こりゃあ上物だぁ。なあなあ、俺にも少し分けてくれや」

「いーやーじゃ!これは儂のじゃ!絶対に渡さんぞ!!」


 女教師はまだ扉前にいた。何をしてるかと見てみれば、何やら扉に耳を付けて家の中の音を聞いているようだった。音が耳に届くたびに、女教師はくすくすとほくそ笑む。

 その姿を手巻たばこを吸いに来たお隣の女性が見つけ、火をたばこに移しながら話しかける。

「なんだ、小雪の嬢ちゃん。また『ワケアリ』どもが話してるのか?」

「そうなんですよつむぎさん。いつも学校に行く前に聞くと可愛いくて癒されるんですよ」

「へぇ、私には一切見えないし、会話も聞こえないがね。私も似たような物が見えるから気持ちは分からんでもないけどね……。まあ、何にせよ今日も学校頑張って来なよ」

「はい、行ってきます!」

 もう一度、小雪は扉に耳を付けて、未だに喧嘩してる妖たちに向けて、心底愛おしいそうに、

「行ってくるね、アシナ、ネブリ」

 そう届くはずもない言葉を投げ掛けたのだった。

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妖観察記 @shiki-tea

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