担当降りろ!

眞魚エナ

担当降りろ!

「あれ? 藤野ふじの、今日はサッカー部行かないんだ。めずらしい」

 話しかけてきたのはクラスメイトの津賀つがだった。席が近いのでたまに話すけれど、連絡先を知ってるような間柄ではなかった。私は参考書から視線を外して、もう引退したからと答えた。

「でも、その後も何度か行ってたでしょ」

 津賀はすっかり話し込む体勢みたいで、私の席の正面の椅子に座ってこちらに振り返る。

 必要があって行っていたわけじゃなかった。

「受験勉強以外、やることなくて。まぁ、いいことなんだろうけど」

「……まだ未練ある?」

 嫌な質問だとは思わなかったが、少し困った。最後の試合に怪我で出場できなかった悔しさも、たぶんある。けれど、本当のところは楽しかった部活での日々を手放せていないだけなのかもしれない。

 頭のなかで絡まった糸を一本一本ほどいて、言葉をつむぐ。

「どうかな。やることなくなっちゃった、っていうのが素直な気持ち。私はあの部のみんなとするサッカーが好きだったから、大学でも続けようって気にはあまりなれなくて」

 一応キャプテン、だったから。みんなのためにやるべきことは多くて、でも私にはそれが楽しくて。その役割が、いきなりなくなってしまった気がしていた。

 居場所、だった。

 そっか、と津賀は納得した。もったいないとか、そういうことを言われなくてほっとした。

 沈黙と、言い淀むような気配。意を決したように、彼女は口を開いた。

「じゃ、代わりにあたしの担当になってよ」


 ほとんどスポーツ用品くらいにしか使わなかったバイト代を、初めてライブチケットに使った。

 津賀に借りた電池式のサイリウムだけ握りしめて、小さなライブハウスに迷い込む。コロナ禍でいわゆるコールが禁止されていたのが、逆に私を安心させた。

 ステージ上に登場したのは四人の女の子。その中のひとりが見知った顔だった。メイクと衣装を纏ってまるで別人みたいなのに、紛れもなくクラスメイトの津賀で、夢の中にいるような曖昧な気持ちになる。彼女の活動を、私はこれまで全然知らなかった。

 曲が始まり、四人のダンスに合わせて見様見真似でサイリウムを振る。大音量に心臓が跳ねる。目まぐるしいスポットライトに目眩さえ覚える。たまに話すだけだったクラスメイトの歌声を初めて聴く。想像していたよりも飾った声じゃない、直接骨を震わせるみたいな力強い歌。

 動揺の陰から様子を伺うみたいに、少しずつ楽しさが顔を出す。

 歌の合間に、アイドルたちがファンに向かって声を上げる。来てくれてありがとうとか、今日は楽しんでいってとか。呼応するようにサイリウムの波が揺れる。

「今日初めて来てくれたみんな!」

 津賀が声を上げる。それに応じて、何人かがサイリウムを振る。私も遠慮がちに応える。

 汗だくで、髪も乱れたまま、彼女は――勘違いじゃなければ、私を指さして――自信満々に笑った。

「今日であたしのこと、好きになってもらうから!」

 ――ぱきん、と。

 ほかの観客の興奮なんて目に入らないくらい、それは私の中のなにかを、ただ一撃のもとに壊していった。


 次の月曜日、魔法が解けたみたいに普通の顔で登校してきた津賀を、私はそれでも直視できなかった。日常でしかなかった教室が異次元空間に変貌している。

 挙動不審の私をよそに、津賀が私の席にやってくる。マスク着用とか関係ない。顔が見れない。津賀は挨拶も省いて笑って言った。

「藤野、そのまま帰っちゃったでしょ。チェキ会きてくれないんだもん」

「あ……ご、ごめん、だめだった?」

「全然だめじゃないけど。気に入ったら物販は来てくれると嬉しいかな。チェキ券買ってくれたら一緒に写真撮れるし」

 初めてだし気にしなくていいどね、とまるで世間話みたいに津賀は言うけど、こっちはそれどころじゃない。

 顔から火が出そうって、たぶんこのこと。必死で津賀の手の爪ばかりみてる。

 押し黙る私を見て何かを察したのか、彼女の声も緊張を帯びた。

「……藤野、やだった? ごめん、合わなかったならもう無理しなくていいよ」

「あ、違う、そうじゃなくて!」

 致命的な誤解を生む前に、私は絞り出すように言った。

「津賀、か、可愛くて……目、あわせらんないの……」

 泣きそうになった。今の私、すっごく気持ち悪い。恐る恐る津賀の顔を見返すと、ぽかんと目を見開いたあと、すっと瞼を細めて、

「――今さら気づいた?」

 私を壊していったあの笑顔を浮かべているって、マスク越しでもわかってしまった。


 それから私は受験勉強のかたわら、すっかりひばりのファンなった。

 慣れないSNSを始め、彼女の所属グループのアカウント、彼女の個人アカウント、動画サイトのチャンネルを常にチェックするようになった。もともと洒落っ気のなかった私は姉に服を借りたり化粧を教えてもらったりして、現場に行く時は精一杯おめかしするようになった。

 現場で友達も出来た。少し年上だけど女子大生のお姉さんや、最初は熱量に負けて敬遠していた男性のファンともよく話すようになった。

 こんな調子じゃ受験に響くかも――なんて心配もしたが、むしろぼんやりと続けていただけの勉強にメリハリがついて成果は上がっていった。

 ひばりのことが好きになっていくたび、毎日楽しくて仕方なかった。

 けれどそれに反比例して、学校で彼女と話す機会は減っていった。

 クラスメイトとはいえ、いちファンでしかない私がひばりと親しげに話すのはずるいことだと思ったのだ。現場で出来た友達にだって、ファンになったきっかけを正直に話すのはためらわれた。

 みんな、一瞬しか会えないあの時間を大切にしている。私みたいなのが自分の都合で壊していい夢じゃない。

 学校でひばりから話しかけられることも多かったが、なるべくすぐ話を打ち切るようにした。

 つらかったけど、当然のことだと思った。アイドルのプライベートに立ち入るのはご法度なのだ。

「……最近あたしのこと避けてるでしょ。推し変した? 正直にいいなよ。ブチ切れるから」

 一度だけ、チェキ会でひばりに面と向かって言われた。もちろん避けているのは学校での話で、周りに人がいる場でその話をするのはかなり危なかった。そんなことないよ、世界で一番好きだよ、とか慌てて伝えたら引き下がってくれたけれど。

 受験シーズンが佳境に入り自由登校になると、ますます学校でのひばりとは疎遠になっていった。

 本音を言えば寂しかったけど、それでいいと思った。

 これで私も、本当のファンになれたんだ。


 無事大学にも合格して、卒業式の日を迎えた。

 青春時代を共にしたサッカー部のみんなともう一度きちんと別れを告げて、私は憑き物が落ちたみたいに晴れやかな気分だった。これも全部ひばりのおかげだ。

 桜の舞う校舎を名残惜しんでいると、いきなり誰かに肩を抱かれた。

「藤野。写真撮ろ?」

 声を聴けば顔なんか見なくてもわかった。私より背の低い、世界で一番可愛い女の子。

「ひば……つ、津賀? でも……」

「でもなに? 写真なんかいつも撮ってるでしょ」

 それはチェキ、なんだけど。

 ひばりは笑顔だったけど、有無を言わせぬ迫力があった。そのまま強引に連行される。今も卒業生たちが集まって各々記念写真を撮っている桜並木に引きずられる。

「はい、マスク外して笑って。卒業おめでと~」

 桜の下でぐっと肩を引き寄せられ、ひばりのスマホの画角に入り込む。やばい、今の私、とても見れた顔じゃない。顔が近い。手汗すごい。まともに笑顔もつくれないままシャッターが切られる。

「写真送るから連絡先交換しよー」

「え、でも……」

「でもなに」

「よ、よくないと思うよ……」

 ファンがアイドルの連絡先知ってるなんて。そりゃクラスメイトなら知ってても不思議じゃないかもしれないけど、でも……

「あはは。卒業までずっと推しに避けられまくってたあたしの気持ちわかる?」

「え?」

 突然、ぱっかーんと。ひばりは手に持った卒業証書入れの筒で私の頭をひっぱたいた。

 呆然とする私に、ひばりはものすごい剣幕で叫んだ。

「あたしは!! あんたと!! 仲良くなりたかったのっっ!!」

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