変態小説(吊り革)

森下 巻々

(全)

 あの『古事記』では、黄泉の国から逃げてきた伊邪那岐(伊耶那美の夫)が、身についた穢れを取り除くために身に付けたものを投げ棄てていく。その其々から神が出現するとのことだった。

 わたしが言いたいのは、物に見えない何かが付着していそうだという感覚、これなのだ。神話の解釈は別として、わたしはその感覚は変だと思っていた。

 高校生の時の話。わたしには、通学の間にパスを利用するエリアがあった。わたしはたいてい坐ることができたのだけれど、運行が進んでいくと、そうできない乗客も出てくる。

 或るとき、クラスメートのが立っているにもかかわらず、吊り革を怯えるような表情で掴んでいることに気づいた。掴んでからも、表情が何だか変だった。わたしは、彼を見ながら、潔癖症なのかななんて思っていた。

 でも、次の日に気づいたときには、彼は吊り革を掴んでいた。晴れやかな、紅潮したような顔をしている。少し気味が悪かったくらいなのだ。まあ、何かいいことがあったのかなとは思えた。

 その一週間後だったか。わたしは、見た。

 彼が、バスに乗ってきたとき、それまで立って吊り革を掴んでいた女性が空いた席に坐ったのだ。彼は、絶対それを見ていたと思う。見ていて、その女性が掴んでいた吊り革を選んだのだ。

 わたしは「えーッ!」って声に出そうだった。

 実際、彼はこの日も頬を紅潮させ始め、御満悦そうな表情に見えた。

 、自分の好みの女性が触った後の吊り革を掴みたいってことでしょう。異常じゃないかなと思った。

 わたしは、クラスメートの女の子に、そのことを話した。彼女はどうしてか、見てみたいなんて言って明くる日の朝にバスにやって来た。

 彼女、乗っている間は携帯電話を見ているふりをしていたはずなんだけど、降りるときに、何故か落としちゃったみたいだった。そしたら、が、

「これ、落としたよ」

 その後の彼女の表情を見て、わたしの感覚の方が変なのかなって、そのときは思ったけれどね。

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