006
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「……どこだ、ここは」
目を開けて見えたのは、真っ白な天井。腹のあたりには包帯がグルグル巻きにされていて、手には確かに年齢を表すシワが刻まれている。
「戻ってる」
壁にかかった鏡を見て、俺は元のアラサーになった自分の姿に驚いた。こっちの顔との付き合いの方がよっぽど長いのに、随分と懐かしく感じるモノだ。
立ち上がろうとすると、ズキリと傷んで再びベッドへ倒れ込む。その時、廊下の外を歩いていたナースが物音に気がつたらしい。恐る恐る部屋の中へ入ってきて、挨拶をした俺を見て脱兎の如く医者を呼びに行った。
「刺されてから、あなたは二週間も眠っていたんですよ」
白髪の聡明そうな医者によれば、どうやらそういうことらしい。幾つもの死を見届けてきた彼らにとっても、なんの脈略も無くいきなりブッ刺されて内蔵をシェイクされた天涯孤独の患者を、あっさりと見捨ててしまうのは心苦しかったらしい。
「いやぁ、意識が戻って本当によかった。傷が治るまでは、ちゃんと安静にしていたまえ」
診察が終わり、果たしてあの二度目の人生はなんだったのかと考えていると、ナースの一人が小さな紙袋を持って現れた。それを受け取り、さっそく中身を確認する。すると、そこには一冊のハードカバーの本が入っていた。
「……春川、優子」
タイトルは、『今でも』。
あらすじを読むに、初恋を引きずったまま社会を生きるアラサー女性が、ある日想い人に再会して十数年越しに初恋を成就させるという、聞いただけで辟易としてしまうよう甘々なラブストーリーだった。
「……ははっ」
一体、なんてラブレターを世の中に放ってくれたんだ。出会いから叶わなかった理由まで、すべてが俺との出来事ではないか。しかし、これをノンフィクションとして受け取るような読者は一人も存在しなかったのだろう。帯を見るに賞まで取っているのだから、世の中がどれだけバラ色を求めているのかよく分かる。
「そうか。本当に、プロ作家になったんだな」
しかし、一体どういうことだろう。
俺が刺された世界では、春川は自殺してしまっていたワケで。にも関わらず、医者は俺が二週間ばかり眠っていたと言っていた。ということは、連続しているのは元の世界なのだが、それでも春川は存命し、おまけに夢まで叶えている。
これが、奇跡というモノなのだろうか。だが、それにしたって――。
「まぁ、考えても仕方ないか」
すっかり麻痺しているが、冷静になってみれば俺がやり直しの機会を与えられたこと自体が物理法則を無視したトンデモ体験だったのだ。ならば、やり直した世界と元の世界の歴史が混合されて、春川が幸せになれた世界が構築されていたってなんの不思議もない。
事実は小説より奇なりという。ならば、この結末をトゥルー・エンドと呼んだって、誰も文句はないハズだ。
だって、そうだろ? 俺に足りてないロマンスを満たすには、これだけ気を使ってやらなきゃならないって世界が思ったんだから。
「サエキさん、面会の方が見えてます。春川さん、という女性の方のようですが」
「通してください」
さて、彼女がここに来たら何を聞こうか。なにせ、気になることは山ほどあるのだ。
俺と春川は、俺が車に轢かれてからどんなふうに過ごしてきたのか。彼女が本を出すにあたって、本当に俺があの内容を認めたのか。主人公目線で描かれたモノローグの春川の声は、当時考えていたことなのか。あんなことを今でも思って、こんな情けない俺を追いかけていたのか。
質問を考えると、枚挙にいとまがない。そして、そのすべてを訊ねた時に見られるであろう現代のバラの色を、俺はどうしても知りたかった。
……静かに、扉が開かれる。
「……サエキ君!!」
大人になった彼女だが、それでも抱き着いた心臓の音は、今でも変わらず何よりも大きかった。
【中編】やり直しトゥルー・エンド 夏目くちびる @kuchiviru
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