聴こえないメロディー

旗尾 鉄

第1話

 ここ数日、奇妙な夢のせいで睡眠不足だ。


 見るというより、聴くといったほうが正確だろう。

 真夜中、俺が眠っていると、なにやら不思議なメロディーが聞こえてくるのだ。たぶん笛の音だと思うが、フルートとも縦笛とも違う。

 その音色で目が覚める。音は明らかに屋外から聞こえるのだが、明け方になると消えてしまう。

 その音色は俺の心と脳を激しく捉えて離さない。目が覚めるともう眠れない。


 俺はもともと寝つきが非常に良く、眠ってしまうと朝まで記憶がないというのが普通だ。夢もめったに見ない。

 それなのに、こんなことがもう一週間近く続いている。


 音の正体を確かめたくてたまらない。というか、俺はなんともいえないその音色に強く惹かれていて、近づいてもっとよく聴きたいという思いが日々募るばかりなのだ。


 だが、夜間に外へ出る勇気はない。

 この寂れた地方都市では、現在進行中の形で連続殺人事件が起きているからだ。


 俺が転勤でこの町に引っ越してすぐのころ、第一の事件が起きた。

 町を囲むように広がる森の中で、若い女性の遺体が発見されたのである。

 遺体の状態から、当初は野犬に襲われたと思われていたのだが、現場で人間らしき足跡が発見され、殺人と断定された。犯人はなにか獰猛どうもうな動物をけしかけて被害者を襲わせた、というのが警察の見立てらしい。


 同様の事件が、一か月弱に一度のペースですでに三件も発生している。そしてタイミング的には、三件目の事件から一か月が近づいている。

 ワイドショーによれば、警察は大型犬などのペット関連から捜査しているが、一向に進展がないらしい。夜間の外出は控えるようにと呼びかけるのが精一杯なのである。





 今夜もまた、俺は笛の音で目覚めた。

 不思議なその音色が、俺の心を掻きたて、ざわめかせる。

 この音を、もっと近くで感じたい。もう、我慢の限界だ。

 俺は護身用に、テーブルにあった果物ナイフを手にした。ちっぽけなナイフだが、無いよりはましだろう。そしてもう、いてもたってもいられず、夜の中へと飛び出した。






 音に引き寄せられるように、俺は走った。

 空には濃いオレンジ色の満月が輝き、夜道を照らしている。

 笛に導かれるままにたどり着いたのは、町はずれの林の入り口だった。


 そこに、男が待っていた。

 中世の修道士が着るような、フード付きの黒いローブを身につけている。フードを深くかぶり、顔は見えない。

 俺の姿を認めると、男は笛を懐にしまい込んだ。


「笛を、聴かせてくれ」


 荒い息のままで俺は頼んだ。

 だが、男は俺の言葉に応えず、冷たい声で言った。


「なるほど。おまえは変身時の記憶がないタイプなんだな。ならば教えてやる。この笛はな、いわゆる犬笛を改良したものだ。メロディーをつけられるようにして、狼の聴覚に最適化してある。わかるか? この笛の音は、普通の人間には絶対に聴こえないんだよ。人間には聴こえないメロディーが、おまえには聴こえたんだ。つまり、おまえはもう人間じゃないってことさ。おまえは人狼、そして俺は狩人ハンターだ」


 突然、俺の脳裏に凄惨な光景が浮かんだ。フラッシュバックが起きたのだ。

 森の中。逃げる女の後ろ姿。

 その背中を引き裂く、俺の長い爪。

 木の根に足を取られて転んだ女の、恐怖の表情。

 女の白い肌に食い込む、俺の鋭い牙。


 我に返った俺は、自分の変化に気づいた。

 体が、二回りも巨大化している。

 全身はびっしりと獣毛でおおわれ、視覚も、聴覚も、嗅覚も鋭敏になっていた。

 胸の奥から、殺戮さつりくの衝動が込みあげてくる。

 月満ちる今宵こそ、月に一度の解放の夜だ。

 誰かの血を吸ったような色の満月に向かって、俺は思いきり吠えた。


「始めようか」


 ローブの男はそう言って、ゆっくりと拳銃を抜いた。

 旧式のリボルバー拳銃だ。

 そうだろうな。カスタムメイドの銃弾は、オートマチックじゃ扱いにくい。

 銀の弾丸は、何発準備できたんだ? 聖別してくれる神父はいたのか?

 俺は強いぞ。一発や二発じゃあ、足りないぞ?


 楽しいぞ。楽しいぞ。

 今夜の相手は、女や酔っ払いじゃない。

 強いヤツと戦うのは、この上もなく楽しいぞ。


 さあ、勝負だ。






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聴こえないメロディー 旗尾 鉄 @hatao_iron

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